11月23日 昼前に無言館に着く。
館には入らず、周囲を歩く。
ここはどの季節が善いということはない。
いつも、善い。
きょうは、無言館を包む森が黄葉している。
昼近くの冬の低い太陽がコナラの葉を透過する。
しかし此処を訪れる人は、優しい黄褐色を特に気に留める素振りはない。
此処に自然を愛でに来る人は居ない。
此処は 人為 の墓標であるから。
無言館の奥まったところに 時の蔵 はある。
「戦没画学生の遺作、遺品を末永く保存し、修復してゆくための施設」だという。
「傷ついた画布、焼け焦げたスケッチ帳の一つ一つの命を・・・よみがえらせる」場所だという。
人目に触れぬ場所に密やかに建つ 時の蔵。
無言館の壁は、一見、荒い。
窪島誠一郎氏は、館全体をカンバスにしたかったのだろう。
理不尽な時局に筆を措かざるを得なかった画学生のみ魂は、
九段下ではなく、塩田平の一隅の、カンバスで出来た建物を見つけ真っ先に帰ってくる、と信じたのだろう。
僕が此処に来る時は、いつも無言館の碑に樹々の影が色濃く落ちている。
どんな季節も、朝も昼も、誰そ彼の頃でも。
この場所はハレでは決してないことを、訪れる者に伝える。
春夏秋冬、絶えることなく影に覆われ続けるという、無言のレジスタンス。
それでも、いや、だからこそ、今、無言館を包む森は優しく慎み深い色彩で彼らを揺籃している。