Mickey's world

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2017年 08月 16日

飽和「葉緑素」濃度

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創られた公園、と言ってしまえばすべての公園は創られたものであるが、その中でも特に手入れが行き届いていた。
とあるロックフィルダムの、放流サイドにある。
造園の仕事は丁寧で、その光景は癒やしを充分に含んでいる。
ただ、夏休みだが気温が上がらないことと、適度な雨?のせいか、本当に人っ子一人いない。




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セミも鳴かない。
風も吹かない。
替わりに、空気中に植物の葉緑素が放出されたかのように、あたり一面に緑が充満している。
湿度ならぬ緑度、などと言う言葉が頭に浮かぶ。
ここはさしずめ飽和葉緑素濃度に近い。
そう、繰り返すが、空気が緑色なんだ。




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木々の樹高を見ればこの公園がつくられてからの年月が判ろうというものだ。
そしてベンチの配置がいい。
小さな丘の造りもいい。
芝は刈られたばかりだ。

なぜ僕一人しかいないんだろ?


# by libra-mikio | 2017-08-16 20:34 | 椅子のある風景 | Comments(0)
2017年 08月 12日

よみがえるバカ

子供の頃父親と散歩をしていたとき、かなり勾配の急な坂を八百屋か何かのカブがスピードを上げて降りて来た。
カブは僕たちの近くを歩いていたおばさんの間近で、大きなブレーキ音とタイヤの軋みを発して止まった。
カブの兄ちゃんはそのおばさんと面識があったようで、止まった後、悪びれず、満面の笑みで「えへへ、驚いたでしょ」
要するにおばさんをからかったのだ。
おばさんはもちろん驚き顔が引きつっていた。

その後、父親が吐き捨てるように言った。
「馬鹿者が。ブレーキが利かなかったらどうなるかということを、全く考えていない。お前は、あのようにはなるな」
子供ながら、僕は父親のいう意味を即座に理解した。


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江の島の桟橋のすぐ下に、水上バイクの奴らが集まるようになって何年にもなる。
観光客が橋をそぞろ歩くので、奴らは「見られてシアワセ感」を満喫している。ゾクと一緒。
派手にターンを決めて水しぶきを盛大に上げる。
大抵後ろに女を乗っけている。
周囲に何もない所でやればまだしも、仲間のバイクをめがけて水しぶきを浴びせた。
瞬間、子供の頃のカブのバカが脳裏によみがえった。


スキンヘッドのマッチョバカよ、江の島っていうのは、お前らみたいなガキが来るところじゃないんだよ。
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# by libra-mikio | 2017-08-12 18:21 | Mic記 | Comments(0)
2017年 08月 03日

白樺

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子供の頃から海辺の育ちで、だから白樺への憧れは並大抵のものではなかった。
或る時従兄が、家族旅行で信州に行ったからそのお土産だ、と言って白樺林のポスターを我が家に持ってきた。
そのポスターは今でいうA0サイズ、実に立派で、ほどなく僕の勉強部屋に張られることになった。
癒された。
そのポスターを見つめていると、NHK-FMの野鳥の声の放送で初めて聞いたカッコウの鳴き声が聞こえてくるのだった。
(あの頃、僕の頭の中にぐるぐる回ってエンドレスだったのは、カッコウの声と吉田美奈子=朝は君に、だけだった)




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こんなお洒落な樹木は他にはないと思う。
花木ではないから、春夏秋冬、いつでもその樹皮の妙を感得できる。
こんな風に、少しやつれていたってワクワクする。
僕にとって白樺は信州の象徴なんだけど、初めて新千歳空港から札幌に向かう電車の車窓に、至極無造作に白樺林が現れた時にはびっくりしたな。
住宅地、いや線路脇に普通に生える白樺。
寒冷地ならば当然かもしれないが、なんとも羨ましかったものだ。




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倒れても、白樺。
た お れ て も し ら か ば 。
いいな。


