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2019年 01月 14日

水仙

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水仙の香りにつつまれたくなった。

まだ、早いのかしら。・・・それとも、もうその時が来ているのかしら。

伊豆を考えたが、越えざるを得ない峠は路面が凍っているかもしれない。

それでは城ヶ島に行ってみよう。

行った先の城ヶ島の水仙は、うまいことに、「14番目の月」だった。





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水仙の香りにつつまれたいと思ってはいたが、まだ、辺り一面に芳香が満ちているということではない。

それでもかそけき風がたてば、奥ゆかしいながらもあの清純な香りが、「あのう・・・」と言いながら僕に寄り添う。

そして、光が水仙をアプローズしている場面を切り撮る。





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R134から派生する城ヶ島への往還の、帰路の渋滞は身に染みているので一旦油壺に逃げる。

このハーバーについては以前も書いたが、日本ではないような気がする。

僕はスカンジナビアのハーバーを俯瞰しているのか。

折しも一杯のクルーザーが出て行く。

これから出るということは、何処かに帰るということか。

ボンボヤージュ。






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帰り道、葉山で落日し、その光景はえもいわれぬものであったがクルマを停める余地はなく、ただ呆然と美を眺めていた。

しかし鎌倉、由比ヶ浜でとうとう我慢ができなくなり、ノロノロ運転のさなか、助手席越しにシャッターを切った。

冬の入り日が落ち、海と空の区別が曖昧になって行く誰彼時。




















# by libra-mikio | 2019-01-14 22:16 | | Comments(0)
2019年 01月 10日

知と実践

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知と実践、とは大層上段に構えたタイトルだが、実感を持ったので自分のために記録する。


知と実践は別物でありながら、互いに補完しあう。補完しあわねば意味がない。

気づかせてくれたのは、古本屋で何気なく求めた「禅の実践(講座 禅 第二巻・筑摩書房・S49)」という本に収められた、ドイツ人女性リース・グレーニングという方の「参禅記」なる一稿である(1950年代後半)。

これは凄い。凄かった。

訳あって遥かドイツから京都相国寺の僧堂に居士(在家)として参禅したこの女性が、いかにして臘八大接心(ろうはつだいせっしん、面倒臭いから説明はしない)に臨んだか、そしてどうなったか、が克明に著されている。


禅は徹底的に実践である(僕ごときには到底窺いしれぬ世界である)。

彼女は、禅に関しても非常に高度なインテリジェンスを持ちつつも、禅が掴めず七転八倒し、文字通り半狂乱といってよい状態になる。(然る後、彼女は一歩、克服する)

読んで、泣けた。

斯様に、「実践」とは(禅に於いてのみならず)すざまじいエナジーを必要とするものなのである。

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# by libra-mikio | 2019-01-10 21:34 | Mic記 | Comments(0)
2019年 01月 06日

外外介護から

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新聞に、外外介護という見慣れない見出しがあった。

記事を読んで初めて、日本に居る外国人の被介護者を、日本に居る外国人が介護することだと知った。

是非の次元をすでに通り抜け、現実に始まっているという。

日本という国のこの先行きにつき、様々な想いが沸き起こる記事であった。


今後日本は、どのようにして国を発展していくのか、or、どのようにして維持していくのか。


司馬遼太郎はいいときに死んだな、と思うことがしばしばだが、その司馬さんは太平洋戦争に駆り出され艱難辛苦を舐め、僕は戦争をも知らないその後のジェネレーションであることを思う時、いい時に・・・なんていう言葉を吐くのは非常に失礼なことだと、いつも自問自答する。

でもやっぱり、司馬さんはいい潮目でこの世、この日本から引退されたのだと思わざるを得ない。


昨年の、鎌倉の紅葉は度重なった台風の影響で海の潮をかぶり、非常に残念なものになったことは皆様もご存知と思う。

しかし、東慶寺のとある楓は今黄葉し、午後の晩い光を贅沢に振りまいていた。

外からの影響ではなく、自分自身に軸足を置くという、ごく当たり前の自然界の流儀を見た想いがした。

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# by libra-mikio | 2019-01-06 22:03 | Mic記 | Comments(0)
2019年 01月 05日

坐り初め

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前回、新年にしてはいささか暗いトーンになってしまったが、今回はいささか明るいトーンに転ずる。


今日、円覚寺居士林にて坐り初めを行った。(一般的に坐り初めという言葉があるかどうかは知らない)

