Mickey's world

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2018年 09月 19日

活写華(かつしゃげ)

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いつ雨粒が落ちてきてもおかしくない東慶寺にいた。

9月という季節の狭間に、しかも空模様も甚だ曖昧な境内を訪れる人は稀だった。

庵の門を背景に秋桜が咲いていた。

禅寺にはよく似合う。

門を背景に構図を取るうちに、あたかも一輪挿しのように見え、これは写真による華道といっても許されるのではないかと感じた。

活写華。かつしゃげ。

もちろんその場で頭をよぎった僕の造語だ。





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墓地の写真を撮ることは不謹慎であるのかもしれない。

しかし、東慶寺にいるとどうしてもその誘惑に抗えない。

縁切寺という慈悲、慈愛に満ちた寺であるがゆえに、ここでは見るものすべてが優しい。

墓所も墓石も、知的な静まりに沈む。





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先程、造語ではあるが活写華、と書いた。

信州の高原にこそ似つかわしいと思い込んでいた釣鐘人参が、竹垣を背に、なんとも善い塩梅でしなだれていた。

これこそ、全く人為が入らぬ自然界の活華ではないか。

今日このときに、ここに来ることができて善かったと思った。



# by libra-mikio | 2018-09-19 20:44 | Mic記 | Comments(0)
2018年 09月 15日

曼珠沙華の朝

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彼岸花は地面から葉を出さずに突然茎がにゅっと出て、血のような真っ赤な花を咲かすし、まさに秋の彼岸の頃に咲くことから、日本の土俗的感覚ではなんとなく忌み花として捉えられていた。

しかし、今読んでいる法華経の口語訳本によれば、釈迦牟尼仏(シーッダールタ)が初転法輪を霊鷲山(りょうじゅせん)で行った際、天界からムリョ数の曼珠沙華が降り注いだ、とあった。

この花はインド的には瑞兆というか、ハレなのである。


その曼珠沙華を求めて先々週からパトロールをしていた。

そして今日、「きっと今日は咲くよ、しかも雨の朝になりそうだからきっと素敵な光景に出逢えるよ」、という心の声に押され、目覚めてすぐに僕のフェイバリットスポットに向かった。

予想通り、花はかなり咲き始め、時折強くなる雨足のせいか、カメラを持った人は僕を含め二人だけ、という幸運に恵まれた。





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僕はたくさんの曼珠沙華が重なり合うように切り撮るのが好きだ。

そもそも、ゴージャスなこの花が好きだ。

僕は(信じようと信じまいと)2300年前には、心ひそかにエピキュロス派に憧れるストア派の末端小僧であったのだが、いや、だったそうだが、もしかするとインドにも居たのかもしれない。


この花の華麗さを、僕は言葉で表現する事ができない。

串田孫一も、曼珠沙華に対してではなかったが「季節の断想」の中で、「(自然界のそれらを)僕たちが形容しようとなるとむつかしい。色だけでなく、そこに瑞々しさや粉っぽさが加わっているのをどんなふうに説明したらいいのか」、と記述している。

だから僕は、その美を写真として表現することしかできないし、それとても稚拙だと思っている。





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雨も小止みになってきた。

残念ながらコオロギや他の鳴く虫たちは、自分を痛めつける雨滴から身を守るのに懸命と見えて、ひたすらじっと音もなく耐えている。

しかし里山に巻き残った乱層雲は少しずつ千切れ始め、僕は実に快適に、曼珠沙華の朝を堪能することができた。



# by libra-mikio | 2018-09-15 21:55 | | Comments(2)
2018年 09月 10日

口笛高らかに吹けば

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平成も終わろうとしている今ではあるが、世代としての昭和は当然身に染み付いている。

昭和のシンボルと言えば何があるか。

それは人の数だけあるのであって、番付をする意味はない。

しかし各位の心には、ふとした湿り気を帯びた心象風景が必ずやある筈だ。


その風景に寄り添う歌、ウタは何か。

五木の千曲川でもいい。タケカワユキヒデの甘ったるいリリックでもいい。

すべて、少し遠い向こうから聞こえてくる。


稲穂の奥に見える、田園にしては瀟洒な屋根が僕に起こした化学変化の先は、五輪真弓だった。

旋律が先に来、追いかけて歌詞が蘇る。

・・・忘れられた静けさの中 口笛高らかに吹けば 痩せた野良犬たちの 遠吠えが・・・

こんな歌詞に意味があると思っていた時代。

或いは意味を考えずに同調したのかもしれない時代。

学生運動はすでに下火になり、マル青も革マルも僕には区別がつかなかった。

3だったか、渋谷のデモに遭遇した時も完全に醒めていた。


五輪真弓。なんとなく天上天下唯我独尊。

そんな人が現れて、時代は大きくカーブを切ったのだと想う。

エセもいっぱい居た。

しかし全てひっくるめて、時代のエビデンスか。


昭和は濃厚だった。平成はどうだったろう。


平成は、色がない。

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# by libra-mikio | 2018-09-10 21:52 | Mic記 | Comments(0)
2018年 09月 08日

