Mickey's world

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2019年 05月 26日

気分を変えて初夏うみ散歩

気分を変えよう!なんて素敵なお天気だろう!

朝の海にはもうたくさんの人がいる。

ワンコは何を見つけたのかな?

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うん、湘南のハワイアンポスターだが、今日みたいな日にはとっても合ってる。

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ついでに少し足を伸ばしてオヤジの墓参り。

腰越の満福寺は山門の真下を江ノ電が走る。

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このお店は確か満福寺の住職の妹さんがやってる。

お店のボードにいつの間にか ”Wa” がついてる。

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観光地曳の季節も始まった。

みなさん今日の海を思いっきり楽しんでね!

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# by libra-mikio | 2019-05-26 08:48 | | Comments(0)
2019年 05月 18日

requiem

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突然に飛び込んだ以前の部下の訃報

ありえない

お前は俺より二回り近く若いんじゃないか

なんなんだよ







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俺は今日、薔薇を撮ったが、まさかお前への枕花になるなんて

・・・たくさん撮った中から、

いや、言葉は隙間だらけだ

とにかくお前に花を贈る

お前は俺よりずっとずっと優れていたぞ







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お前はまだ結婚もしていなかったな






























# by libra-mikio | 2019-05-18 21:40 | | Comments(0)
2019年 05月 12日

ぞうさん

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何度も書くが、ヒトには出会って然るべき「とき」があると、本当に思っている。

きょう僕は、まど・みちおさんの「ぞうさん」に、満を持して出逢った。

出逢いのきっかけは令和への御代代り、たまたま聞いた深夜のラジオ、そして英会話スクールでの講師の発言。

これらが直接間接にまど・みちおさんに焦点を結び、今日詩集を買いに出かけた。


早速目を通していると、なんだかすごくほっとしてきて、すごく柔らかな気分になって、本を手にしながら30分ほど眠ってしまった。

退屈とは違い、揺り籠の優しさで寝ることはこれまでなかった。

どの詩も優しい。もちろんヘンテコなやつもあるが、それだって、やはり優しい。

理由など考える必要もないが、編者あとがきを読んでその訳が判った。

そこには、大親友の阪田寛夫さんがまどさんから聞いた話、という形でこう書かれていた。

『「ぞうさんの詩は、どんな読まれ方をしたって構わないんだけど、でも自分ではこう読まれたがっているんだ」とまどさんは言います。それは、ライオンやカバやキリンたちが「やあい、きみの鼻は長くておかしいや」とからかっても、ぞうの子どもはへこたれるどころか、自分の長い鼻を空にかかげて「そうだよ、母さんの鼻だって長いんだもん」と自慢します。だからこの詩は「ぞうに生まれてうれしいぞう」なんです、と』

『「自分が自分に生まれてよかったな」と喜ぶ詩は自分の存在を肯定する「存在の詩」です』


編者は『自己の存在を肯定する「存在の詩」』というけれど、もうそのものズバリ、自己肯定の詩なんだ。

なるほどなぁ、だから一連の詩を読みながら僕は揺り籠に入れたんだ、61歳にもなって・・・。

そう、「ぞうさん」だけではそこまでは判らないけれど、一連の詩を読めば本当に自分に優しくなることができる。

こんなに優しい気分になったのは何年ぶりだろうか。

僕は決してペシミスティックな男ではないが、それでもずいぶんと自分を追い込んできたのだろうな・・・


そして、「61歳にもなって」と書いたが、「自分が自分であることに年齢は関係ない」んだな、ということにも、今気がついた。

まど・みちおさん、ありがとうございます。

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# by libra-mikio | 2019-05-12 16:43 | | Comments(0)
2019年 05月 08日

かたくり 夢のような

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今はもうかなり過ぎてしまったことのように思える。

僅か一週間ほど前のことなのに。

とある信州の高原にかたくりの一叢があることを知っていた僕は、その可憐を求めて走っていったのだ。

彼女たちは僕を裏切らなかった。

夢のように咲いていた。







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そこは、かたくりと水芭蕉が一緒に咲く場所だった。

でも時期を少しでもずらすと、どちらかが若すぎたり、どちらかが辛そうに見えたりすることも知っていた。

今年は良かった。

どちらも元気に、しかしひっそりと咲いていた。






















# by libra-mikio | 2019-05-08 22:15 | | Comments(0)
2019年 05月 03日

海里diary ’19/05/02

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里見と称して里山の風景を愛でる風趣は出来上がった。

でも僕が住む海でもそれをしたい。

そうだ、海里(うみざと)という言葉を造ればいいんだ。

ということで今後折りに触れ、海里diaryを書いていこう。

(里海にしない理由は、映画・海街diaryが大好きだからです)