そして今日の坐禅の最中、僕は久方ぶりに足の痛みもなく、意識も散らず、落ち着くことができた。

年に何度かこのように素敵な瞬間が訪れるのだが、今日はそういう日だった。


昨日、母に、近々特養に行ってもらうことを打診し、母はそれを諾とした。

事前に、親族の諒解を得た。

叔父は、なぜお前がそこまで頑張ったのかが判らないが、よくやった、と言ってくれた。

法政で福祉を専攻し、現在障がい者施設でバイトをしている次男からは、専門家にしかできないことがあるのだから、もっと早く決断すべきだったという意見を聞いた。

他の親族からも、もう充分だと言われた。

実際には特養の空きが出なければ何も始まらないが、要介護認定2であった昨夏にそれとなく打診した時は200人待ちとのことであったが、要介護4となった今は順位も繰り上がるのだそうだ。






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居士林から龍隠庵に続く脇の小径も真冬の只中の風情だが、なにがなし、僕の眼には明るく映る。



# by libra-mikio | 2019-01-05 19:24 | Mic記 | Comments(0)
2019年 01月 03日

正月

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年末29日、母がまた室内で転び左手首を折った。

入院はしていないが、夏以降かろうじて回復してきた日々の生活が、また逆戻りだ。

互いに虚ろになる眼。

暦は確かに巡り、順当に正月は来るが、人の世はなぜこれほど理不尽なのか。

精一杯明るくなろうとは、している。



# by libra-mikio | 2019-01-03 22:31 | Mic記 | Comments(0)
2018年 12月 28日

Antonio’s Song

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今日は有給休暇取得促進日でお休み。

前から意味もよく知らずに歌っていて気になっていた Antonio’s SongMichael Franks) の歌詞を調べた。

そもそもAntonioって一体誰?・・・なんと Antonio Carlos Jobim なのね。

アメリカ人の優秀なアーチスト、Michael Franks が彼に捧げた歌だったのね。


まずノッケの、”Antonio lives life's frevo

frevoって何?

集合知に尋ねると、”Any of a wide range of music and dance styles originating from ・・・ traditionally associated with Brazilian carnival.”

なるほど。


次なるハテナは、”The blankets they give the Indians, Only make them die.”

訳せるけど何を言っているのか全く解らなかった。

するとこんな記述に遭遇。

“Blankets they give the Indians. Might refer to the Mandan smallpox epidemic of 1837.Some have claimed that the US Army purposely gave them disease-infested blankets.”

そんなことがあったのですね。


最後に(ホントはもっと他に山ほどあるが)、“And lost in La Califusa When most of my hope was gone”

この“La Califusa“って全く判らない。おそらくカリフォルニア、ロサンジェルスのことと推測はできても。

すると更にこんな記述に遭遇。

This phrase is an anagram for L.A. (Los Angeles), California, USA where Michael essentially started in the music scene before relocating to the New York area where he now resides.”

anagram・・・判りますか? 綴り換え遊び、なんですって。

無理だよね、判れって言われても。


そもそもこのマイケル・フランクスってどういう人かと云うと、

・・・1944918日、カリフォルニア州ラ・ホヤに生まれました。カナダのモントリオール大学の博士号を取得していて、映画音楽を作ったり、大学で比較文学を教えたこともあります。また、日本にも関心が深く、結婚式は日本で挙げました。・・・

だそうです。


今日の午前中および午後の2時間ほどは、はこの曲に付きっきりで過ごした。

こういう、何の役にも立たないことに時間を費やすって、最高のお休みの過ごし方だと思わないかい?





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Appendix


Michael Franks "Antonio's Song"