マカームのような彩り

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今朝もいつもの習いで5時半に目覚め窓を開けると、とても爽やかな青空が広がっていた。

のために枕元のスマホで天気予報を確認すると、全国でほぼ唯一南関東が晴れマークだ。

こんな日にいつまでもベッドに居られる筈はなく、コーヒーを沸かして自転車のかごに入れる。


今日は氷晶雲である巻雲、巻積雲が空高く舞い、いわゆる行き合いの空であった。

そしてもう高みに登りつつある太陽により、きれいな彩雲が見えていた。

僕はまだオーロラを見たことはないが、彩雲は自然界から送られる高貴なギフトだと思っている。


彩雲は肉眼で見ても大変に美しい。

しかし望遠レンズで覗いてみると、その妖しくも美しいディテールに息を飲む。

7色の波長が整然と並ぶ虹とは違い、赤と橙、青と紫、緑と黄色があちこちで群れをなす。

そしてそれぞれの中間色がデジタルではなくアナログに現れる。

まるで西洋音階に対するアラブの音階、マカームのように。

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# by libra-mikio | 2018-09-08 21:04 | | Comments(0)
2018年 09月 02日

天地始めて粛(さむ)し

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今頃は七十二候で言う、処暑・天地始めて粛(さむ)し、である。

処暑と聞くとなんだかまだ暑さのこもる日々を連想するが、二十四節気の表現で、暑い中にも少しの和らぎを感じ、朝の気温の気持ちよさや、聞こえ始めた虫の音に秋を想う時節ということのようだ。

そしてさらに、七十二候の、天地始めて粛(さむ)し、である。


朝、お気に入りの植物園に行くと、もうリコリスが咲いていた。

昨夜来の雨に打たれ、か細い蕊や花弁に大粒の雨滴がまとわりついていた。





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リコリスという洋名の種ではなく、彼岸花を探していると、これはまだまだ姿を現わしてはいなかったが、とある田んぼの畦に彼女を見つけた。

あと一週間か、二週間。

あちこちの田んぼの畦が真っ赤に染まる日を期待して、今日はこの娘に初秋を代表してもらうことにした。



# by libra-mikio | 2018-09-02 20:40 | 季節 | Comments(0)
2018年 08月 30日

宵チャリ

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在宅勤務に没頭してると(ホントか?笑)母が、「もう6時を過ぎたよ、もう食べたいよ」と夕飯の催促。

食欲があるというのは、こちらとしても張り合いが出る。よしきた、とササッと夕飯をつくり母にサーブした。

仕事もキリが良かったので本日の業務は終了とし、久々に暮方の海にチャリを走らせる。

午後の真ん中くらいに、やけに風の音が強く聞こえていたが、案の定富士をバックに高積雲のレンズ雲がきれいだった。





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鵠沼界隈の懐かしい海の家はすでに店を閉めていたが、江の島西浜の「えのすい(江ノ島水族館ね)」前は、なんだか街中のようにオシャレだ。

最近は入れ墨が減ったというか、普遍化して却って目立たなくなったのか、少なくともこの店は至極まっとうに20代の社会人ぽい男女がオトナをしていた。

こういう雰囲気、好きだな。

入れてはもらえないだろうけど。





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イル キャンティビーチェもお味の評判はよそに、宵闇が迫れば存在感を増す。

全面オーシャンビューだもん、街から来た人々は十分にウットリ出来るよな。

末永く繁盛して、オトナな湘南の文化を体現していただきたいな。

コドモはもうたくさん。



# by libra-mikio | 2018-08-30 21:05 | | Comments(0)
2018年 08月 28日

朝チャリ

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午前7時前、片瀬漁港。

暑さはまだ凌ぎやすい。

自宅で淹れたコーヒーを持って我が電動バイク「ミッキー号」を走らせる。

ここ数日、片瀬漁港でコーヒーを飲むことにしている。

眼の前に、朝の仕事を終えた漁船が戻ってくる。




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多少くたびれたフネだが、空の青、海の藍とマッチする。

今日持ってきたのはフジのX-30というコンデジ。

でも驚くほどよくフネと曳き波のダイナミズムを表現してくれる。





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曳き波の姿って、こんなにも美しいものであったか。

コーヒーも美味くなる。



# by libra-mikio | 2018-08-28 21:08 | | Comments(0)
2018年 08月 26日

20180826横須賀スケッチ

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しばらく前からネイビーバーガーが食べたかった。

今日、母の昼ごはんを給仕した後、夕方までには戻ると約束して横須賀に行った。

TSUNAMIは混んでるから、今日は初めて隣のArabellaに入ってみた。

ここはドブ板通りのネイビーバーガー店広報パンフには掲載されていない。

もう13時を過ぎていたがTSUNAMIには行列ができている。

しかしArabellaには客はいず結局僕一人だった。


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全く予備知識がなく入った訳だが、お店の女性はイスラミックなスカーフをかぶり、店内には中東の物悲しい音楽が流れている。