昨日のことだが、あ、焼けるな、と思った。

日没に合わせ、カメラを持って家の前の海に行った。

疲れたサーファーが上がってきた。

人影があって初めて海里が成立する。







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この木組みは地引網の殿網(とのあみ)さんのもの。

僕にとって見慣れたものなのだが、今、これが何のために使われているのか思い出そうとしても思い出せない。

それだけ心象風景に溶け込んでしまっている。

しかしこの木組みのおかげで、海里での人の息遣いが少しだけ感じられる。

不可欠な、人の息吹である。























# by libra-mikio | 2019-05-03 20:45 | | Comments(0)
2019年 04月 30日

自然への畏敬 環水平アーク 幻日環!

久々にネイチャーフォトを撮ろうと信州に向かった僕は、八ヶ岳を遠く望む田園で、まさに畏敬の念を抱かざるを得ない気象現象、大気光象に遭遇した!





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畦のたんぽぽを一生懸命に撮っていた。だからずっと下を向いていた。

何気なく顔を上げた僕は声にならない悲鳴を上げた。

何だこれは!

焦ってレンズをマクロから広角に変える。

これってもしかして環水平アークじゃないか?

かつて一度だけ環天頂アークを見たことがあるが、それ以来この環水平アークに憧れていた。

気持ちが昂ぶる。とうとう出逢えた!







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アークの一部の色が、光が、どんどん強くなってくる。

これまで見たどんな虹よりも光り輝く。そう、輝いている。

強い光の部分は少しずつ場所を変えたり、同じ場所で更に強くなったり、薄くなりかけたりしている。

そう、アークはアークの中で変化している。

音は聞こえないが、音が聞こえても不思議はないほどだ。

アークの変化のスピードは極ゆっくりとしたものだが、TVで見る揺れ動くオーロラの妖しさに似ているかもしれない。







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アークの大きさを記録するため、八ヶ岳を同じフレームに収めた。

アークの長大さが判っていただけるだろうか。

この環水平アークは実に長い間、おそらく1時間以上中空に掛かっていたが、その出現は非常に唐突であった。

下の写真はほぼ同じ写野をほんの15分前に撮ったものだ。

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この時アークは存在しない。

今データを見ると、下の写真は2019/04/28 10:59:37、上の写真は11:14:19

この15分の間、僕はたんぽぽを見つめていた訳で、そこから何気なく目を上げた瞬間、心の中でギャッと叫んだのだ。

アークの出現が如何に唐突なものであるか判るであろう。







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実はこの時、同時に幻日環も現れていた。

太陽を中心とした円は22度ハロ、いわゆる太陽暈であるが、その右、太陽を縁に置いている円が幻日環だ。

幻日環なんて、これまで見ることを夢想だにしなかった。生きているうちに見るなんて考えたこともなかった。

しかし何ということであろうか、今、頭の真上にある。しかも円全体が見えている!

僕が雲の教科書として使っている「雲のカタログ(村井昭夫・鵜山義輝共著)」によれば、そのレア度は★4つ、更に全周の幻日環は更に★2つ、つまりその教科書では最高のレア度となっている。

超レア!

今こうして書いていても興奮してくる。

但しこの教科書に於いても、別の「雲を愛する技術(荒木健太郎著)」に於いても、幻日環の図説は非常に長大に描かれており、この写真のように22度ハロと同じ程度の大きさでは全く無い。

また、この写真のような図説は無い。

するとこれは本当に幻日環なのか判らなくなってくる。

でもいい。ちゃんと写真に収めているのだから、事実はこうだったのである。







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おしまいは、これらの天空ショウをまとめた写真である。

得難い一枚だ。

冒頭にも書いたが、今回の目的はネイチャーフォトだったので広角レンズを持ってきていた。

もしも今回の旅の目的が人文フォトであれば広角は用意しなかった。

文字通り、平成の最後に授けられた天啓である。

























# by libra-mikio | 2019-04-30 10:49 | | Comments(2)
2019年 04月 27日

平成最後の坐禅会

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大連休の初日だというのに、今日の鎌倉は吐息が白くなるほど冷え込んだ。

