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2016年 05月 15日

シーズン・イン!

このところ野草や鄙の人文に惹かれて、里山ばかり回っていた。
それはそれで至極結構な体験であるが、今日は余り遠出をする気にならず、自転車で海をぐるっと回ってきた。


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鵠沼海岸の海を見下ろすサーフ90跡地では(古すぎるか(笑)地元に居ながら正式名称が出てこない)、知る人ぞ知る鳥山親雄氏がフラの楽曲の説明をしながら、フラが披露されていた。
今日のハラウの女性たちは年齢が割といい線いっていて、安心して楽しむことが出来た。
(中には妖怪ハラウもあるし(笑))


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片瀬の東浜ではライフセーバーたちがシーズン・インのウォーミングアップをしていた。


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江の島では、藤沢市海洋少年団がカッターボートの訓練を行っていた。
海洋少年団!こういうものが現在でもあるのですよ。

他にもビーチバレーやビーチアルティメットなど、多種多様なアソビが繰り広げられていて、湘南はまさにシーズン・インしたのだ、と実感。
みんなX30。

# by libra-mikio | 2016-05-15 19:48 | | Comments(0)
2016年 05月 10日

蜜標

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昆虫を自らの蜜壺へと誘う絵柄を蜜標=ミツヒョウという。
いろいろな花に様々な絵柄の蜜標がある。
ツツジにもあればオオイヌノフグリにもある。
そしてこのカタクリである。

初めにこの蜜標を見た時、その形が大学の校章にあるような大の字体に見えた。
そうこうするうち、今度は僕が好きなチベットの天珠=テンジュのある図柄に見えた。

蜜標は花の種類によって、もちろんその姿かたちは違うが、例えばこのカタクリにおいても、
あそこのカタクリと、こちらのカタクリとでは違う。
すると蜜標は、花々の個性を競うおしゃれ、動物があたかも異性を誘う如き、セクシュアルな発現なのかもしれない。
唯一違う点は、花は動けない。
花の雌蕊がどんなに色っぽいしぐさをしても、雄蕊は言い寄ることが出来ない。
仕方がなく花は、動き回る昆虫を介して互いのセクシュアリティーを競うしかない。

その仕掛けを日本語で「蜜の標し」というのは、なんだか的を射ていて、気恥ずかしい気がする。
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# by libra-mikio | 2016-05-10 21:53 | | Comments(0)
2016年 05月 09日

ニワゼキショウと図鑑

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茅ヶ崎の里山を歩くと、地味ではあるが可愛らしい花たちが咲いていた。
何だろう。
背丈はせいぜい10センチ。花の大きさはせいぜい1センチ。
どうしても名前が知りたくなって、一目散に鵠沼に戻り、ヤマケイの「春の花」を手に取り、また一目散に里山に戻る。

え? ニワゼキショウ?

僕はニワゼキショウと言う花を知っているつもりであったが、それは実はハナニラだった。
そしてこの小さな可憐な花が本当のニワゼキショウだった。
これまでの不明を彼女に詫びた。

ところで前述の、山と渓谷社刊 野草ハンドブック1 春の花 は、僕が大学1年の春に松本にある鶴林堂書店で買い求めたものであり、もう実に39年間も使い倒したものだ。
愛着があるなんてものではないけれど、もうボロボロで、今日のフィールドで分解しそうになったので、この里山から帰るなり藤沢のジュンク堂で新しい図鑑を買ってしまった。
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「ヤマケイ・春の花」よ、雨の日も風の日も、僕にいろいろな野草を教えてくれてありがとう。

# by libra-mikio | 2016-05-09 22:44 | | Comments(0)
2016年 05月 07日

春寂寥 秘話

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旧制松本高等学校、現信州大学では、歌と言えば思誠寮寮歌「春寂寥(はるせきりょう)」である。
僕もたまに気分が高揚すると、歌う。

  春寂寥の洛陽に 昔を偲ぶ唐人の 
  痛める心 今日は我
  小さき胸に懐きつつ 木の花蔭にさすらへば
  あはれ悲し逝く春の
  一片毎に 落る涙
 (作詞:吉田 実(1乙文)、作曲:濱 徳太郎(4理乙)、大正9年)