Antonio lives life's frevo

Antonio prays for truth

Antonio says our friendship

Is a hundred-proof


アントニオは人生のフレヴォを生きる

アントニオは真実のために祈る

アントニオは言う、ボクらの友情は

100%確かなものさ


The vulture that circles Rio

Hangs-in this L.A. sky

The blankets they give the Indians

Only make them die


リオを飛び回るコンドルは

今、このLAの空に浮いている

インディアンに与えた毛布は

彼らを死なせただけだ


But sing the Song

Forgotten for so long

And let the Music flow

Like Light into the Rainbow

We know the Dance,

We have We still have the chance

To break these chains and flow

Like Light into the Rainbow


でも歌おう

永く忘れられていた歌を

そして音楽を流そう

虹に向かう光のように

ボクらは大事なダンスを知っている

まだ、まだまだチャンスは残っているんだ

この鎖を解いて、音楽を流そう

虹に向かう光のように


We sing the Song

Forgotten for so long

And let the Music flow

Like Light into the Rainbow

We know the Dance,

We have We still have the chance

To break these chains and flow

Like Light into the Rainbow


さあ歌おう

永く忘れられていた歌を

そして音楽を流そう

虹に向かう光のように

ボクらは大事なダンスを知っている

まだ、まだまだチャンスは残っているんだ

この鎖を解いて、音楽を流そう

虹に向かう光のように


Antonio loves the desert

Antonio prays for rain

Antonio knows that Pleasure

Is the child of Pain


アントニオは砂漠を愛する

アントニオは雨に祈る

アントニオは喜びとは何かをしっている

それは苦痛の子供だと


And lost in La Califusa

When most of my hope was gone

Antonio's samba led me

To the Amazon


ロスで思案に悩み

ボクの希望がほとんど消えていった時

アントニオのサンバは連れて行ってくれる

アマゾン川へと


We sing the Song

Forgotten for so long

And let the Music flow

Like Light into the Rainbow

We know the Dance,

We have We still have the chance

To break these chains and flow

Like Light into the Rainbow


さあ歌おう

永く忘れられていた歌を

そして音楽を流そう

虹に向かう光のように

ボクらは大事なダンスを知っている

まだ、まだまだチャンスは残っているんだ

この鎖を解いて、音楽を流そう

虹に向かう光のように

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*星に手をさしのべて~僕のMusic Life

*アントニオの歌~Antonio's Song - 偉大な師、友に捧ぐ(2010-11-2110:10:00

の記事を大変に参考にさせていただきました。

ありがとうございました。



# by libra-mikio | 2018-12-28 21:52 | Mic記 | Comments(0)
2018年 12月 27日

平穏な朝

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しらす漁の船か。

かもめがおこぼれを狙うために集まる。

漁師はかもめとは無縁だが、別に排除しようとは思わない。







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これは22度ハロなのか、幻日なのか。

もう、どちらでも良い。

ただひたすらに美しい。







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漁に飽いたか。

満腹か?

彼は一羽でそこに来た。

そして声も出さず口を何度も開ける。

あくび以外の何ものでもない。



# by libra-mikio | 2018-12-27 21:55 | | Comments(0)
2018年 12月 24日

みんな、メリークリスマス

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七面倒臭いことは置いといて、メリークリスマス!

重機だって、メリークリスマス!

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# by libra-mikio | 2018-12-24 21:04 | | Comments(0)
2018年 12月 22日

DEATH

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諸々のことから死を身近に感じている折り、新聞広告で目に止まったDEATH を読んだ。

装丁がよく、質感も高いので本屋でつい買ってしまった。


で、どうだったかと云うと、あんまり面白くなかった。

哲学のアプローチで死について考察しており、その手法は楽しめたが、根本的にキリスト教に裏打ちされた文化を前提に論旨の踏み込みをしており、やはり彼我の異なりについてGAPを感じてしまった。


死というコトソノモノよりは、それに向かい傾斜して行く際の心構えみたいなものを解説して欲しかった。

もちろんこの本でもその努力は認めるが、根本的に神との契約をベースにしている文化での展開である。


逆説的に言えば、僕にとっての仏教との良い肌合いを、改めて想起させてくれた本であった。

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# by libra-mikio | 2018-12-22 23:52 | 陰翳 | Comments(0)
2018年 12月 18日

氷点

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山奥の小川は完全に凍結していた。

真冬の知床であれば十分に肯うことができる光景である。


就業規則で定められた定年を過ぎた僕はこの一年、この小川のように凍っていた。

特殊な条件で再雇用契約を結んでくれた会社には感謝しつつも、やはり日々の業務において現役社員ではないという空気を感得せざるを得ず、割り切れぬ何かを常に背負っていた。

一方で世間では60代はまだ若いと言われ、実際、身近なヨット仲間は大半が70を過ぎてなお、嬉々として海に出る。

僕を取り巻く座標軸が極右と極左のように異なる中、自分の存在すべき座標点が解らなくなっていた。

しかし結論としては37年間勤めた会社の座標軸を充てがう他なく、要するに知床の小川のように凍っていった。







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こちらは斜里岳の融雪水が湧き出る遊水池である。

前掲写真のようにこの季節、水流の勢いのない川は完全に凍結してしまう。

ところが気象条件が同一であるこの水源池はどうだ。

凍っていない。

伏流水が時を選ばずこんこんと湧いて、湧き動くことにより凍結を寄せ付けない。


僕は凍っていた。

周りが寒くなれば自ずと凍る小川だったから。

では泉になれば良い。

湧き出る運動を継続し、凍らない泉に。

氷点を僕の主体性で変える。



# by libra-mikio | 2018-12-18 20:30 | Mic記 | Comments(0)
2018年 12月 16日

山の神

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一般的な日本語として「山の神」は女房を指す。

しかし実際の山仕事では、山の神は正しく「山」の「神」である。

毎年師走の12日、あるいは前の11日に山の神に対し、大なり小なり神事を行う(らしい)。

少なくとも道内ではそのようだ。

恥ずかしながら僕はこれまで山の神の神事に参加したことはなかった。

で、我が社の社有林業務が今年も怪我人なくできたこと、来年もそのように見守って頂きたいことを誓願し、二礼二拍手一礼を本気になって行う。







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とは申せ、ここに鎮座まします山の神は風雪に磨き抜かれ、なんと素朴でいらっしゃることか。