ターキーかなと思い女性に聞くとエジプトとのこと。

パテはビーフ、ラム、その半々の3種類から選べるし、ソースも3種類ある。

結局僕はビーフ&ラムのパテの、サルサソース辛口にした。

美味しかったけど、やっぱり100%ビーフパテのほうが良かったかな?






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もう一軒、横須賀の路地に前から気になっていた焼き鳥屋がある。

ここは本当に細い路地に面していて、客は自分の好きな串を好きなだけ勝手に食べることができる。

勘定は食べ終わった串をおばちゃんに見せると、180円で会計される。

地元民や、基地関係らしい南米系や、アジア系インバウンド客がひっきりなしに現れては焼き鳥を食べる。

どんどん食べる。するとどんどん新しい焼き鳥が補充される。人間回転焼き鳥ね。

僕は、なんとなくサルサソース・ビーフ&ラムに物足りなさを感じていたので、ハツ2本、シロモツ1本、タン()1本を食べて320円だった。ここは美味かった。


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# by libra-mikio | 2018-08-26 18:43 | 食べ物 | Comments(0)
2018年 08月 25日

上村松篁の蓮の、僕なりのイメージ

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円覚寺で座禅を組むと最後に必ず般若心経を読誦する。

大きな声で読むのだが、観自在菩薩から始まってブワーッと読み通すので、どの言葉が何を意味しているのかなど、僕には全く判らない。

以前にダライ・ラマによる般若心経の解説本を読んで、ああそうか!などと判った気でいたが、もうすっかり忘れている。

内容の深遠さが判る判らないの次元ではなく、少なくともセンテンスがある訳で、本来どこで区切るのかそれくらいは知っているべきだと反省した。


そこで、これも以前トライした瀬戸内寂聴さんの本を改めて読み直し、どのセンテンスが何を意味しているのかをおさらいした。

寂聴さんの本(寂聴 般若心経 中公文庫)は読み返すと含蓄に富んでおり、とにかくセンテンス、パラグラフに分けることができた。

ところで僕の持っているその本の表紙カヴァーには上村松篁作の「蓮」があしらわれている。


前置きが長くなったが、今日近くの植物園で蓮を見た。

その蓮が水面に落とした影が、上村松篁の絵を連想させたので、イメージとして撮ってみた。

(ブログ用にリサイズしたら派手な白飛びが起きたが、ご愛嬌)



# by libra-mikio | 2018-08-25 23:10 | Mic記 | Comments(0)
2018年 08月 23日

愛おしい影

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子供の頃を想い出す。

夏の、湿った海風に、暗くなるまで釣り竿をいじっていた頃。





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幻影。

僕の青年期は、都会と山国だった。

だから、こんな情景は経験したことがない。



# by libra-mikio | 2018-08-23 21:48 | | Comments(0)
2018年 08月 22日

復活の兆し

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ようやく心が凪いできた。

風景を気持ちよく見つめることが出来てきた。

写真を取ることが楽しくなってきた。


会社の在宅勤務制度が僕に余裕を与えてくれたこと。

同時に母親の ”Wille zum Leben" が復活してきたこと。

この2つの要素が多大の相乗効果を生み出したのだと思う。


要するに、僕もようやく復活しつつある.
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# by libra-mikio | 2018-08-22 21:37 | Mic記 | Comments(0)
2018年 08月 21日

朝・海

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朝の海散歩は気持ちがいい。

海の家が開く前の静かさ。

でもなんとなく潮騒が聞こえる。

気温が少しずつ高くなっていく。

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# by libra-mikio | 2018-08-21 22:58 | | Comments(0)
2018年 08月 19日

コオニユリ、夏の光の中

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昨日「光待ち」という言葉を書いた。

宣伝部長をしていた頃に雑誌タイアップの取材で訪れたお菓子作家のご自宅の庭でわが紅茶を撮影する際、カメラマンから教わった言葉だ。

太陽が雲に隠れてしまっては分散光のみになりモノが引き立たない。

かと言って太陽光がふんだんに注いでしまっても出来る絵は面白くなく、カメラマンはそこのお庭に落ちていた葉っぱのついた枝を、あーでもないこーでもないとティーカップにかざし、ベストな光を工夫していた。