おまけに午後には雨も本降りとなり、円覚寺を訪れる観光客は数えるほどしかいなかった。

居士林の前で入門を待っていると、小さなお嬢ちゃんと若いお母さんが現れた。

いつもの習いで、坐禅をするにもついカメラを持って家を出たが、こういう光景に出会うとは思ってはいなかった。







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僕の今日の坐禅は、平均点以下だった。

結跏趺坐が痛い。数息観がうまくいかない。そもそも背筋が伸ばせない。

足の痛みはともかく、数息観・背筋の方はうすうす原因が判っている。

なんと、腹が出てきて腹筋背筋が減衰し、背筋が伸びない腰を入れられない腹式呼吸ができない、

の三題噺なのである。

すぐにでも矯正に入らねばなるまい。







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坐禅が終わって表に出ると雨はほとんど上がっていたので、帰る前に寺域を散策した。

あちこちにある石仏も氷雨に濡れたが、それでも新しい緑に囲まれて、なにか充足感のような、言葉にはできない安堵感をまとっている。

なるほど、仏様である。


・・・これまで平成最後の、という言葉を使う機会がなかったのだが、図らずも今日の円覚寺居士林での土曜坐禅会が、それにあたった。

しかし、書いては見たものの、あまり意味はない。

























# by libra-mikio | 2019-04-27 20:17 | Mic記 | Comments(0)
2019年 04月 22日

ねかはくは はなのもとにて

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ねかはくは はなのもとにて 生きめやも その卯の月の 望月のころ



堀辰雄の「いざ生きめやも」は誤訳の典型として知られているそうだ。

本来、ヴァレリーの「Le vent se lève, il fauttenter de vivre」は、「風立ちぬ、生きてみよう」ということらしいが、堀辰雄訳では「死んでも仕方ないなぁ」とのニュアンスになるという。

でも様々な人が言っているように、「いざ生きめやも」の語感は、なんだか前向きなトーンを持っている。

では、それを土台にしよう。


「僕は桜咲くこの花たちと一緒に、生きてゆきたいな。この4月の満月に、あらためて、そう思うのさ」


西行さん、辰雄さん、ごめんなさい。






















# by libra-mikio | 2019-04-22 22:46 | 季節 | Comments(0)
2019年 04月 16日

里見 2019/04/16

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県道を走っていたら右手の丘の中腹に桜色と黄色が見え隠れした。

あそこに行けるかな。

なんとか当たりを付けて細い道を登ってゆくと、お目当ての場所に辿り着けた。

小さな社だった。

しかし道はなお上へと伸びている。

どうせ社を建てるのならば、天辺が良かっただろうにと、僕はさらに坂を登る。

ようやく天辺に着いて、なるほど、社はあそこしかなかったんだと感得した。

何故ならば、その天辺からは地形が邪魔をして、下の集落が見通せないのだった。

氏神様には常に自分たちを見守ってもらいたい。

そんな至極当然なことを、改めて静かに感じた。







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帰り際、また別の丘の中腹に大きな桜を見た。

今度は近くには行かず、望遠レンズで切り撮った。

時間がないことも理由の一つだが、こちらは明らかに人が普段どおりの生活をしている場所そのものだ。

通りすがりの者がずかずかとその生活圏に分け入ることに、幾分の引け目を感じた。

いくらカメラを持っていても、それは免罪符にはなるまい。

里見には、人としてのマナーが要求される。






















# by libra-mikio | 2019-04-16 20:51 | | Comments(0)
2019年 04月 13日

里見 さとみ

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四季折々の里が好きだ。

だからさっき、花見ならぬ里見、さとみという言葉を造った。

里見はいつでもできる。何でもっと早く気づかなかったんだろう。


四季の変化はもとより、雨でも嵐でも、夜でさえも里見の楽しみはある。

里見とは、自然と人が織りなすハーモニーを鑑賞することだ。


谷というには小さいが、道路から少し降りたところに桃色と白に咲き分ける美しい樹を見つけた。

きれいな風景写真を望むのであれば、後ろの錆びたトタン屋根をどう隠そうかと努力するのだろうが、僕はそれを敢えて背景にする。

初めて見る光景なのに懐かしい。








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桜の下の護岸が崩れて流れが変わった分、右の岸が少し後退している。

川は自分の水の流れの幅を意地でも確保したいのだろう。

桜はといえば、もう旬を過ぎているようだが、僕にとってはなんの問題もない。

今この時のこの場所の、人と自然との調和こそが僕が切り撮りたいテーマであるから。
























# by libra-mikio | 2019-04-13 21:10 | | Comments(0)
2019年 04月 10日

うたかた

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真っ白な山桜が山肌のあちらこちらに見え隠れする風情は好きだったが、ピンクの桜は苦手だった。