歌詞もそうだが、その旋律が大正浪漫を具現してまたもの悲しい。

今回、松本は県(あがた)の森にある旧松高校舎(現・旧制高等学校記念館)に寄った際、作曲者である濱氏の遺した文章を読んだ。

『・・・春寂寥は歌詞もはじめから濡れに濡れているものだったので、できあがった曲としてはもはや白い煙さえ立たず、なんとも手のつけられないほど感傷的なものになってしまった。それで作詞者の吉田実君(1乙文)は、発表後、撤回したいという意向をしばしば持ち出したが、寮生の諸君になだめすかされて泣き寝入りになってしまった。・・・』

なるほど。
春寂寥は、当時から余りにも浪漫的と感じられていたのだ。
しかし僕は、この歌を歌えることを誇りに思っている。
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旧松高校舎にて。

# by libra-mikio | 2016-05-07 21:51 | | Comments(0)
2016年 05月 04日

たまゆら

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天竜川の広大な河岸段丘の上の、とあるお気に入りの場所で撮った朝露の写真に文章をつけようとして、考えあぐねるうちに、まあ風呂にでも浸かろうと想った。

いつもの癖で風呂で読む本を物色し、ああでもない、こうでもないとベッドにさんざん本を散らかした後、最後にふと三島の「花ざかりの森」を手にした。

物語の中で、主人公の遠い祖先であるところの、明らかに細川家と思われる切支丹の君主夫人(煕明夫人)が、白昼、白百合咲く野で「おおん母(もちろんマリア様)』顕現のまぼろしを見る。
その部分で「瞬間」という字に三島は「たまゆら」とルビを振っている。
「たまゆら」を漢字で書く場合は「玉響」であろう。不思議に思い集合知に当たると・・・

『たまゆら(玉響)は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」(瞬間)、あるいは「かすか」を意味する古語』

とある。うーん、なるほど、瞬間か。そして更に読むと、

『ただし『日葡辞書』には「草などに露の置く様」とある』

と書いてあるではないか!
日葡辞書(にっぽじしょ)とは、1604年に長崎で発行された切支丹関係のもので、日本語をポルトガル語で解説した辞書である。

うーん。
朝露写真 ⇒ ブログ書きあぐね ⇒ 風呂 ⇒「花ざかりの森」⇒ 切支丹の祖先 ⇒ 瞬間ルビたまゆら ⇒ 日葡辞書では草などに露の置く様!

凄い。凄すぎる。
やはり風呂に入って正解だ。
タイトル、写真、文章が連関し、ブログが完成してしまった。
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Canon EOS 7D + EF100mm f/2.8L Macro IS USM

# by libra-mikio | 2016-05-04 16:01 | | Comments(0)
2016年 05月 03日

麻績村

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連休の初めに信州へ行こうと決めていた。
信州の何処に行こうか?
時間はたっぷりある。いろいろな所へいこう。今度の旅は、自然と人文の両方を楽しもう。

人文としては、以前から気になっていた麻績村にしよう。
麻績村=おみむら。
麻に績(つむぐ)で何故「おみ」と読むのか判らない。
でもその名前に数十年前から惹かれていた。


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麻績に実際に来てみると、そこは別に特別な村ということもなく、普通の村であった。
当たり前と言えば当たり前。特別であっては村の人々は困るであろう。
でも、永いこと憧れていた旅人としては多少がっかりもする。

何か、これぞ麻績、という文物はないか?
旅人は嗅覚を働かせあちこち移動する。
これぞ麻績、これぞ麻績・・・


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あった!
これ以上はっきりした文物がほかにあろうか!
麻績村、と彫られた境界杭(笑)。

そこは、もう旬の過ぎたカタクリの群生地であったが、和みのある緩傾斜が広がり、
5月になったとはいえ山国の午後4時の、少し淋しさを含む気配が満ち始めていた。
すると先程まで勝手に麻績村の象徴だと見做していた杭が、孤独の象徴のようにも思えて来るのであった。

# by libra-mikio | 2016-05-03 17:34 | | Comments(0)
2016年 04月 25日

お菓子を有難う

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おふくろは早く寝る。
僕が家に帰り着くころは彼女は夢の中だ。

だからときどきメモで事務連絡がある。
たいていは、「お米を買っておいてください」とか、「たまごをゆでました」とか。

今日は・・・「お菓子を有難う」

そういえば昨日、彼女のためにワッフルとクラッカーを買ったっけ。

今夜は庭の匂いもいい感じの夜だし、僕の気持ちも久し振りにやさしい。

X-30

# by libra-mikio | 2016-04-25 21:49 | Mic記 | Comments(0)
2016年 04月 20日

光球

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我々地球人が見て、唯一面積を持って見える恒星は太陽だ。
他の恒星は余りに遠く、マイナス1.6等星の大犬座のシリウスだって、ギラギラ輝くがあくまで点光源だ。