そんな遠いことを思い出す。





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仙石原で一年ぶりに再会したコオニユリだから、いろいろな光の下で撮りたかった。

だから「光待ち」をする。

湿原を一周した頃、待望の光が満ち始めた。

分散光の時には素通りした場所に走って戻り、コオニユリと湿原の木道を要素として一枚を組み立てる。





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木道に寝っ転がり、花弁の透過光を見上げる。

後ろから来た関西言葉の老夫婦がぎょっとして立ち止まる。

僕は「お先にどうぞ」とかなんとかお愛想を言いつつ、ひるまずに寝っ転がり続ける。

恥ずかしくたって、この夏の、コオニユリとの一期一会だから。



# by libra-mikio | 2018-08-19 20:52 | 高原 | Comments(0)
2018年 08月 18日

優しい光の中のコオニユリ

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この時期、僕は無性にコオニユリに会いたくなる。

箱根の湿生花園でコオニユリがたくさん待ってくれている場所を、僕は知っている。

今年は最盛期を逃してしまった感があるが、仕方がない。





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晴れてはいるが仙石原の上空には大きな積雲がゆったりと浮かび、夏の光を優しく分散している。

今日の高原は湿度が低くお昼時でも21度くらいで、海辺から来た僕は汗ひとつかかない。

しばらく光待ちをしていたが、今あるこの光景も自然の贈り物であると感じ、そっとレリーズする。



# by libra-mikio | 2018-08-18 20:43 | 高原 | Comments(0)
2018年 08月 15日

お母さん

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これまで母のことを「おばあちゃん」と呼んでいた。

孫ができると、たとえ息子でも、母のことを「おばあちゃん」と呼ぶ習慣はポピュラーであると思う。

でも、僕は今日から母のことを意識して「お母さん」と呼ぶことに決め、即、実践に移した。

今までが間違っていたのだと思う。


で、実際に突然「お母さん」と呼ばれた母はどのように反応したか?

・・・なんの反応もなかった。


ごく当たり前のようにスルーした。

判ってのスルーか、気付きもしなかったのか。

僕はどっちでもいいと思う。


今日、母がデイサービスに行っている間、僕は母の部屋を片付けた。

古い写真や、いつのものかわからない手慰みの書付などが、「大切な物入れ」に入っていた。

2年前のデイサービスのスタッフさんからの「今日は食欲がお有りでした。少しお熱が高いです(37.3度)」などというメモも混じっていた。

買ったばかりのまだ包装されたままのショーツもあった。

まだ動けた時分に、デパートに自分で出掛けて買ったのだろうな。

この先これを穿く事ができるのだろうか、なんて思うとちょっぴり悲しい気分にもなった。



# by libra-mikio | 2018-08-15 20:32 | Mic記 | Comments(0)
2018年 08月 14日

捨てたもんじゃない、と思う時

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母親の介護のために火曜、水曜、木曜日の在宅勤務を選んだ僕だが、今のところ大正解なのだと思っている。

すぐ近くに僕がいることで母は安心し、退院直後の悲惨な有様に比べると奇跡のように目に見えて快方に向かっている。

また僕にしても在宅の間は生活に会社渡世の価値観を持ち込むことが少なくなり、母と素直に向き合うことが出来ている。

まあ困った点と言えば僕が家にいることから、いつも「今日は土曜日なの?」と問われることくらいだ。

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7時に母の朝食の手配をし、食べ終わってトイレが済んでも、時計を見ればまだ8時前だ。