当然といえば当然だが、神主も巫女さんも居なくて、ムクツケキ男どもがマジに頭を垂れるだけである。

お供えとしてはワンカップ大関ただ一つ。

昔、ワンカップ大関のCMで、「神のみ前にありがたや~」みたいなのが流れていたが、正にその通り。

これを分析して、アニミズムだとかナントカ言うのはたやすいが、山で働く男たちにとってみれば実に大切で純な行事なのだ。







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この鳥居、純粋な木材でできている。

遠方の山は斜里岳である。

畏怖という言葉があるが、そして近年その言葉を聞いた試しはないが、当地ではごく当たり前に意識することなくそれを感じていることに対し、僕は畏怖の念を持つ。



# by libra-mikio | 2018-12-16 19:24 | Mic記 | Comments(0)
2018年 12月 15日

山仕事

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一言で山仕事、林業といっても実際にはピンと来ない方々が多かろう。

このように慈しみ育て成長した立木(りゅうぼく)を伐採し、市場に出し売却するのである。

野菜に置き換えれば、時間軸の長さが違えども基本は同じである。

そう、時間軸。

後輩達が立つ背後の落葉松林は、ほぼ50余年生である。







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生業であるが故に、50年生きた木を伐倒し、枝を払い、市場の欲する長さに切り揃えることに私情は挟めない。

これらの木材は、今後日本の何処かで人の役に立つためにトラックに載せられ、製材所に運ばれる。

その現場は荒々しく、一次産業の根源的な一部として、感傷のかの字もなく淡々と進行する。







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でも僕らは経済合理性だけで林業を行っている訳ではない。

伐れば植える。もちろん森林法によりそのことは義務付けられている。

しかし、コンプライアンスの観点のみではない。

今回の計画で都合6年に亘り伐採する総計300haの伐採跡地に、新たな命を植え込んでいくことは、お天道様の理に適うものだと信じているし、極めて自然なことだ。

企業が好き勝手に木を伐って、その跡地を顧みないなどということは企業のリーガルマインド、いや、公明正大に生きる一個人として決してありえない。

この苗が成木となるために、今後の50年間に、たとえ数十億円かかっても。



# by libra-mikio | 2018-12-15 19:43 | Mic記 | Comments(0)
2018年 12月 13日

寒気に立つもの

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4年半ぶりに斜里に行った。

久々であれば野山が微笑む初夏、と言いたいところだが仕事なのでこの時期も止むを得ぬ。

着陸間際のCAアナウンス、「女満別空港の天気は晴れ、気温はマイナス13度でございます」に心身を引き締める。

9時前に着き、一連の山仕事の今日の監査を終えたあと、斜里のホテルに向かう。

以前も思ったことだが、荒涼とした大地に人工物が黙念と立っている光景ほど寂しいものはない。







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名にし負う斜里岳。

まだ午後の3時半であるにもかかわらず、真横からの残日に照らされている。

クルマのエンジンを切れば物音一つしない。

徹底的な静寂空間の彼方に聳える山は、神々しいという形容を撥ね付ける。

なぜならば「神々しい」と言う語感が内包する人的なものから、それは全く超越しているからだ。







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夕景というものは、考えてみれば人間が存在する以前からあった訳だ。

そこに特別な意味を見出したのは、いつの時代の、どの生き物だったのだろう。

地球自体は46億年前にできたと言われるが、恐竜が陸に上がったのは僅か3億年前とも4億年前とも聞く。

その頃に入り日を見て感傷的になった初めての恐竜が居たとしたら、そのDNAが今なお生きているということなのだろう。



# by libra-mikio | 2018-12-13 19:56 | | Comments(0)
2018年 12月 06日

鎌倉夕景

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円覚寺(北鎌倉)の坐禅のあとは、気分次第だがよく鎌倉まで歩く。

鶴岡八幡宮から鎌倉駅までは小町通りを通る。

人の多さに辟易するが、自分もそのうちの一人であるから文句も言えない。

土曜坐禅会第二部は16時前に終わる。

するとこの季節では、小町通りを流すうちに陽が傾く。

なんだか映画のセットのような、横浜のラーメン博物館のような様子が面白い。







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とっぷり暮れた夜の小町通りも被写体にしたいが、母の晩ごはんの用意もあるから切り上げる。

鎌倉駅のホームでこんな夕空を見た。

駅のホームから夕映えを見る事ができるなんて珍しいと思った。

なるほど、考えてみれば風致地区の集合体であるここは、高いビルは建てられない。

すると横須賀線のホームから見える夕映えというのも、鎌倉ならではの風情だということに気付いた。



# by libra-mikio | 2018-12-06 19:50 | 陰翳 | Comments(0)
2018年 12月 05日

雲行き怪し

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今朝、まだ暖かかったのだが海に出ると、なんとも怪しい光景が広がっていた。

