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2018年 09月 30日

隠れて咲くもの

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僕には何がなし、金木犀は隠れて咲くもの、というイメージがある。

いつだってまずその香りがやってきて、それからどこにいるのだろうと、あたりをキョロキョロ見渡す。

梔子も沈丁花も、やはり同じだ。

たいていどこかのお家の庭先にひっそりと咲いている。





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手前にある花木に隠れて見えない、でも明らかにそのあたりに・・・

そんな宝探しのゲームが楽しくて、この時期はウキウキする。

木槿の花は大きくて目立つが、小さな花の金木犀の、甘い香りのほうが魅力は大きい。やはり好きだな。





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ところが今日、七沢温泉に行く途中に東海大学の裏を通ったら、こんなにでっかい金木犀があたりを睥睨していた。

いや、その樹体の大きいこと!

こんなでっかい金木犀、生まれて初めてお目にかかった。

しかも満開であるし、この巨樹からの芳香はそれこそハンパない。

あ、あなた、あなたは隠れて咲くものじゃなかったの?、と思わず難詰してしまった。



by libra-mikio | 2018-09-30 18:59 | Mic記 | Comments(0)
2018年 09月 24日

季節に追い越されるような

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人間世界の細かい悩みに明け暮れていると、季節に追い越される。

そんなことを実感している。

日々のニュースではお天気お姉さんたちが盛んに季節の話題を振りまいてくれるのだが、それは記号として脳みそにしまわれる。

つまり理性で季節を認識しているだけだ。

でも、野山に出ると明らかに実態として季節がそこにいる。

そして下手をすると、お天気お姉さんが僕に刷り込んでくれたはずの知識としての季節よりも、眼前の景色のほうがすでに先に進んでしまっていることも多い。

やはりコツコツとフィールドに出て、季節と同化出来るような感性を磨かなければいけないなぁと思う。

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by libra-mikio | 2018-09-24 20:34 | 季節 | Comments(0)
2018年 09月 22日

平凡であり、非凡なる一日

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珍しく遅く起きた朝は雨だった。

母の薬を届けてくれる薬局の方と応対して、昼前に鎌倉に足を向けた。


・・・などと、今日一日の行程を書こうと思っていたが、やめた。

それよりも、約束の多かった今日が終わりかけた日暮れに、海に出たいと思い、そうした。





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きれいな海の夕暮れは、僕を多感であった頃に戻す。

そこここにいる人々も、きっと同じ感覚を持っている。


・・そんな説明も、もうやめよう。

優しい光と風と、波の音に包まれたときに、言葉は不要になるのかもしれない。





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振り返れば極めて平凡な一日であったが、心の底からそう思うことができたという、類まれなる非凡な一日であったことに、今、気付いている。



by libra-mikio | 2018-09-22 21:58 | Mic記 | Comments(0)
2018年 09月 19日

活写華(かつしゃげ)

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いつ雨粒が落ちてきてもおかしくない東慶寺にいた。

9月という季節の狭間に、しかも空模様も甚だ曖昧な境内を訪れる人は稀だった。

庵の門を背景に秋桜が咲いていた。

禅寺にはよく似合う。

門を背景に構図を取るうちに、あたかも一輪挿しのように見え、これは写真による華道といっても許されるのではないかと感じた。

活写華。かつしゃげ。

もちろんその場で頭をよぎった僕の造語だ。





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墓地の写真を撮ることは不謹慎であるのかもしれない。

しかし、東慶寺にいるとどうしてもその誘惑に抗えない。

縁切寺という慈悲、慈愛に満ちた寺であるがゆえに、ここでは見るものすべてが優しい。

墓所も墓石も、知的な静まりに沈む。





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先程、造語ではあるが活写華、と書いた。

信州の高原にこそ似つかわしいと思い込んでいた釣鐘人参が、竹垣を背に、なんとも善い塩梅でしなだれていた。

これこそ、全く人為が入らぬ自然界の活華ではないか。

今日このときに、ここに来ることができて善かったと思った。



by libra-mikio | 2018-09-19 20:44 | Mic記 | Comments(0)
2018年 09月 15日

曼珠沙華の朝

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彼岸花は地面から葉を出さずに突然茎がにゅっと出て、血のような真っ赤な花を咲かすし、まさに秋の彼岸の頃に咲くことから、日本の土俗的感覚ではなんとなく忌み花として捉えられていた。

しかし、今読んでいる法華経の口語訳本によれば、釈迦牟尼仏(シーッダールタ)が初転法輪を霊鷲山(りょうじゅせん)で行った際、天界からムリョ数の曼珠沙華が降り注いだ、とあった。

この花はインド的には瑞兆というか、ハレなのである。


その曼珠沙華を求めて先々週からパトロールをしていた。

そして今日、「きっと今日は咲くよ、しかも雨の朝になりそうだからきっと素敵な光景に出逢えるよ」、という心の声に押され、目覚めてすぐに僕のフェイバリットスポットに向かった。