在宅勤務の定時も9時だから、1時間の余裕がある。

この時間に、天気が良ければ海に行く。

親父のお墓も江ノ島の近くの腰越だから、日曜日に手向けた花の水が無くなってはいないかと、お墓参りまで出来てしまう。

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今朝の江の島は朝から爽快だった。

ジェットコースターに乗っているような目まぐるしい変化に翻弄されてきたが、この景色を見ていると、僕の人生も捨てたもんじゃない、と思うのだ。



# by libra-mikio | 2018-08-14 20:49 | Mic記 | Comments(0)
2018年 08月 11日

手首

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人は誰しも幼時の神話を持つ。

僕にも23つ、その類いの記憶がある。


3歳だったか4歳だったか、僕は父母と、今はない古い実家の4畳半に起居していた。

ある時、それはきっと僕一人の時であったが、部屋の東と南の2面を覆うガラス戸の鍵穴から、黒い手首が出ているのを見た。

その時の印象は、無数の鍵穴から無数の手首が出ているというものであったが、考えてみれば鍵穴は両方向の2箇所しかない。

しかし、とにかく、黒いペンキがまだ光沢を失わずしっかりと塗られたような、真っ黒な手首が窓と直角に生えているのを見た。


恐怖という感覚はまだなかった。しかしはっきりと、嫌なものを見たという感触は有った。

長じて後、このことは誰にも喋ってはいない。


今日の夕方、一雨去った後、夕日が突然姿を表し、家の玄関の西向きの窓から光を注いだ。

明かりを点けようと伸ばした手の影が、前述の神話を急に蘇らせ、慌ててカメラを取りに行った。



# by libra-mikio | 2018-08-11 20:13 | Mic記 | Comments(0)
2018年 08月 10日

ギフト

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僕は時代の最先端を行っているようだ。


・ 巷には定年に関する新書が山のように出ている。

 NHKのクロ現は息子介護を取り上げている。

・ そして社員に優しい、新しい人事制度が動き始めている。


⇒ 昨年定年を迎え、厚遇を得つつ、実質的には不本意な日々が始まった。

⇒ 3度めの入院から帰ってきた母は、明らかに身体能力が衰え、フルスペックの介護支援を以てしても不安が残り、息子としてどう対応すべきか悩んだ。

⇒ 一方で会社はインクルージョンをキーワードに、在宅勤務や介護休業を本格的に実践し始めた。


あらゆる要素が焦点を求め始め、必然の結果として僕の周りに結実し始めた。


★Respectを受けながら(それは信じている)も即戦力ではない僕は、母の介護という、現役の会社人間の持つ価値観とは違う世界に足を踏み込み、しかしその両立に悲鳴をあげそうになった時、在宅勤務という新しい人事制度の適用が認められた。今週から始まったのだが、週のうち火曜、水曜、木曜日は在宅勤務でよしとなった。


捨てたもんじゃない。

与えられた幸せな状況を全うし、これまで腹を立てたこともある母とのリレーションを改善し、母と一緒にいられることの幸せを噛み締める。

これは、ギフトである。



# by libra-mikio | 2018-08-10 21:50 | Mic記 | Comments(0)
2018年 07月 22日

タコライスと本船

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タコライスが食いたくなった。
江ノ島の近辺に「がじゅまる童」という店があることを知った。
実は昨日初めて行き、今日はもうリピーターだ。
昨日はプレーンなタコライス。うまかった。
メニューを見たら、スープタコライス、というのがある。それも食べたい。
だから今日も行った。
やはり、うまい。
奥さんは、LOHASそのものの風情。
昨日も今日も、食ってる最中は僕しか客はいなかった。
いろいろ話しかけてくれる。少し面倒。
でも、まぁ、嬉しかった。




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本船(ほんせん)という言葉がある。海上用語だ。
大阪にいた時、淡輪だったか磯ノ浦だったか忘れたが、ウインドでかなり沖まで出てしまったことがある。
実に爽快で、世界は自分のためにある、くらいのハイテンションだった時、突然海の上で、
「そこは本船航路です。直ちに離脱してください」
とスピーカーで怒鳴られた。
振り向けばば水上警察の監視艇がすぐ背後にいた。
本船という言葉の定義ははっきりしないが、要するにでかいフネ、漁船から客船まで、ということだ。
本来の海上交通ルールであれば、動力船は非動力船を避けるべきだが、まあ、長いものに巻かれろ、ということだ。
今日初めて見たが、クルーズ船が海水浴場の沖にいた。
これこそ本船だ。
グリーンピースでない限り、こんなでかいフネにちょっかいは出さないよ。


# by libra-mikio | 2018-07-22 20:59 | Mic記 | Comments(0)
2018年 07月 17日

夏休みなんて待ち遠しくもない

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もうさ、夏休みなんて待ち遠しくもなんともない。
今って普通にいつものお盆より遥かに暑いでしょ。
さすがの僕も、すでに夏バテ。
海の日連休は信州の宿を予約していたけど、果たしてクルマでそこまでたどり着けるのか、マジで自信がなくなりキャンセル。
ボーッとして事故ったら目も当てられないもんね。
結局この連休は本を読んで体力温存に努めたが、温存どころか放出するばかり。
こんなこと言ったら被災地の方々に本当に申し訳ないのですが・・・
昼間はあまり動けず、夕方になって海をチョロチョロ。
コウモリです。


# by libra-mikio | 2018-07-17 20:19 | Comments(0)
2018年 07月 14日

自分を知る

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永らく realist の対語は romanticist だと思っていた。一般的には正解である。

しかしこういう考え方があることを知った。

realistの対語は artist であると。


発端はここ1年ハマっているNHKBSプレミアムの番組「英雄たちの選択」。

(毎回毎回目からウロコで、こんなに知が詰まった番組は稀有である)

再放送であったが、一昨日は武田信玄と上杉謙信を取り上げていた。


ここで詳細を書く能力はないが、要するに戦国時代初期の二大巨頭を評し、

・信玄は徹底した realist である(これは衆目の一致するところ)