明日からは天気が下り坂で、最高気温は今日より10度近く下がるという。

まあ、昨日今日が異様に暖かだったせいもあるが、体に応えそうだ。


ところでここ半年ほど意識して使ってきた35ミリ(ライカ判換算での35ミリ相当、つまり昔のフィルムカメラでの35ミリという意味デス)の画角が、ようやく目に馴染んできた。

以前はX-T128ミリと50ミリがあればよいと本気で思っていた。

なんとなく35ミリも持ってはいたが出番はほとんどなかった。

しかし今ではX-Pro2+ライカ判換算35ミリのセットがほぼ定番になってきている。


それにしても、明日からの寒さは嫌だな。

既に喉がイガイガしてるし。

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# by libra-mikio | 2018-12-05 19:12 | 季節 | Comments(0)
2018年 12月 04日

存在感

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(かえるが苦手な人、ごめんなさい)

鎌倉の小町通りを歩いていたら、こいつに出逢った。

何という存在感だろう。

いでたちからするとこいつは日本蛙ではなく、中世ヨーロッパ蛙のようだ。しかも高貴。

あ、・・・イソップだ・・・いや、アンデルセンだ。

家に帰ってグリムだということが判った。

そう言えばグリム童話って、なんか子供相手じゃない、ダークな帳の向こうにあるような気がする。

怖いくらいの存在感。こいつを造った人は見事だな。



# by libra-mikio | 2018-12-04 20:28 | 陰翳 | Comments(0)
2018年 12月 01日

落葉松 晩秋

佐久ホテルの一夜は旭湯のおかげかぐっすりと眠ることができた。

チェックアウトは7時半以降です、という厳しい宿の掟があるので、昨晩買ったセブン弁当を7時に食う。

さて何処に行こうかとレンタカーを走らせると、幾ばくも進まぬうちになんとも素敵な光景が飛び込んできた。



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北海道、斜里の自社山林と見紛うばかりの老いた落葉松の並木。

ピークは過ぎているにしろ、晩い秋の風に見事に燻された黄金色。

折からの低い朝日が、落ち葉積もる道に、風雪に絶えた樹幹の影を横たえる。







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道路沿いの落葉松も見事な裳裾を見せながら、堂々とした樹高で誇らしげに屹立している。

こんな善い光景はめったにお目にかかれない。

この場所はそれぞれの季節にそれぞれの類稀なる風景を顕すだろう。

そう確信した僕は、晩春の芽吹き、初夏の清冽、黄落の初秋に、きっと何回も訪れるだろう。

新たな楽しみが生まれた。

東信・佐久。

来てよかった。

また来る。



# by libra-mikio | 2018-12-01 19:26 | | Comments(0)
2018年 11月 29日

旅の宿

今回は母のショートステイが急に決まったものだからなかなか希望エリアでの宿が取れず、ようやく宿泊地を佐久に変えて、今夜の宿を取った。

その名も佐久ホテルという。

貧乏旅行だからもちろん素泊まりで、宿賃も、入湯税と消費税を合わせ5,816円。安上がりであると喜ぶ。



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チェックインを済ませ、初めてヤッカイになります、よろしくと仁義を切ると、中居さんが親切に説明をしてくれた。

まずこの宿では、あまちゃ・天茶(甘茶ではなく)を召し上がって頂きたい、この天茶は当地特産の・・・と口上。

更にお好きであれば天茶に焼酎を入れると大層美味である、と。

この説明は僕にとり実に有益な情報であり、早速いただく。

うん、美味、すこぶる美味。

あんまり飲むと風呂で倒れるので、今はそこそこにし湯を尋ねると、当館の湯は湯船の真下1メートルに源泉があり、コンコンと湧き出る湯は豊富なメタケイ酸を大量に含み・・・と口上。

すげぇ、ということで早速入湯。

風呂の写真は撮らなかったが、うーん、大地から出てきたばっかりといった泥臭さ(気分よ)があり、そこらヘンの小洒落た温泉にはない一本気ないい湯である。

(そして後々、この湯の凄さがわかってくるのだ)







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湯上がりに寝間着とドテラ姿でまたも件の囲炉裏に戻り、あまちゃでかっぽれの続きを行う。

改めて宿の様子を窺うと、かなり凝った造りである。

ここはホテルという名の旅館と考えてよいが、どちらかというと地場の名料亭として(佐久という土地柄)鯉料理が名物のようで、かなりハイソな面々が、しかし奥ゆかしく案内されながら行灯の灯る部屋に吸い込まれてゆく。

ふと目をやれば「当館の部屋名は実際に泊まった文人の名を使っている」との札が。

本当だ。

行灯をよく見れば、白秋さんとか、牧水さんとか、藤村さんとか華やかな名前の部屋が続く。

(更にそして後々、この宿泊者たちの凄さがわかってくるのだ)