しかし何かをきっかけにしてピンクも好きになった。

そのきっかけが何であったのか、当の僕自身にも判らない。


近所に日大の農獣医学部、いや今では生物資源学部というのか、とにかくその農場がある。

そこには大きな桜達がいる。

先日、朝早くに訪れると、花曇りの乳白色の空に昇った太陽に照らされた桜たちが清楚だった。







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誰でもが狙いそうな構図だが、やはりしなだれる枝先から更にお下げ髪のように揺れる花房には心惹かれる。

幼女なのか、少女なのか。

姉妹を持たない僕には、幼年期に持った姉妹への憧れが残っている。







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たくさんの桜たちが一斉に花を付け、一気に咲き誇る。

しかしその花たちが華麗である時は短い。

花のもとではなく、こうして遠望していると、花たちの命までが俯瞰できてしまうようで、なにか哀れを感じる。

古来日本人は桜に対し、その哀れをも含めて敬愛の念を抱いてきたのだろう。

うたかた、などという言葉を想い出す。

特に今夜のように冷える夜には。






















# by libra-mikio | 2019-04-10 20:30 | 陰翳 | Comments(0)
2019年 03月 31日

放哉 Mar. 31, 2019



落 つ る 日 の 方 へ 空 ひ と は け に は か れ た り    放哉


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久々に放哉の自由律俳句に写真を付けたくなった。

いや、正確に言えば、今日僕が撮った写真に、放哉の句集からsuitableな句を探すのである。

これがなかなか難しく、すぐに見つかることは滅多になく、作句と同じくらい苦吟する。


夕空になる前、今日は焼けそうだなと思った。

家の片付けを終え、焼け始めの空を遠望しながら浜に出る。

すると、思った光景とは少し違っていた。

違ってはいたが、綺麗だった。

今は長潮だが、夕暮れには大きく潮が引き、濡れて黒々とした波打ち際が広がり、自然の鏡を作っていた。

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# by libra-mikio | 2019-03-31 22:42 | 放哉 | Comments(0)
2019年 03月 27日

夢 或いは夢のような

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たまには夢が見たくなる。


キング牧師の高邁な夢もあれば、漱石の幻妙な夢もある。

独歩の凛とした夢もあれば、こうせつの一夜の夢だって共感する。


僕はといえば、高台から遠くを見下ろすことで夢見心地になれる。

逆に低まったところから丘の上を見上げるのも好きだ。


朝の早い時間に大磯の小高い丘から海を見下ろしていた。

夢のようであった。

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# by libra-mikio | 2019-03-27 22:33 | | Comments(0)
2019年 03月 24日

源平

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一本の木に紅白の花がつくことを源平咲きという。無論、源氏の白旗、平氏の赤旗に由来する。

何故一本の木に紅白の花が咲くのか。

本来、赤い花が咲く枝にはアントシアン・・・紅葉の季節になるとお天気お姉さんが良く話題にする・・・があるので赤くなるのだが、そのためには多くの酵素が作用し合う過程が必要になる。

この酵素の働きが一つでもうまくいかないと、赤い花にはなれない。のだそうだ。

この季節、源平咲きがよく見られるものに、梅と桃がある。

桃はももいろ、という如く、元来は赤系なのだろうが、梅の場合は赤い梅をあえて紅梅というように、元来は白系なのだろう。

すると紅梅は本来の梅が二宮尊徳のように努力したもの、白い桃は本来の桃が怠けてなっちゃったものと思われる(かなりアイマイなのでもうやめる)。

閑話休題、いずれにせよ源平咲きは美しいし、蜜を口実におびき寄せられるハチだってここにやって来るのは満更でもないだろう。







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七面倒臭いことは抜きにして、純粋な色の対比を楽しもう。

(だってこれ、既に花の源平じゃないものね)

乱れ咲くユキヤナギの純白を背に、花桃がはしゃいでいる。

余程嬉しいだろうその声が、聞こえてくるような気がする。






















# by libra-mikio | 2019-03-24 21:52 | | Comments(0)
2019年 03月 23日

甘く危険な香り

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Yokosukaどぶ板通りは、日が落ちれば甘く危険な香りに包まれる。

通りすがりのスナップシューティングなんて、とても上手ければ話は別だが、どぶ板での僕は、周りの誰からでもわかるようなオノボリサンを演じることで、堂々と立ち止って撮ることにしている。

それでもたまにはボブサップ張りのマッチョに叱られることもある。





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HOTEL  NEW YOKOSUKAはなんと じゃらんあたりで高評価を得ているのだが、どうしたって入る気にはなれない。

まあ、僕には泊まる理由もないが。







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僕もこれまで、いくつかの外国も含め様々な飲み屋で飲んできたが、ここまで妖しいムードの店は知らない。

もちろん常連じゃなきゃ来ないだろうけど、どうやったらこのカウンターの常連になれるのだろう?
