・対する謙信は・・・美しい戦を切望してやまない究極の artist であった(新しい解釈)

という内容であった。

上杉謙信とて実利=領国の拡大を企図して戦をするのは必定。しかしその戦は謙信にとり美しくなければならなかった。

美しさが最終的な価値観であった、ということ。


流石に上杉謙信に自分を重ねるのは身の程知らずも極まれリ、という羞恥心は持つ。

持つが、自分の来し方を振り返り、ハタと気がついた。

僕は(畏れ多いが)謙信タイプであり、何事も美しくなければ気が済まない artist であるなぁということを。


そう仮定すると確かに僕は純な romanticist ではない。

もし romanticist だけであったなら、総務などという、時にはヤクザとも対峙した業務はこなせなかったのではないか。

嫌なんだけど問題に立ち向かい、如何に美しく事案を制御することができるか、という一点に精力を注入してきたように思う。

つまり僕は(口はばったいが) artist であったのだ。


・・・ここで終われば単なる自慢話だが、改めて今思う、今僕は会社を引っ張る realist に違和感を感じている。

様々な要素があるが realist vs. artist の構図を考えると全てに納得がいったのである。

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# by libra-mikio | 2018-07-14 21:52 | Mic記 | Comments(0)
2018年 07月 08日

合歓に逢いに行く

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昨日はふらりとハーバーに行ったらヨットに乗せてもらえて、結構な風とうねりの中、ヒールと格闘しながらガンガン走った。
陸に上がったら宴会が待っていて、結局昼過ぎから夕方までハーバーで飲み、いい気分を継続するべく河岸を変えて焼き鳥屋に行ってしまった。
ヨットは良かったけどその後の自堕落に多少嫌気が差しながら、今朝は4時過ぎに目覚めてしまった。

根っからの貧乏性で、せっかく早く起きたのだから何かしたいと思い、そうだ、合歓を撮ろう!という事になった。
昨日海だったから今日は山という訳。

丹沢湖というダム湖の周回道路に、いい合歓がある。
去年はタイミングが合わなかったけれど、今日は良いコンディションで合歓が咲いていた。

合歓って、本当に不思議な形をしていて且つ美しい。
繊細で妖艶。
陽気で神経質。
天気も上々だったのでポジティブに撮ってあげた。
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(豪雨禍に見舞われた方々にはおかけする言葉もございません・・・)


# by libra-mikio | 2018-07-08 19:58 | | Comments(0)
2018年 07月 06日

殺伐

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殺伐としていませんか? 今。
いや、今に限ったことではないのかもしれないけど。

自然災害はある意味いかんともしがたいけど、人間社会。

地域の公職にある者による幼女への悪行。
文科省局長によるあまりにもオソマツで情けない医大加点不正入学。
なんだか小心な鳥のようなオドオド目玉の財務省・サガワさん。あいつ、鳥だよ。
なんかどこにでもいそうなんだけどやっぱり気持ち悪いセクハラ次官。
ショーコー達の死刑執行。
警官の拳銃奪った元自衛隊員。
枚挙に暇がないんだけど、僕にとって極めつけはロシア。
サッカーワールドカップという宴の影で、シリアの反アサド勢力に大規模な空爆を仕掛けたロシア。
ロシアはソチオリンピックの時も突然クリミアに侵攻し併合したよね。
手の付けられないトランプ。

・・・・・

とあるお祭りに、お面の屋台が出ていたよ。
お面って、可愛いものだと思い込んでいたが、よく見りゃみんな瞳がくり抜かれてる。
瞳のないカオが集まってこっちを見ている。
こんなに背筋が寒くなるものだとは思わなかったよ。

今の世の中って、みんなお面をかぶっているのかな。
お面って一体なんだろう。
正しいことに正対せずに済む方便なのかな。
或いは、おどろにやましい心を隠すための方便なのかな。
殺伐とした世の中に目を向けない・・・だって目玉がないんだものね・・・そういうことを可能たらしめる道具なのかな。

僕はといえば、格好をつける訳ではないが、お面などかぶらず、日々素の顔で世間と向き合っています。
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# by libra-mikio | 2018-07-06 22:59 | Mic記 | Comments(0)
2018年 07月 01日

ハーバー興奮 ヨットレース

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今日のハーバーはヒートしている。
湘南港、江ノ島ヨットハーバー。
関東470協会フリートレース、レーザー関東選手権、関東学生ヨット個人選手権、全日本学生女子ヨット選手権の各レースが、もちろん別々の海面ではあるが、同時に開催されるのだ。
選手やチームは最後のチューニングに余念がない。