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なんと、井泉水(せいせんすい)さんの間もある。

荻原井泉水。そう、尾崎放哉が師と仰いだあの井泉水である。

すげぇ、を心の中で連発しながら、偶然ではあるにしろ、またリーズナブルではあったにしろ、何という凄い宿を選んだことかと、かっぽれを踊りながらタマシイは佐久の夜空に欣喜雀躍したのであった。




凄さについての追記:

佐久ホテルHPより抜粋・・・

武田信玄も入湯し、謝礼に拝領した掛軸が残っています。中軸には長さ一尺、太さ一寸の円柱形水晶一本棒が使われ、覗けば旭が見えることから「旭湯」となったと伝えられています。(注:宿の名前とは別にこの源泉の名前が独立しており、旭湯と呼ばれる)

●若山牧水、島崎藤村、北原白秋、種田山頭火、小林一茶、葛飾北斎など文人墨客にも愛された温泉です。

白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりける(大正111014日 佐久ホテルにて 若山牧水)(注:あの、呑兵衛の聖句といわれるこの歌は、なんとこの宿に滞在中に詠まれたのであった!)

そして何より凄かったのは・・・中居さんと思い込んでいた人が、現在の女将であったこと!



# by libra-mikio | 2018-11-29 19:55 | | Comments(0)
2018年 11月 27日

The 秋

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霜月も下旬に入った信州は、里においてすら裸木に殯笛吹く荒涼とした風景であろうと思い描いていた。

ところがどうだ。行く先々で秋たけなわではないか。

塩田平の奥に向かう名もない道。

こんなに素敵な光景に出逢った。








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晩い秋にもかかわらず、熟柿、白銀の薄、黄葉の落葉松という役者が揃って僕を待っていた。

かぼそい道に穿たれた側溝を気にしながらクルマを停め、どこか野焼きの匂い漂う大気の中に出る。

そして気付く。

音が無い。

いくら耳をそばだてても、小鳥の地鳴きの他には全くと言っていいほど音がない。

風も、そよとも吹かぬ。







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大どかな光景は高いところから見るに限る。

そう思って土手を駆け上る。

間違いない。古人はうまいことを言う。

そして眼前の光景に見惚れる。

場違いも、そして意味違いも甚だしいが、ゴッホが弟テオに宛てたという手紙の一節が蘇る。

「・・・テオよ。僕はまるで日本にいるようだ・・・」



# by libra-mikio | 2018-11-27 21:42 | | Comments(0)
2018年 11月 25日

無言館への回帰

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1123日 昼前に無言館に着く。

館には入らず、周囲を歩く。

ここはどの季節が善いということはない。

いつも、善い。





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きょうは、無言館を包む森が黄葉している。

昼近くの冬の低い太陽がコナラの葉を透過する。

しかし此処を訪れる人は、優しい黄褐色を特に気に留める素振りはない。

此処に自然を愛でに来る人は居ない。

此処は 人為 の墓標であるから。





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無言館の奥まったところに 時の蔵 はある。

「戦没画学生の遺作、遺品を末永く保存し、修復してゆくための施設」だという。

「傷ついた画布、焼け焦げたスケッチ帳の一つ一つの命を・・・よみがえらせる」場所だという。

人目に触れぬ場所に密やかに建つ 時の蔵。





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無言館の壁は、一見、荒い。

窪島誠一郎氏は、館全体をカンバスにしたかったのだろう。

理不尽な時局に筆を措かざるを得なかった画学生のみ魂は、

九段下ではなく、塩田平の一隅の、カンバスで出来た建物を見つけ真っ先に帰ってくる、と信じたのだろう。





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僕が此処に来る時は、いつも無言館の碑に樹々の影が色濃く落ちている。

どんな季節も、朝も昼も、誰そ彼の頃でも。

この場所はハレでは決してないことを、訪れる者に伝える。

春夏秋冬、絶えることなく影に覆われ続けるという、無言のレジスタンス。





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それでも、いや、だからこそ、今、無言館を包む森は優しく慎み深い色彩で彼らを揺籃している。



# by libra-mikio | 2018-11-25 21:26 | | Comments(0)
2018年 11月 20日

リズム

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ふらっと北原白秋に関する文物が展示されている某所に寄った。