惑星は別だ。
地球の兄弟星である木星や土星、火星などは当然だが太陽系に属し、恒星の世界に比べれば隣の部屋レベルであり、望遠鏡で覗けば拡大される。つまり面積を持つ訳だ。

恒星は点光源である故、地球の大気の揺らぎによりちらちらと瞬く。
一方惑星は面積を持つ故、例えば木星の北の端っこから出た反射光(太陽の反射ね、つまりお月さんのようなもの)は確かに揺らめいている筈だが、南の端っこから出た反射光の揺らぎと相殺され、じーっとしていて瞬かない。

とにかく、太陽は我々が見ることが出来る、面積を持つ唯一の恒星だ。
そして天文用語で太陽を「光球」とも呼ぶ。
このように中望遠のレンズで捉えると、確かに「光球」なのである。

Canon EOS 7D + EF24-105mm f/4L IS USM

# by libra-mikio | 2016-04-20 22:27 | | Comments(0)
2016年 04月 18日

ルバイヤート 60

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朝風に薔薇の蕾はほころび、

鶯も花の色香に酔い心地。

おまえもしばしその下陰で憩えよ。

そら、花は土から咲いて土に散る。

・・・・・
ルバイヤート 60
オマル・ハイヤーム作
小川亮作訳
岩波文庫 32-783-1
・・・・・
Canon EOS 7D + EF100mm f/2.8L Macro IS USM

# by libra-mikio | 2016-04-18 22:56 | | Comments(0)
2016年 04月 13日

花噴水

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甲州の越えたことのない峠を走っていた。

一目見て、花の噴水だと思った。

それならば、花弁のひとひらごとを、光り輝く水滴の様に撮ってやろう。

シャッタースピードを遅く、露光を多くし、何条もの光の筋を際立たせた。
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X-T1

# by libra-mikio | 2016-04-13 21:58 | | Comments(0)
2016年 04月 11日

花の寓話

桃と菜の花が内緒話をしている。

初めのうちは、菜の花も確かに興味があったのだが、少し桃のほうがしゃべり過ぎたらしい。

桃はそんなことには気づかず、風が吹いてふたりが近づくたびに、いそいそと先程の話の続きを菜の花にしている。

人のいい菜の花は無下に話を中断させることもできず、せめて自分の興味が既に薄れたことを、少し視線を逸らすことによって、桃が気付いてくれることを願っている。
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X-T1 + XF35mm F2R WR

# by libra-mikio | 2016-04-11 22:04 | | Comments(0)
2016年 04月 04日

素朴な饒舌

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今、この波を照らしているのは、雲間に沈みかけた太陽だけである。

空と海と太陽。
多少の演出を試みるものは、地球の自転と雲と波。

素朴な饒舌。
太古からの質素な華美。

僕は左目も開けて、ファインダーを通さない生な光景も見続ける。

# by libra-mikio | 2016-04-04 21:26 | | Comments(0)
2016年 04月 02日

春を淋しく思うとき

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串田孫一の随想に、春を淋しがる人、というものがある。
僕がこの文章を知ったのは1974年だから、実に40有余年が過ぎている。
しかし僕は、春を淋しがる、ということが本当にあることなのか理解できなかった。
つい、先日までは。

文中、野辺のバス停に立つ、赤ん坊を背負った若い母親があんまり沈んだ顔つきなので、思わずどうかされましたかと尋ねた筆者に対し、「あんまり春の来かたが早いので、それで淋しくなってしまったところです」と答えるのだ。

その日、というのはちょうど一週間前なのだが、僕は初めて春の到来を本当に淋しく思った。
次から次へと発生する会社での問題に精一杯対応していたその日の朝に、春について感じたことを、僕は夜にまとめようと思っていたが、実際にはそのような余裕はなかった。
そうであろう予感があり、電車の中で、感じたままに、自分に対しメールを送っておいた。

・・・・・
春が来るのが嫌なのではありません。春を待ち焦がれていたんです。
その待ち焦がれていた春が、私の準備ができないうちに来てしまって。
だから寂しいんです。
だって、電車の窓から見えるおうちの庭の、雪柳がもう真っ白なんですもの。
昨日まで、その満開の予兆に気付かなかったのです。
春そのものが淋しいのではなく、自分自身が淋しいんです。
・・・・・