# by libra-mikio | 2019-03-23 22:47 | | Comments(0)
2019年 03月 19日

雨の贈り物

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横須賀駅で降りたとき、降って来るかもしれないという貘とした予感はあった。

そして、濡れ始めたらばきっと傘を買い求め、しかし傘売り場は容易に見つからず濡れ鼠になり、いざ傘を手に入れて表に出たら、おそらく雨は上がるのではないか、という予感もあった。

善い方向の予感はとんと当たらぬが、このような愚にも付かぬことにかけては妙に予知能力が高い。

そうなった。


しかし雨は僕にこの上ない贈り物をくれた。

土曜の夜。

気温も下がり、散策する人とてない、静かな夜。

それが僕にはまたとない贈り物だ。










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街路灯も人に役立つ人工物だが、サン=テグジュペリのガス灯のような風情はない。

一方椅子に僕は深い人間味を感じる。

椅子に人間味・・・と言っても江戸川乱歩の椅子男とは違う。

荒涼とした、或いは寄る辺無きがごとく眼前に拡がる景色の中に若し椅子があったら!

その時僕は声を呑み込みつつも、僕は一人じゃなかったんだ、という安堵を覚えるのだ。







































# by libra-mikio | 2019-03-19 19:49 | | Comments(2)
2019年 03月 16日

寂しいカタクリ

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相模原にカタクリの自生群落がある。

早く目覚めた今日、昨夜から決めていたその場所へ行った。

8時前。気温は10度に満たない。時期がまだ早かった。

本来なら夢のようにカタクリが辺り一面に咲いているはずだった。





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群落の外周を何度も回っているうちに、幸い薄雲も取れ、気温も少し上がってきた。

すると、気づかぬうちにあちこちで花が開き始めた。

自然の摂理とは本当に大したものだ。

僕の眼は高速度撮影のようではないが、もし機械を据えていたら、肩をすくめてすぼんでいたカタクリが音もなく開き、その花弁が徐々に反り返っていく姿が捉えられたろう。





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10時を過ぎた頃にはいかにもカタクリらしい姿を僕に見せてくれるようになった。

でも思うんだ。

カタクリが一生懸命に咲こうとする姿は、なんとなく寂しかった。

僕自身の来し方をカタクリが投影しているようで。

せめて今日君たちは、はじめから美しい姿を僕に見せてほしかった。

そんな気がした。

























# by libra-mikio | 2019-03-16 23:33 | | Comments(2)
2019年 03月 11日

この8年

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あの地震、大津波、そしてその後の過酷な状況により命を落とされた方々のご冥福をお祈りする。

どんなにか苦しく、冷たく、恐ろしかったことであろう。

また今なお苦しみの継続を余儀なくされている方々に対しては掛ける言葉を失う。


3.11はすべての日本国民に人生の節目を強制的に焼き付けたのではないだろうか。

これだけ各人の価値観が渾然とし相対化した現世にあって、「あの日」は絶対的に共通した「時」になった。

あの「時」以来もちろん各人各様の来し方があるが、今ある個々人の出発点は一様にあの日なのではないか。

あの日から8年が経った。


僕にとってのこの8年はどのようなものであったか。

たまたま壮年期であったことも手伝い、実に様々な出来事に遭遇し、様々な判断をし、様々な結果を得た。

或いは、残念ながら結果を得られなかったこともある。

でも一つ言えるのは、多少気恥ずかしい言葉ではあるが、がむしゃらに鬼神のように働いた、ということだ。

僕にとってこの8年は、あたかも20年に匹敵するくらいに内容の濃い時間であった。

そして僕は、その期間になし得たこと、なし得なかったこと、褒められたこと、まさかのように謗られたこと、すべてをひっくるめて、自分の行為を肯定する。

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# by libra-mikio | 2019-03-11 22:06 | 陰翳 | Comments(0)
2019年 03月 10日

破れ庭の沈丁花

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先週も先々週も沈丁花を探していた。

近所の家の庭に気の早い株があり、もうその頃から馥郁たる、そしてどこかアンニュイな香りを奏で始めていた。


でも、小奇麗な庭先の、まあるく刈り込まれた沈丁花ではなく、なにかこう、型にはまらず勝手に咲く姿が見たい。

ないものねだりは小さい頃からの性であり、これはもう変えることは出来ないし、変える気もない。


今日、鎌倉扇ガ谷の海蔵寺に続く道を歩いていると、あの香りが濃厚に漂い始めた。

どこだろう。

すると、もう今は誰も住んでいないと思われる古い家の庭に、この沈丁花は咲いていた。

全くのぼうぼうという訳ではないが、久しく手入れがなされていないのは一目瞭然だった。


素敵じゃないか!