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チューニングが終わったフネが続々とスロープを目指す。
こんなに数珠つなぎにフネが海に向かうことなんて滅多にない。
この光景を見ただけで僕は興奮する。




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左の地面、白いコンクリートの部分がスロープであり、海に向かって傾斜が始まる。
太陽はほぼ真上、影はほぼ真下。
奥の方に何杯のヨットがいるのだろう。




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見よ、セールが林立する様を!
壮観という以外ない。




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選手たちが次々にレース海面を目指してハーバーを出て行く。
ヨットレースは陸上から観戦できるものではない。
選手たちははるか遠くのレースコースに行ってしまう。
レース観覧艇にでも乗り込まなければレースの様子は判らない。
そうは言っても、2020年にここ江ノ島は2度目のオリンピックセイリング競技会場になる。
そのときにはどんな仕掛けが出来ているのか。




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470やスナイプが大挙して沖を目指した後、女子学生がゆっくりとレーザーで出ていった。
一人乗りのヨットっていいもんだな。
僕はレーザーが大好きである。


# by libra-mikio | 2018-07-01 22:58 | | Comments(0)
2018年 06月 24日

梅雨の花

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百合と紫陽花が雨に濡れている。
さほど強く打たれてはおらず、百合の花粉はまだ流れ出してはいない。
この組み合わせを目にし、素直にきれいだな、と思う。




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明月院に行きたいとは思っても、あの混雑を思うと軽々には腰をあげられない。
紫陽花はどこにでもあるし、それなら家の近所をくまなく周り、清楚な彼女を見つけ出してあげればいい。
今、つい清楚と書いたが、特に萼紫陽花はまとわりつく湿度を追いやるようにクールで美しい。




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一方で百合は花の大きさから言ってもきらびやかだ。
雨に包まれてなお、その香気を辺りに満たす。
僕は百合の蕾も大好きだ。
はちきれんばかりのエネルギーを貯めている姿がとても良い。
百合の蕾に花言葉を進呈するなら、希望・勇気・自負か。


# by libra-mikio | 2018-06-24 21:33 | | Comments(0)
2018年 06月 22日

「弥勒世(みるくゆー)」というノワール

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嗚呼、読み終わりたくない! もっとページが続いて欲しい!
そんな気分に久しぶりにどっぷり浸かった。
馳星周の「弥勒世(みるくゆー)」(*新刊ではない)
上下巻1400余ページを一気呵成に読んだ。
沖縄の日本返還前夜の、うちなーんちゅ(沖縄人)たちの葛藤を描く。

これを読んで初めて、現在の沖縄県人(昔の琉球王国人)の魂の素顔に触れることが、少しだけ出来たような気がする。
正直に言って今まで判らなかったこと、つまりなんで現在の辺野古問題にあれだけ沖縄県人が敏感になるのか、が判った。
一方で、なんで辺野古に動員された機動隊員が暴言を吐いた(そのように教育された)かも推察できた。

「弥勒世(みるくゆー)」
超ハードボイルドであり、超ノワールであり、純粋すぎるほど純な恋愛小説である。
出逢えてよかった。


# by libra-mikio | 2018-06-22 21:21 | Mic記 | Comments(0)
2018年 06月 18日

曇天のやすらぎ

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カメラを持ち始めた頃は、清く正しく透明な光線ばかりを追っていた。
フィルムで言えばベルビアの世界しか眼中になかった。

いつの頃からか、雨もまた善いと思うようになった。
すると花弁に雨粒が付くことが外せない条件と思うようになった。

どちらも咒(しゅ)にかかっている。
特に僕は算命学で言うところの919という極端な性格であるようで、白黒付けるべきと思っていた。

今はどうか。
今は、あいだの美を感じることが、少しはできるようになった。
成長したのか、あるいは単に丸まったのか。

この日、朝から雲が垂れ込めたが、却って心がやすらいだ。
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# by libra-mikio | 2018-06-18 22:34 | | Comments(0)
2018年 06月 16日

たまげた!、ホントにたまげた!

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たまげた!

さっき母を見舞いに病院に行った。
ナースステーションは多忙で、声を掛けても誰も顔を向けない。
勝手知ったるなんとかで母の病室に入る。二人部屋で、母は奥の窓際のベッドだ。
いつもの手前のベッドの御婦人はおらず、半開きの間仕切りカーテンに隠れた母のもとに行き、声を掛けながら母を見た。

その瞬間、僕はあまりのことに呆然と立ち尽くした。
面影のまったくない母がベッドに半身を起こし、僕を睨んでいる。
げっそりと頬が落ち、鼻にはチューブがつながっている。
僕を見つめる目は見開かれ、その双眸には敵意さえ宿っている。
一体どうしちゃったのだ。
この前来たのは3日前。僅かなこの期間に母はここまで変わってしまったのか・・・