# by libra-mikio | 2017-08-03 22:12 | Mic記 | Comments(0)
2017年 07月 25日

読了

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今年になって、重い腰を上げて、これまで中途で放棄していた鈴木大拙の「日本的霊性」を読み終わった。
勢いを得て、やはりとん挫していた森清著「大拙と幾多郎」も今日、読了した。
3年越し、いや、5年越しかもしれない。
合間に「無心ということ」「禅」を読んでいたが、ようやく、大拙・鈴木貞太郎の爪の垢の一塵ほどに目を向けることが出来たレベルか。

それにしても明治の日本人力には瞠目すべきものがある。
司馬遼太郎が明治の日本人を賞賛する気分が良く判った。
明治人は胸を張って西欧に出て行った。そして東洋の精神を西欧にちゃんと伝えていた。

東慶寺に隣接する松ヶ丘文庫のHPにあたると、老いた大拙が1952年と53年にコロンビア大学で行った講義録「鈴木大拙 コロンビア大学セミナー講義(1952年秋冬学期・1953年春学期)」が昨年刊行された、とあった。
講義は無論英語で行われているが和訳本のようだ。
是非読んでみたい。


# by libra-mikio | 2017-07-25 22:42 | Mic記 | Comments(0)
2017年 07月 24日

キスゲと一緒に太陽を待つ

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白樺湖の定宿を、朝の5時半に出る。
勝手知ったるフロントは、キーを置いておけばいいから、ということになっている。
ニッコウキスゲを見に、車山の肩を目指す。
雨ではないが晴れでもない微妙な空気感。
ビーナスラインから振り返れば、蓼科山がシルキーな高層雲越しの朝日に影絵になっている。




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霧ヶ峰はまだ乳色の曖昧なエーテルで満たされている。
去年とほぼ同じ日の同じ時刻に霧ヶ峰にいるが、今年のニッコウキスゲは去年より張りがあるようだ。
でもこの光ではくすんでいて、なんだかのっぺりしている。
雨でも構わないとは思っていたが、晴れるのであれば早く晴れてほしい。




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さあ、もうすぐだよ。もうすぐ、お日様が顔を出すよ。
さっきよりも明るくなって来たぞ。
まだかな、まだかな。
太陽を待っているのは花たちも一緒のようだ。




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そら出た!
一旦太陽が出てしまえばこんなにも透明な色に変わる。
ここでも名残のレンゲツツジが少し咲いていた。
ツツジとキスゲのツーショットを狙ってあれこれアングルを変えてみたが、これが精一杯。
自然界の贈り物のワンカット。



# by libra-mikio | 2017-07-24 20:49 | 高原 | Comments(0)
2017年 07月 23日

逢いたかった風景

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駐車場にクルマを停め、いよいよワンダリングが始まる。
年齢と日頃の不摂生が息を弾ませる。弾んでいるうちはいいが、そのうち弾みもしなくなる。
でも気温はおそらく25度を下回り、湿度も低く、汗が見事に飛んでいく。

何気なく眺望が効く場所に出た。瞬間、これぞ信州! と思った。
何という山が見えているのか、が問題ではない。
この時の僕にとって、あるべきものが、あるべき場所にあり、すべての配置が黄金律に則っていた。




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池の平湿原は別名、アヤメ平とも呼ばれているそうだ。
木道を逸脱してはいけない。自然に対する奥ゆかしさを保つためにちゃんと望遠レンズを持って来ている。
6時に湘南を出発してここに着いたのは午後1時。
中途半端な時間帯であるがゆえに、却って僕の周りに登山者はほとんどおらず、木道に一人座り込み、望遠で切り撮る。
アヤメたちは確かに笑っていた。