こうして、巡り来ることが当然である春に対し、春を淋しがるということが本当にあるのだな、と40年ぶりに納得したのである。
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今日、法政大学、多摩キャンパスにて。X30。

# by libra-mikio | 2016-04-02 22:23 | 季節 | Comments(0)
2016年 03月 27日

朝のメルヒェン

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今朝の海で出逢ったメルヒェン。
たまにはこういうものもいい。
X30

# by libra-mikio | 2016-03-27 18:37 | | Comments(0)
2016年 03月 22日

カモメのいる日

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カモメのいる日。

みんな満ち足りている。

お腹もいっぱいだし、太陽も隠れない。

争いがなく、自分の居場所があるべきところにあり、みんな気に入っている。

カモメたちは脳ではなく、五感で連帯を感じている。
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X30

# by libra-mikio | 2016-03-22 22:38 | | Comments(0)
2016年 03月 21日

ヨットのいる日

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ヨットのいる日。

おだやかなハーバー。

今はもう、彼らをポンツーンから見送るだけだけれど、潮風が身体を流れていく感覚は忘れてはいない。
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X30

# by libra-mikio | 2016-03-21 16:57 | | Comments(0)
2016年 03月 20日

馬鹿

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いくつになっても勉強だ。
この歳になって、世の中には本当に馬鹿がいることを学んだ。

いい大人であるにもかかわらず、未だに赤子のように自分の価値観を唯一無二とする馬鹿に、初めてお目に掛った。
そしてそれは価値観などと呼べる代物ではない。

馬鹿は見掛けでは判らない。
実に困ったものだ。
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X-T1

追伸
馬鹿という奴が馬鹿だ、とよく言われるが、構わない。
今の僕は憤懣やるかたない。

# by libra-mikio | 2016-03-20 21:36 | Mic記 | Comments(0)
2016年 03月 17日

春宵モクレン

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夜9時半、くたびれて帰って、駅から家に向かい、歩く。

住宅街のいくつかの小道を曲がると、家々の塀の上にモクレンが咲き始めている。

通り過ぎ、家についてからカメラを持ち出し、花に戻る。

花を浮かび上がらせるのは、月齢8日の半月だ・・・と言いたいところだが、ただの街灯。

でもね、ぽってりとした花弁は充分になまめかしく、ようやく到来した春宵に身をゆだねている。
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X-T1 + XF35mm F2R WR

# by libra-mikio | 2016-03-17 23:44 | | Comments(0)
2016年 03月 15日

浜辺の歌

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ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ   しのばるる
寄する波よ  かえす波よ
月の色も   星のかげも


浜辺の歌は、下の説明のように、林古径が辻堂海岸の思い出を昇華させて描いたものだ。
このような名曲が、我が故郷の情景を織り成したものであることに、僕は誇りを感じる。
朝な夕な、微睡むような光景を見せる海を、どうして愛さずにいられようか。

しかし同時に、僕は嵐の海を知っている。実は小さい頃から今に至るまで、海が怖い。
そして湘南だって津波と無関係ではない。
もう疾うに亡くなった祖母は腰越の人で、子供の頃関東大震災に逢い、津波を体験している。
子供の僕は祖母からよく、津波の引き波の強さについて聞かされたものだ。

海はいい。包容力がある。しかし海の持つ根源的な、暴力的な力を侮ってはいけない。
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# by libra-mikio | 2016-03-15 22:21 | | Comments(0)
2016年 03月 12日

鎮魂

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あれから、たった5年しか経っていないなんて。

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・・・幽霊でもいいから、逢いたい!・・・

わかりすぎるほど、わかる。

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(毎日新聞から転載)

# by libra-mikio | 2016-03-12 23:59 | | Comments(0)
2016年 03月 08日

放哉 Mar 08, 2016



な ぎ さ ふ り か へ る 我 が 足 跡 も 無 く   放哉

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春めいてきた。海も凛々しさからたおやかさに変わりつつある。

汀をたどれば、オーケアノスからのギフトが打ち上げられている。

構図に悩んでいるうち、周りは僕の足跡で満たされた。

波が来て飛びのいた。

振り返れば、まるで僕が居なかったかのように、まっさらの汀だ。

X-T1 + G. ZUIKO 50mm F1.4

# by libra-mikio | 2016-03-08 22:12 | 放哉 | Comments(0)
2016年 03月 07日

放哉 Mar 07, 2016



た つ た 一 人 に な り 切 つ て 夕 空   放哉

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先程までこの辺りにいた数組の二人連れは、寒さに追いやられ、気付けば僕の周りから消えていた。