眼圧の高い視線に押し戻されるように、僕は後退りした。
後退りしながら、頭が僕なりのフルスピードで回転する。
そう言えば、昨日病院の事務局に電話して、差額ベッド代も馬鹿にならないので、大部屋が空いたらすぐに母を移動してほしいと頼んだっけ。
すると、もしかして母は別の部屋に引っ越したあとで、眼前のこの方は母とは別人なのではないか・・・

眼前の方への会釈もそこそこにナースステーションに走った。
見覚えのあるナースに恐る恐る尋ねると、あっけらかんとこう言った。
・・・ああ、お母様はあちらの部屋に移りました、ご案内しますね・・・

おおー、そこにはいつもと変わらぬ母がいた!
いやー、ほんとにたまげた!
と同時に、あの方に対し失礼をお詫びします。
今なら判る。
突然にベッドサイドに見も知らぬ大男が馴れ馴れしく近づいて来たのだ。
警戒するほうが正しい。
一方こちらは、たまたま背格好が母と同じだったことと、病院支給のパジャマだから衣服では判別できなかったこと、そして何より、病院から部屋が変わったことのアナウンスがなかったことからとんでもない間違いを起こした。
今となっては笑い話そのものだが、その瞬間は本当に愕然とした。
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# by libra-mikio | 2018-06-16 19:45 | Mic記 | Comments(2)
2018年 06月 10日

ハス池の憂鬱

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昭和40年ころ、僕は小学校の4年か5年生だった。
通っていた小学校から僕の家とは反対の方に10分ほど歩くと、そのハス池は有った。
学校の帰り、時々その蓮池に友だちと寄り道した。
池の周囲には住宅などは立っておらず、多くの子どもたちが池を囲んでザリガニ釣りなどしていた。

ある時、僕は池に小石を投げて遊んでいた。無心に、ただひたすら小石を投げていた。
すると力の加減を間違って、石は対岸まで届き、そこにいた2年生くらいの男の子の後頭部に当たってしまった。
カンという音が聞こえた。
その子の後頭部は割れ、黒い髪の間から朱色の液体がにじみ出た。
脳みそがでてきた! 少なくとも僕にはそう思えた。
僕は怖くなった。怖くて怖くて仕方がなく、家に帰ろうと一目散に駆け出した。
あの子はどうなったろう、死んじゃうんじゃないか・・・
後悔の念に身を貫かれ、僕の方も死ぬ思いだった。
数日の間、学校経由で犯人探しの動きがあるのではないかと思い憂鬱だった。

しかし何も起きなかった。
そのうちにどうやら僕は、僕にとっての大事件であったはずのその憂鬱自体を忘れてしまった。

しかし時々思い出す。あの子は大丈夫だったのかな?
一方で、あの石は本当にあの子に当たったのだろうか、とも考えるようになった。
でも音も聞こえた気がするし、朱色がにじむ後頭部も確かに見た気がする。
このようにして、子供時代の不名誉な記憶は、曖昧になりつつも、おそらく一生消し去ることはできないのだろう。

先日、実に久しぶりにそのハス池がどうなっているか見たくなり、自転車に乗って訪れた。
すると池はちゃんとそこに残っていた。
このハス池である。
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# by libra-mikio | 2018-06-10 18:58 | 陰翳 | Comments(0)
2018年 06月 08日

メディア、及びメディア・リテラシー

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5歳の女の子の悲報がメディアに流れる。
僕はその記事が目に入る刹那、新聞なら読まずにページを繰り、テレビニュースなら即座にスイッチを切る。
だって、可哀そうで気の毒で、そんな情報を体に入れたくないからだ。

はっきりとその種のコンテンツを自ら遮断したのは、西鉄バスジャック事件に遡る。
今でも覚えている。
週刊文春の記事をうっかり、本当にうっかり読んでしまい、魂が疲弊した。
それから文春にしろ新潮にしろ読まなくなった。

ジャーナリズムは正確に伝えることに存在意義がある。
でも僕は知りたくないことまで、強制的に知らされたくはない。
また僕にはそれを取捨選択する自由がある。
伝えられたことを鵜呑みにするか、疑念を抱くか、自ら判断を下すという自由がある。

いずれにせよ、嫌な話は聞きたくない。
耳を塞ぐ。
目を覆う。
しかし口をつぐんではいけない。
主体性はあくまで僕自身のものである。

メディアの皆さんよ、お金には結びつかないかもしれないけど、「今日のハッピー」みたいな、心温まるコンテンツだけの特集をしてみないか?
ニュースを受け取る皆さんよ、そろそろリテラシーを磨いて、メディアの淘汰を始めないか?
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# by libra-mikio | 2018-06-08 22:37 | Mic記 | Comments(4)