僕が願っていたとおり、純白と紫紺の花が、破れ庭に咲き競っていた。

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# by libra-mikio | 2019-03-10 21:07 | | Comments(0)
2019年 02月 26日

大きな木

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梅林の梅まつりを悪く言う気はないが、僕は自由奔放に咲く梅が好きだ。

この農家の庭先では、白梅紅梅が見事なまでに咲きあげている。

なんとも爽快じゃないか。

この家の人が羨ましい。







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みかん山と畑の境にも大きな白梅があった。

そもそも僕は大きな木が好きなのだ。

どんな樹種であれ、大きな木はいい。

見ていてスカッとする。







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軽トラが停まるすぐ脇の紅梅はまだ若い。

今、青春の入り口くらいかな。

あと10年もすれば、見ごたえのある姿になろう。

あと20年もすれば、更に大きな木になり、もしかするとまた遠くから写真を撮る人が現れるかもしれない。

きっとその人は言うだろう。

「僕は大きな木が好きなんだ」
















# by libra-mikio | 2019-02-26 22:44 | | Comments(0)
2019年 02月 24日

素敵な週末

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先週、痛風発作におそわれた。慣れてはいるがどうにも歩けない。仕方なく水曜、木曜と会社を休んでしまった。

土曜日。坐りたい。でも坐れるだろうか。

午前中、坐布を厚めにして恐る恐る自宅の客間で試すと、痛いところは無関係なことが判った。

これなら行ける!


足を引き摺りながらの午後の円覚寺。居士林の坐布をいつもより2枚多く借りて坐ると、なんとも快適なのである。

おまけに坐布を厚くしたことにより、結跏趺坐が実に容易にできることが判った。a full lotus positionだ。

結果として結跏趺坐が貫徹出来た。これは僕にとり素晴らしいことだ。


今日、写真を撮りに出掛けたが、昨日の坐禅の出来が良かったせいか、車の運転が何時になくおおらかだった。

人は人。自分は自分。

しかしもちろん自分は相手が有っての相対的なもの。

であれば相手にとって僕も作用している訳だ。では僕は、その方に悪い作用を与えなければ善い。

たったこれだけのこと。


昨日今日と、素敵な週末を過ごせたことに感謝!

















# by libra-mikio | 2019-02-24 20:29 | Mic記 | Comments(0)
2019年 02月 16日

匂いの境界

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今日、円覚寺居士林で坐っていた時、新鮮な感覚を得た。


居士林では当然のことながら線香が焚かれる。

甘すぎず、絶妙で実に深い香りである。


坐っている。

線香の香りに包まれている。

すると風が起き、全開の窓から外の冷気が入って来る。

その空気が僕をよぎる時、はっきりと、線香の領域と外気の領域の境界が感得出来た。

その境界は変化の過程を踏まず刹那に切り替わった。

鼻孔に入る外気は、これまで感じたことのない、この上なく清冽なものだった。


その境界を感得できたのは、ほんの数瞬のことだった。

それは3回起きた。

何という満足感であったことか。


正直に言う。

願って止まないその至高のときは、その後、二度と訪れなかった。






























# by libra-mikio | 2019-02-16 22:53 | Mic記 | Comments(0)
2019年 02月 13日

習うより慣れろ

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恥ずかしながら、お正月から英会話学校に通い始めた。

それも昨冬のボーナスを奮発して、個人レッスン形式の学校だ。

若い頃はアメリカ、カナダで商談もこなした僕だが、あれから30有余年が経ち、なんたってコトバが出てこない。

時制に関する文法も怪しかったが、この前のインフルエンザ休暇(笑)の際、改めてグラマーの本を読み、完了形のなんたるか、はたまた「私はその試合を見て興奮した」がなんで、「私はその試合に興奮させられた」ではなく「その試合は私を興奮させた」のほうがネイティブ感があるのかなど(主語の問題ね)、不得要領ながらなんとなく納得はした。

でも、納得したということは「知った・知ってる」ということであり、「使える」には程遠い。


ネイティブ感、と書いたが、そもそもネイティブ自身も意外と文法的になぜそうなるかという理由を知らないことが判った。

例えば、be angry with someone というフレーズがあるが、なんで前置詞が with なのか?