白秋を取り立てて好んでいる訳ではないが、「落葉松」や、「すずろかにクラリネットの鳴り止まぬ・・・」などには子供の頃から胸をキュンとさせてきた。


自筆と思われる「雲の歌」の展示に目を止める。

青空高う散る雲は

纖(ほそ)い巻雲(まきぐも)、真綿雲(まわたぐも)、

鳥の羽のやうな靡き雲(なびきぐも)、

白い旗雲(はたぐも)、離れ雲。

さて、この3行目だが、僕にとってはリズムが乱れる。

あくまでも詩であり、俳句・短歌でないのは重々承知だが、気分良く音読することが僕には難しい。

もしかすると故郷、柳河(現・柳川市)の言葉では素直な音の連なりなのか。

それとも明治・大正の世では美しい流れであったのか。


この原稿で僕を歓喜させたのは、(C.cirrus 巻、と書かれている部分である。

この書き込みを見て、僕は思わずアッと声を上げてしまった。

十種雲形cirrusの訳語を従来の巻雲から絹雲に変えようとした当時の気象庁の課長に楯突いたという、新田次郎の逸話を思い出させた。


前述のcirrusではないが、ある朝、富士にシンメトリックな笠雲がかかっていた。

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# by libra-mikio | 2018-11-20 20:58 | Mic記 | Comments(0)
2018年 11月 18日

可愛らしい観察者

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FujiX30の使い方を忘れてしまったので、久々にスナップがてら鎌倉でトレーニング。

このカメラを持って八幡さまに来るときに限って、舞殿で神前結婚が行われている。

以前もそうだった。





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前回もいらっしゃったかもしれないが、笙(しょう)に篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)など雅楽の演者も舞殿に上がり、雅な音を奏でていた。

このような雅楽ををたまたま居合わせて拝聴することができるというのは、やはり恵まれた土地であるなぁ。





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で、笑っちゃったのが列席者の女の子。

声も出さずずっと静かにはしていたが、もう後ろの雅楽に興味津津。

笙のお兄さんや、横にいる篳篥のおじさんを何回も何回も観察せずにはいられない。

そのお顔の可愛らしいこと!

大きくなってもこの日のことを覚えていてね。



# by libra-mikio | 2018-11-18 20:42 | Mic記 | Comments(0)
2018年 11月 15日

対話

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日増しに心細くなる母の聴力。

これまで大振りなジェスチャーを交えての会話をしてきたが、込み入った話になるとやはり厳しい。

ふと思いたち、伝えたいことを紙に書くようにした。

その効果たるや絶大で、話がトントン拍子に進む。

僕が伝えたいことを書く。すると母は即座に自分の意見を述べる。

僕が書き、母が口頭で答えるので、これは会話でも筆談でもなく、対話である。

さっきも、つい最近踏み切ったショートステイ(お泊り)に関する母の意見を聞き、大変に参考になった。

嬉しくなって次から次へと対話を試みた。

でも食事中だということを忘れていた。

急に、「食べた気がしないわよ」、と叱られた。

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# by libra-mikio | 2018-11-15 20:22 | Comments(0)
2018年 11月 11日

金魚

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薔薇の花園を金魚が泳ぐ。

今日も頭が麻痺している。



# by libra-mikio | 2018-11-11 20:07 | | Comments(0)
2018年 11月 09日

根源

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子供の僕が見たら間違いなく泣き出すであろう能面。

この日だって、出逢ったときに意を決して記録として撮ったまでだ。


しかし家に戻りこの写真をじいっと見ているうちに、美しいと思うようになった。

スイッチが入れば、もう、どんどんこの面が愛おしいほどに可愛いとさえ思えてくる。


和の美。

こんなにも素晴らしいものがあったのだ、と内奥の声が叫ぶ。

日本の美の、人における美の、根源であるやもしれぬ。



# by libra-mikio | 2018-11-09 21:44 | 陰翳 | Comments(0)
2018年 11月 07日

反省

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母がデイサービスに出かける時はいつもお迎えの係の方が我が家の玄関の中まで来てくれる。

今朝、その女性に母を引き継ぐ際、いつもとは違い、彼女が急に満面の笑みで「お変わりはございませんか?」と僕に尋ねた。

いやぁ、母はいつもどおりですよ、と答えようとした矢先、彼女が続けて「ご家族の方もいろいろ大変ですものね」と、身振りを交えて暖かく言った。

数瞬キョトンとしたのだがすぐに理由がわかった。

実は母が玄関で、自分では持たなくても良いタオルなどが入ったバッグ、いつも係の人が持ってくれるはずのバッグを自分で持とうとし、無理な姿勢で体をひねり、土足で框に足をかけのだ。

そしてその際、僕は舌打ちをしながら「そんな事はいいんだよ」と独り言を言っていたのだ。

耳ざとくそれを聞きつけた彼女が即座の判断で、僕にやんわりと気づきを与え、且つ親身になって僕を気遣ってくれたのだった。

彼女に対する感謝が湧き起こると同時に、恥じ入り、反省した。



# by libra-mikio | 2018-11-07 19:17 | Mic記 | Comments(0)
2018年 11月 06日

キュートな記憶

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むかーしむかし、サンスターからキュートサンスターっていう歯磨きが出ていました。

CMには、あの、ダニル・ビダルちゃんが出ていました!