濃紺に闇が混じり始めた海面は、ちりめんを幽かに残しながら、小さな子供がぞんざいに平らにした粘土のように見えた。

遠くに大島のシルエットが浮かんでいる。

大島よ、お前も一人か、と問うたが、よく見ればさらに遠方の利島が右隣に小さく浮かんでいた。

なんだ、一人きりなのは僕だけか、と一人ごちた。

EOS 40D + EF-S17-55mm f/2.8 IS USM

# by libra-mikio | 2016-03-07 22:42 | 放哉 | Comments(0)
2016年 03月 06日

Z

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Z。乙ではなくZ。

僕にはいろいろZにまつわる記憶がある。

社会人1年目に大阪に赴任して、天王寺のECCに通ったときのクラスメイトに、ゼットというスポーツ関係の会社の人たちがいて、その中の一人の女性がカッコよかった。

そしてアランドロンのゾロ、子供たちのヒーロー快傑ゾロリ、象印マホービン、大阪府警の隠語=AZ=暴走族とか、実にたくさん接点がある。
(あ、僕がAZだった訳ではありませんよ。当時Pチャン=POLICEチャンネルを聞いていて、300とか500とか(300=PM=警察官、500=赤灯緊急走行)聴き分けていたのです)

しかし、Zと言えばやはりZ旗だろう。
「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」

ご存知ですか?
日露戦争時の1905年、日本海海戦の際、東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗する旗艦三笠のマストに掲揚された信号旗のことデス。

X-TI + XF 55-200mm F3.5-4.8 R LM OIS

# by libra-mikio | 2016-03-06 21:36 | | Comments(2)
2016年 03月 05日

奇異な光景

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自分で撮っておいて言うのも妙だが、奇異な光景である。

父親と目される男性の首は下に沈み、娘と目される子供は関係性を途絶しあらぬ方を見ている。

実際には一連の動きがあり、全くのどかな光景であったが、こうして時間を切り取るとなにかシュールリアリズムの世界に入り込む。

人と人の関係もまさにそうなのだろう。
互いに一連の自然な、理に適った振舞いをしているにも関わらず、互いに刹那を切り出したばかりに、以降の関係修復が難しくなるような印象を相手に与えてしまうのだろう。

X-30

# by libra-mikio | 2016-03-05 21:08 | | Comments(0)
2016年 03月 03日

放哉 Mar 04、2016

た だ 風 ば か り 吹 く 日 の 雑 念   放哉

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大風が吹いて砂が飛んで。
そんな時には雑念なんか浮かばない、と思うのだが、実は違う。

思 わ ぬ と 思 う も も の を 思 う な り  思 わ じ と だ に 思 わ じ や き み
from 不動智神妙録 by 沢庵。

そういうものなのである。

# by libra-mikio | 2016-03-03 22:48 | 放哉 | Comments(0)
2016年 03月 02日

お雛様ってなんだ?

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僕に姉妹はおらず、僕はちゃんと男子である(最近は僕と言う女の子もいるので、ちゃんと書いておかねばならぬ)。
そして僕の子供は二人とも男である。
つまり我が家には古くからお雛様を飾る習慣がない。

僕は幼少のみぎりから、女の子がなにゆえ人形を大事にするかとんと見当がつかなかった。
ましてお雛様である。あんなもの並べて何が楽しいのか?
これは現在も嘘イツワラザル気持である。

しかしなんだな、もしも「おカメラ様」という儀式があって、ブレッソンとか木村伊兵衛さんの誕生日に、ライカの模型をずらずら並べるなんてのがあれば、それは大いに興味をそそられる。

これはこれで日本中の女性が声を揃えて言うのだろうな。
「カメラなんか並べて何が楽しいのか?」
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X-T1 + XF35mm F2R WR

# by libra-mikio | 2016-03-02 21:59 | 季節 | Comments(0)
2016年 02月 29日

X30 お宮参り

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我がX30ちゃんに突然悪夢のような夜景試写を課した訳ではない。
ちゃんと由緒正しい源頼朝公の鶴岡八幡宮でお宮参りを済ませたのである。