angryという以上、~に対してとか、~に向かってという趣がある。それがなぜ「いっしょに」とのニュアンスの with を使うのか。

これをその日のインストラクターであるシドニー産のデイヴィッドに訪ねたが、結局「うーん知らない、でも皆そう言ってる」とのことであった。

ところがどっこい、インフル休みに読んだ本には「そもそもwith にはvs. の意味があった」と書いてあった。

なるほど、それなら良く判る。


何がいいたいかと言うと、結局つまるところ、ネイティブだって何故そうなるのか判らずに使っている、という事実を認識した、ということだ。

つまり、習うより慣れろの世界なんだな。

「知」ではなく「実践」。

これはもう、禅の世界である


北鎌倉 円覚寺。

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# by libra-mikio | 2019-02-13 21:55 | Mic記 | Comments(0)
2019年 02月 11日

福寿草

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福寿草。

世の中にこれほど善い名前のものがあるだろうか。


浅い春に凍えてくすんだ地面を割って、こんなにも明るい姿を僕たちに見せてくれる。

天からの光が地上の彼女に降り、彼女は光り輝く。

その輝きは、僕らに希望を与える。


福寿草。

その輝きを僕は慈しむ。


北鎌倉 円覚寺。

















# by libra-mikio | 2019-02-11 21:55 | 季節 | Comments(0)
2019年 02月 03日

冬があるから春が来る

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何の屈託もない時間を持つことができるとは、何と素敵なことなのだろう。


折しも小春日和の中、植物たちがどうなっているのか知りたくて、久々に表に出る。


マグノリアの花芽が、もうしっかりとデビューの準備を始めている。

梅たちも負けてはおらず、先に舞台に立った菜の花との競演を夢見て蕾を膨らませている。


改めて、冬があるから、春が来るのだと実感する。

そして、冬に春待つ心の人でありたい、というあの墓碑銘の意味が、今更ながら判ったような気がする。

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# by libra-mikio | 2019-02-03 20:53 | Mic記 | Comments(2)
2019年 02月 02日

天体望遠鏡!!!

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母が入所した当初はマジで母ロス気分であったが、今日、電動ベッドやあちこちに設置していた手摺などを片っ端からレンタル業者に返却したら、気分がさっぱりと切り替わった。


ほぼ1年前に、天体望遠鏡をゲットしたと書いた。

その経緯であるが、僕の定年の区切りに会社がプレゼントカタログをくれた。

高級温泉旅館のクーポンや、神戸牛など盛り沢山であったが、最後まで迷ったのが、ユニセフへの寄付と、この天体望遠鏡だった。

ずいぶん悩んだ末、最終的に望遠鏡を選び、1年前の正月に手許に届いたのだが、様々な状況により開梱もせず大事にとっておいた。

そして今日突然、今晩こいつで星を見ようと決め、組み立てた。


40年以上前に本気で星を見ていた頃に使っていたタカハシ製作所製望遠鏡(TS80mm屈折赤道儀)に比べればおもちゃである。

そう思いつつ、オリオン座のM42星雲、おうし座のM45、大犬座のM41散開星団などをを見たのだが、その印象ったら、もう素晴らしいのである。

おもちゃと思った光学系は70mmF10の明るさで収差も目立たず、付属の26mm接眼鏡で見るプレアデス星団の美しさには息を飲んだ。

思わずうなった。

これで架台がしっかりしていれば言うことはないが、逆にどこにでも持っていける、軽くて素晴らしいおもちゃと考えれば何の問題もない。

プレアデスの乙女たちをこんなにも美しく見せてくれた天体望遠鏡に、今、少し感動している。
















# by libra-mikio | 2019-02-02 21:54 | | Comments(0)
2019年 01月 30日

入所

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とうとう母が、特別養護老人ホームに入所した。

これまでの自分の気分では、入所出来た!という一色で良いはずだったのに、入所してしまった、という想定外のマインドが押し寄せている。


入所は昨日のことである。

年末から今まで文字通り、実にすったもんだ、紆余曲折があったが、決まるときは速いものだった。


そして想定外の母ロスの心境である。

自分で自分に対し、えっ、母ロス?、って突っ込んでいるが、彼女が居なくなった部屋のがらんどうさはなんという虚ろだろう。

あ、母は存命で、ただホームに行っただけなのだが、最後のひと月、また転ばれちゃたまんないということでトイレに行くにも、居間に行くにも、すべて手を引き、腰を抱えての作業を繰り返した。

