津金山海岸寺(つがねさんかいがんじ)は清里の近くにある古刹である。
何年か前にR141の裏道として通りかかったときに立ち寄ったことがあるが、その時はそれだけだった。
昨日の昼下がり、旅の帰路に、なにかにまた惹かれ山門をくぐった。
今回その寺域を歩き始めた途端、禅を感じた。
海岸寺由来の銘板を読むと、なんと臨済宗建長寺派の禅寺であった。
蝉しぐれの中、人は自分しかいない。
更に歩を進めると、山の斜面に突き出た「瞑想参禅舞台」というのがあった。
ああ、坐ってみたい!
坐蒲などはないが、代わりに椅子がおいてある。
行住坐臥すべて禅である、の教えに従い椅子に腰掛け、坐禅のように数息観を始めた。
そよ風が頬を前から撫で、止まり、右から撫で、止まる。
蝉しぐれが近寄ったり、遠のいたり、そして意識の外になる。
急に悲しくなってきた。
理由なく、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
特定の誰かに対して、何かに対してというものではなく、ただひたすら自分の来し方を振り返り、
切なくて悲しくて、申し訳なくて、とうとう声をあげて泣いてしまった。
円覚寺の居士林でも涙がこぼれそうになったことがあるが、それは至福に満たされつつあるときの歓喜のため。
いったいどうしてしまったのだろう。
帰り際にこの案内を見つけた。
海岸寺は 人が生きていく道を 静かに考えるところです
海岸寺は、ものすごい寺なのかもしれない。