予想通り、花はかなり咲き始め、時折強くなる雨足のせいか、カメラを持った人は僕を含め二人だけ、という幸運に恵まれた。





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僕はたくさんの曼珠沙華が重なり合うように切り撮るのが好きだ。

そもそも、ゴージャスなこの花が好きだ。

僕は(信じようと信じまいと)2300年前には、心ひそかにエピキュロス派に憧れるストア派の末端小僧であったのだが、いや、だったそうだが、もしかするとインドにも居たのかもしれない。


この花の華麗さを、僕は言葉で表現する事ができない。

串田孫一も、曼珠沙華に対してではなかったが「季節の断想」の中で、「(自然界のそれらを)僕たちが形容しようとなるとむつかしい。色だけでなく、そこに瑞々しさや粉っぽさが加わっているのをどんなふうに説明したらいいのか」、と記述している。

だから僕は、その美を写真として表現することしかできないし、それとても稚拙だと思っている。





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雨も小止みになってきた。

残念ながらコオロギや他の鳴く虫たちは、自分を痛めつける雨滴から身を守るのに懸命と見えて、ひたすらじっと音もなく耐えている。

しかし里山に巻き残った乱層雲は少しずつ千切れ始め、僕は実に快適に、曼珠沙華の朝を堪能することができた。



by libra-mikio | 2018-09-15 21:55 | | Comments(2)
2018年 09月 10日

口笛高らかに吹けば

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平成も終わろうとしている今ではあるが、世代としての昭和は当然身に染み付いている。

昭和のシンボルと言えば何があるか。

それは人の数だけあるのであって、番付をする意味はない。

しかし各位の心には、ふとした湿り気を帯びた心象風景が必ずやある筈だ。


その風景に寄り添う歌、ウタは何か。

五木の千曲川でもいい。タケカワユキヒデの甘ったるいリリックでもいい。

すべて、少し遠い向こうから聞こえてくる。


稲穂の奥に見える、田園にしては瀟洒な屋根が僕に起こした化学変化の先は、五輪真弓だった。

旋律が先に来、追いかけて歌詞が蘇る。

・・・忘れられた静けさの中 口笛高らかに吹けば 痩せた野良犬たちの 遠吠えが・・・

こんな歌詞に意味があると思っていた時代。

或いは意味を考えずに同調したのかもしれない時代。

学生運動はすでに下火になり、マル青も革マルも僕には区別がつかなかった。

3だったか、渋谷のデモに遭遇した時も完全に醒めていた。


五輪真弓。なんとなく天上天下唯我独尊。

そんな人が現れて、時代は大きくカーブを切ったのだと想う。

エセもいっぱい居た。

しかし全てひっくるめて、時代のエビデンスか。


昭和は濃厚だった。平成はどうだったろう。


平成は、色がない。

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by libra-mikio | 2018-09-10 21:52 | Mic記 | Comments(0)
2018年 09月 08日

マカームのような彩り

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今朝もいつもの習いで5時半に目覚め窓を開けると、とても爽やかな青空が広がっていた。

のために枕元のスマホで天気予報を確認すると、全国でほぼ唯一南関東が晴れマークだ。

こんな日にいつまでもベッドに居られる筈はなく、コーヒーを沸かして自転車のかごに入れる。


今日は氷晶雲である巻雲、巻積雲が空高く舞い、いわゆる行き合いの空であった。

そしてもう高みに登りつつある太陽により、きれいな彩雲が見えていた。

僕はまだオーロラを見たことはないが、彩雲は自然界から送られる高貴なギフトだと思っている。


彩雲は肉眼で見ても大変に美しい。

しかし望遠レンズで覗いてみると、その妖しくも美しいディテールに息を飲む。

7色の波長が整然と並ぶ虹とは違い、赤と橙、青と紫、緑と黄色があちこちで群れをなす。

そしてそれぞれの中間色がデジタルではなくアナログに現れる。

まるで西洋音階に対するアラブの音階、マカームのように。

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by libra-mikio | 2018-09-08 21:04 | | Comments(0)
2018年 09月 02日

天地始めて粛(さむ)し

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今頃は七十二候で言う、処暑・天地始めて粛(さむ)し、である。

処暑と聞くとなんだかまだ暑さのこもる日々を連想するが、二十四節気の表現で、暑い中にも少しの和らぎを感じ、朝の気温の気持ちよさや、聞こえ始めた虫の音に秋を想う時節ということのようだ。

そしてさらに、七十二候の、天地始めて粛(さむ)し、である。


朝、お気に入りの植物園に行くと、もうリコリスが咲いていた。

昨夜来の雨に打たれ、か細い蕊や花弁に大粒の雨滴がまとわりついていた。





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リコリスという洋名の種ではなく、彼岸花を探していると、これはまだまだ姿を現わしてはいなかったが、とある田んぼの畦に彼女を見つけた。

あと一週間か、二週間。

あちこちの田んぼの畦が真っ赤に染まる日を期待して、今日はこの娘に初秋を代表してもらうことにした。



by libra-mikio | 2018-09-02 20:40 | 季節 | Comments(0)