最後の密着度合いは僕の介護の限界(身体より心)に近かったのだが、なんとその対象が居なくなった途端、虚ろになったのだ。


自分の心の揺らぎにつき言葉では説明できないが、僕は、僕の心のオーナーなのだから、なんとか僕の心を鎮めてやろうと思い、今朝は早くから彼女の部屋の片付けを始めた。

これは案外奏功し、従い、斯様にブログを書いているのである。






















# by libra-mikio | 2019-01-30 20:22 | Mic記 | Comments(0)
2019年 01月 14日

水仙

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水仙の香りにつつまれたくなった。

まだ、早いのかしら。・・・それとも、もうその時が来ているのかしら。

伊豆を考えたが、越えざるを得ない峠は路面が凍っているかもしれない。

それでは城ヶ島に行ってみよう。

行った先の城ヶ島の水仙は、うまいことに、「14番目の月」だった。





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水仙の香りにつつまれたいと思ってはいたが、まだ、辺り一面に芳香が満ちているということではない。

それでもかそけき風がたてば、奥ゆかしいながらもあの清純な香りが、「あのう・・・」と言いながら僕に寄り添う。

そして、光が水仙をアプローズしている場面を切り撮る。





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R134から派生する城ヶ島への往還の、帰路の渋滞は身に染みているので一旦油壺に逃げる。

このハーバーについては以前も書いたが、日本ではないような気がする。

僕はスカンジナビアのハーバーを俯瞰しているのか。

折しも一杯のクルーザーが出て行く。

これから出るということは、何処かに帰るということか。

ボンボヤージュ。






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帰り道、葉山で落日し、その光景はえもいわれぬものであったがクルマを停める余地はなく、ただ呆然と美を眺めていた。

しかし鎌倉、由比ヶ浜でとうとう我慢ができなくなり、ノロノロ運転のさなか、助手席越しにシャッターを切った。

冬の入り日が落ち、海と空の区別が曖昧になって行く誰彼時。




















# by libra-mikio | 2019-01-14 22:16 | | Comments(0)
2019年 01月 10日

知と実践

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知と実践、とは大層上段に構えたタイトルだが、実感を持ったので自分のために記録する。


知と実践は別物でありながら、互いに補完しあう。補完しあわねば意味がない。

気づかせてくれたのは、古本屋で何気なく求めた「禅の実践(講座 禅 第二巻・筑摩書房・S49)」という本に収められた、ドイツ人女性リース・グレーニングという方の「参禅記」なる一稿である(1950年代後半)。

これは凄い。凄かった。

訳あって遥かドイツから京都相国寺の僧堂に居士(在家)として参禅したこの女性が、いかにして臘八大接心(ろうはつだいせっしん、面倒臭いから説明はしない)に臨んだか、そしてどうなったか、が克明に著されている。


禅は徹底的に実践である(僕ごときには到底窺いしれぬ世界である)。

彼女は、禅に関しても非常に高度なインテリジェンスを持ちつつも、禅が掴めず七転八倒し、文字通り半狂乱といってよい状態になる。(然る後、彼女は一歩、克服する)

読んで、泣けた。

斯様に、「実践」とは(禅に於いてのみならず)すざまじいエナジーを必要とするものなのである。

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# by libra-mikio | 2019-01-10 21:34 | Mic記 | Comments(0)
2019年 01月 06日

外外介護から

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新聞に、外外介護という見慣れない見出しがあった。

記事を読んで初めて、日本に居る外国人の被介護者を、日本に居る外国人が介護することだと知った。

是非の次元をすでに通り抜け、現実に始まっているという。

日本という国のこの先行きにつき、様々な想いが沸き起こる記事であった。


今後日本は、どのようにして国を発展していくのか、or、どのようにして維持していくのか。


司馬遼太郎はいいときに死んだな、と思うことがしばしばだが、その司馬さんは太平洋戦争に駆り出され艱難辛苦を舐め、僕は戦争をも知らないその後のジェネレーションであることを思う時、いい時に・・・なんていう言葉を吐くのは非常に失礼なことだと、いつも自問自答する。

でもやっぱり、司馬さんはいい潮目でこの世、この日本から引退されたのだと思わざるを得ない。


昨年の、鎌倉の紅葉は度重なった台風の影響で海の潮をかぶり、非常に残念なものになったことは皆様もご存知と思う。

しかし、東慶寺のとある楓は今黄葉し、午後の晩い光を贅沢に振りまいていた。

外からの影響ではなく、自分自身に軸足を置くという、ごく当たり前の自然界の流儀を見た想いがした。

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# by libra-mikio | 2019-01-06 22:03 | Mic記 | Comments(0)