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2015年 12月 23日

マグダラのマリア

マグダラのマリア_e0126386_194953.jpg
鎌倉の小町通りを歩いていたとき、ふとこのディスプレイに惹かれ、マグダラのマリア、という言葉が脳裏に舞った。
さて、マグダラのマリア、一体どういうエピソードであったかは思い出せない。ググると、彼女が娼婦であったかもしれない、という記述があちこちにある。
え、娼婦?

こうなれば聖書を読み返すしかない。本棚から引っ張り出して、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ伝を斜め読みした。
確かにルカによる福音書では「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」という記載があるが、娼婦とは書いていない。(そうであっても書けないよねぇ)。
このあたりを指して「マグダラのマリア=娼婦」説があったようだ。
もちろんマグダラのマリアはキリストが処刑されたのち、「準備の日、安息日」を経た3日目に、キリストが復活したことを最初に目撃するほどの重要な人物である(これは4大福音書が異口同音に記述している)。

ところでそんなに重要なマグダラのマリアが娼婦だったという説が厳然として存在することは、僕をしてヘルマン・ヘッセのシッダールタを想起させた。

若きバラモンの子シッダールタが親友ゴーヴィンダと共に出家し、正覚者のもとに教えを請いつつ満ち足りず、ゴーヴィンダとも袂を別つ。
独り修行の道を歩み始めたシッダールタは、カマーラという大身の遊女と出会い、体の愛をあまねく覚え、満ち足り、しかし求道の念がいささかも消えていない自分に気づき、遊女カマーラの許を去る。
その時カマーラはシッダールタの子を宿していた・・・

もちろんヘッセの創作である。

一方で我が日本の原始仏教研究の第一人者、中村元・故東大名誉教授が著した「尼僧の告白~テーリーガーター~(岩波文庫)」によれば、釈尊が悟りを開いたのち多くの老若男女が教えを請うた訳だが、その中にいるんだよ、遊女が。
原典はBC350年くらいに編まれた経典である。そう、今から2,360年くらい前に編まれた原典に、すでに悩める遊女が存在していたのである。
かつ、その遊女はこう言っている(と、中村博士はパーリ語を翻訳している)。
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・[遊女としての]わたしの収入は、カーシー(ベナレス)国[全体]の収入ほどもありました。街の人々はそれをわたしの値段と定めて、値段に関しては、わたしを値をつけられぬ[高価な]ものであると定めました。
・ そこで、わたしはわたしの容色に嫌悪を感じました。そうして嫌悪を感じたものですから、[容色について]欲を離れてしまいました。もはや、生死の輪廻の道を繰り返し走ることがありませんように!三種の明知を現にさとりました。ブッダの教え[の実行]を、なしとげました。(アッダカーシー尼)
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キリストが生存していた時代、つまり今から2,000年前の状況をつづった聖書。そして更に350年くらい遡りインドで編まれた経典、テーリーガーター。
そのどちらにも遊女が関係し、かつ遊女が聖職的覚醒に関しとても重要な役割を担っていることに気付き、僕は今、亡羊とした眼差しを中空に泳がすほかない。
マグダラのマリア_e0126386_21143930.jpg


by libra-mikio | 2015-12-23 21:34 |


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