あの、と言っても既にほとんどの方がおわかりにならないとは思いますが、僕はぞっこんでした。

ちゃんと、キュートサンスターを買って歯磨きをしました。

透き通ってるってホントかななんて、CMソングを歌いながら。

母が買った「女性自身」の裏表紙にビダルちゃんのキュートサンスターの広告写真があり、僕は切り取ってベッドの枕元に貼り付けたものでした。


この薔薇の少女を見たとき、あんまりにもキュートだと思い、そういえばキュートって言葉、最近聞かないなぁなどと思った途端にビダルちゃんの笑顔と歌声が、見えて聞こえてきたのでした。

記憶って不思議だと思います。



# by libra-mikio | 2018-11-06 21:16 | Mic記 | Comments(0)
2018年 11月 04日

豚炭火焼肉丼

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R141、佐久甲州街道の、韮崎から北上して小海線と交わる海ノ口の踏切を超えると、すぐに左側に現れるレストラン、ストローハット。

可愛い黄色い麦わら帽子の看板が目印だ。

ここの豚炭火焼肉丼が秀逸なのである。実に美味い。

何年も前にこのお店を知り、その後一時期メニューから消えていたが、「裏」的に頼む人が多かったとみえ(僕も頼んだことがある)、今回の旅ではちゃんとメニューに復活していた。

この日朝食抜きで出発した僕は途中のコンビニで塩むすびを買っただけ。

韮崎で既に12時を迎え、そのへんのラーメンでもなんでもとりあえず食うか、いやいやストローハットまで空腹を維持してお目当ての丼を食うか、と煩悶しながらクルマを進め、結局意地を通してストローハットにたどり着いた。

思わずご飯大盛りで、と頼んだのだが、これが本当に大盛りで、おそらくお肉も大盛りで、食べても食べても無くならず、白状すると途中で後悔がよぎったほどだった。

でも厨房に敬意を表して完食。

何という充足感!





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僕の好きな角の席が空いており、そこから眺める信州の秋は、まだ紅葉は若いものの、実に優しく目に写った。



# by libra-mikio | 2018-11-04 18:51 | 食べ物 | Comments(0)
2018年 11月 02日

けっこう怖い夜の懐古園

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小諸懐古園は95時の営業時間帯は幾らかの入園料がかかるが、その時間帯を外すと切符売り場は無人となり自由に入ることができる。

夜の上田城にも行ったが、上田は大きな街だからお城の中をジョギングする人が絶えない。

でもここは、空が暗くなったら、人っ子一人居なくなる。

懐古園には谷を挟んだ同じ敷地内に動物園がある。

その方角から、なんとも言えないオンジョウが聞こえては止み、止んでは又聞こえる。

動物の寝言だと我が身に言い聞かせても、甲高いみゃ~う、とか、低いじゅる、とか不規則に聞こえると、なんとも言えない気分になる。

そして人気(じんき)というものがまったくない中、曲がりくねった道を進むと突然神社が現れる。

既に怖い。





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気を取り直して鳥居をくぐると小さな池があり噴水が慎ましく水を上げている。

街灯に照らされる噴水の後ろに周り、水の飛翔を撮ったのだが、暗闇から撮るというのは自身が暗闇に入るわけで、いつ何時急に肩をぽんと叩かれてもおかしくはない。

それが妙齢の御婦人だったらいいのだが、妙齢とはいえ、顔に目鼻がなかったらどうしよう。

のっぺらぼうって、普段は愛嬌すら感じる話だが、こんな暗闇では、やっぱり出逢いたくはない。





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あれこれ下らぬ怖さを自ら創り出し、季節外れの肝試しを楽しんだ訳だが、帰り際になんの変哲もない城郭の曲がり角に来たとき、この城の歴史というものがふいにどっと襲ってきた。

人が一番怖いのはお化けではなく、人の営みの残骸なんだということが問答無用でわかった。



# by libra-mikio | 2018-11-02 21:29 | | Comments(0)
2018年 11月 01日

小諸、夜

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小諸駅。

まだ18時を過ぎたばかりだが日はとっぷりと落ち、ホームに停まった列車の佇まいはもう夜中のようだ。

なんだか、ぴぃーという汽笛が聞こえてきそう。

ふと振り返ればトランクを下げて遠ざかっていく寅の背中が見えるような・・・。





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北国街道の光岳寺にほど近い老舗のつるやホテルに泊まる。

夜の町を撮ろうと宿を出ると、その斜向いにある味噌屋の風情が、もう既に旅愁をかき立てる。

いいなあ。

ここに住んでいる人にすれば日常のことだが、僕にとっては極上の非日常。





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この街灯に照らされた駅前広場の端にある紅葉も、幾度となく秋の小諸で再会している。

来る度に、同じような時間帯に同じような角度でレンズを向けてしまう。

遠い小諸に住む旧友のような



# by libra-mikio | 2018-11-01 21:05 | | Comments(0)