この日は、舞殿で結婚式が執り行われていた。
X30ちゃんはこの光景を撮るという栄華に浴した。

それにしても、観光客の注視の中でこのように式を挙げるというのは覚悟が要るよなぁ。
なんたって鶴岡八幡宮の舞殿の神前結婚だよ。
おいそれと別れられなくなっちゃうよ。

お・気・の・毒・(笑)
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これが舞殿。勇気のある若旦那である。
X30

# by libra-mikio | 2016-02-29 21:43 | | Comments(0)
2016年 02月 28日

UNHCR

今見終わったNHKスペシャル、UNHCRのシリア難民の話、来た。

岩波ホールで上映してもおかしくない内容だった。

UNHCRスタッフの日本人女性がなんと奮闘されていらっしゃることか。

大所高所の議論はいい。
評論はいい。

なんなんだこれは!

僕には何ができるだろう。できることを探して、行おう。

たくさんたくさん思うことはある。

でも今は濁った頭だからこれ以上は書けない。
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「あの日の声を探して」のサイトから転載。

# by libra-mikio | 2016-02-28 22:14 | Mic記 | Comments(0)
2016年 02月 28日

楽しいカメラ

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またまた楽しいカメラを買ってしまった。
FUJIFILM X30。中古で税込み35,980円也。
選んだ3大条件は、①ちゃんとファインダーが覗けて、②直感的に操作できて、③少しでもセンサーが大きいこと。
この③については、X30は2/3型というビミョウなものであったが、CANON Powershot S100の1/1.7型よりは大きいので、まあ良しとした。

ところでX30はつい最近製造中止になっている。しかし初めから中古でいいと決めていたので問題ない。
最近ハマっているキタムラの中古ネットで探したら、御殿場のお店に良さげな出物があり、発見してから1週間たっても売れていなかったのでゲットした。
何故1週間待つのか。
1週間の間に売れてしまうものは、もともと縁がなかったものだろう、という変なジンクスによる。

前の持ち主はマニアと見えて、赤いレリーズボタンが付いていた。
設定がモノクロになってたし(笑)。
オマケに、プロテクトフィルターとスペアバッテリーも付いていた。
こんなものでも新たに買えば数千円かかる。ラッキー!

さて、昨日、さっそく試し撮り。
そしていつものように、試し撮りには過酷な夜景を選んだ。
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いやあ、よく撮れるものだ。
35ミリ換算で28-112ミリズームだが、F値が2.0-2.8と明るい。
それにいろいろな機能が付いている。
デジカメウォッチでは辛口評であったが、僕には十分である。
S100の替わりの”どこでもカメラ”のつもりで買ったが、EOS5Dはもちろん、X-T1の出番も減るかもしれない。

# by libra-mikio | 2016-02-28 11:13 | | Comments(2)
2016年 02月 24日

写真はモノクロをのみ崇め奉るものかは

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三島由紀夫の豊饒の海を読んでいて痛感した。
写真はモノクロをのみ崇め奉るものかは、と。

少し長くなるが引用する。
豊饒の海(一)春の雪 から。

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こうして一人きりになったとき、清顕ははじめてしみじみと桜をふり仰いだ。
花は黒い簡素な枝にぎっしりと、あたかも岩礁に隙なくはびこった白い貝殻のように咲いていた。夕風が幕をはらませると、まず下枝に風が当たり、しなしなと花が呟くように揺れるにつれて、大きくひろげた末の枝々は花もろとも大まかに鷹揚に揺れた。
花は白くて、房なりの蕾だけが仄赤い。しかし花の白さのうちにも、仔細に見ると、芯の部分の星型が茶紅色で、それが釦の中央の縫い糸の様に一つ一つ堅固に締って見える。
雲も、夕空の青も、互いに犯しあって、どちらも希薄である。花と花はまじわり合い、空を区切る輪郭はあいまいで、夕空の色に紛れるようである。そして枝々や幹の黒が、ますます濃厚に、どぎつく感じられる。
一秒毎、一分毎に、そういう夕空と桜のあまりな親近感は深まった。
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なんという艶やかな描写であろうか。
その色彩感覚、読む者は惹き込まれる。
やはり色彩がある方がいい。
いや、たとえ色彩があっても、汚ければ意味がない。品よく美しくあらねばならぬ。
美しくあり、高貴であれば、その美はモノクロの比ではない。

かくして僕は、カラー写真(笑)を撮ることに、ようやく安堵の吐息をつくことが出来たのであった。

5D + 100MACRO

# by libra-mikio | 2016-02-24 22:46 | その他 | Comments(0)