県道を走っていたら右手の丘の中腹に桜色と黄色が見え隠れした。
あそこに行けるかな。
なんとか当たりを付けて細い道を登ってゆくと、お目当ての場所に辿り着けた。
小さな社だった。
しかし道はなお上へと伸びている。
どうせ社を建てるのならば、天辺が良かっただろうにと、僕はさらに坂を登る。
ようやく天辺に着いて、なるほど、社はあそこしかなかったんだと感得した。
何故ならば、その天辺からは地形が邪魔をして、下の集落が見通せないのだった。
氏神様には常に自分たちを見守ってもらいたい。
そんな至極当然なことを、改めて静かに感じた。
帰り際、また別の丘の中腹に大きな桜を見た。
今度は近くには行かず、望遠レンズで切り撮った。
時間がないことも理由の一つだが、こちらは明らかに人が普段どおりの生活をしている場所そのものだ。
通りすがりの者がずかずかとその生活圏に分け入ることに、幾分の引け目を感じた。
いくらカメラを持っていても、それは免罪符にはなるまい。
里見には、人としてのマナーが要求される。