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詩人、尾崎喜八は美ヶ原を訪れ、その天空の広がりの様子を、
「登りついて不意にひらけた眼前の風景に / しばし世界の天井が抜けたかと思う。
 やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、 / この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
 無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、 / この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、
 尋常の尺度にはまるで桁が外れている。(尾崎喜八 美ヶ原熔岩台地)」
と記した。
その気分は池の平湿原にも当て嵌まる。
写真に見える木道は、一周しても30-40分なのでスケール的には小さいが、気分はもう、同じだ。名残のレンゲツツジも僕を待っていてくれた。


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# by libra-mikio | 2017-07-23 21:25 | 高原 | Comments(0)
2017年 07月 18日

駒草

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池の平湿原の上に咲く駒草に逢うことと、霧ヶ峰のニッコウキスゲに逢うこと、そして踊場湿原を歩いて郭公を聞くことが海の日連休の定番となった。

駒草ってこんなにも可憐なのに、信じられないようなガレ場でしか咲かない。
何でだろう?
って、僕が考えたって解決しないからやめよう。

駒草って、背丈が小さいんだよ。
せいぜい大きくたって、15センチにも満たない。




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そして赤ん坊のように、花の大きさとそれを支える茎、首の細さがすごくアンバランスなんだ。
だから一層、健気さが伝わるのかな。
あ、もちろんその名前は花の形が馬の顔に似ているからだということは判るよね。




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去年のほぼ同じ時期にここに来たときは、なんとなく花期の終わりでほとんどの花がやつれていた。
でも今年は、なんとか間に合ったみたい。
嬉しかったなぁ。


# by libra-mikio | 2017-07-18 21:32 | 高原 | Comments(0)
2017年 07月 17日

絵はがきの富士

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毎年、海の日の連休に高原に行くようになった。
梅雨のさなかだから、雨が降ることは織り込み済みだ。
しかし今年は一体どうしたことだろう。
確かに水蒸気は多いが、朝早くから快晴だ。

三国峠から山中湖に降りる途中にパノラマ台という、山中湖と富士を見渡せる展望台がある。
その駐車場はすぐに満車になり、三脚の列が立ち並ぶ。
僕のようにモノノワカッタ人は(エヘン)、その少し上にある無名の空き地を選ぶ。




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まるで絵はがきだ。風景写真としては実によろしくない。
でもね、この光景を前にして、ストレートにシャッターボタンを押したい!という誘惑は強烈である。
そして僕はサタンに打ち勝つイエスほど強くない。

夏富士にはわずかに雪渓が残るのみ。
植物の緑が夏のエネルギーを得て、少しづつガレ場の茶色を上方に追い詰めていく。
平和な光景である。


# by libra-mikio | 2017-07-17 15:03 | 高原 | Comments(0)
2017年 07月 13日

For sale

For sale、いや、”Love for sale” ではありません。
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では何を?
フネを。
どんなフネなの?
こんなフネです。
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じゃ、いくらさ?
だいたい3,000万円くらい。
安いの?高いの?
・・・見当がつきません。
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でも、バーゲンチックだから、きっとお手頃なのでしょう。
「ふ~ん」って思う人が、きっといるのでせう。
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こういうお家に住んでいる人なのでせう。
「ふ~ん」と思う方々は。



# by libra-mikio | 2017-07-13 19:17 | | Comments(0)
2017年 07月 11日

里の愛らしい光景

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中央アルプスの麓の山村を走っていて、わざと小さな道に紛れ込んでみた。
細く折れ曲がる農道を、少しヒヤヒヤしながらゆっくり走っていると、こんなに可愛い庭(?)に出逢った。
家を一歩出たら草花が一面に咲いている・・・ものすごく贅沢なことだと思った。




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道端の、紫陽花越しに奥に拡がる田んぼと額紫陽花の対比に惹かれた。
濃い青と、稲のみずみずしい緑が、朴訥だけれど里の温かみを感じさせた。
この季節ならではの、ぽってりとした空気感も写すことが出来たつもりだ。




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少し坂を登ったところにある家の庭に、数本の向日葵が咲いていた。
何故となく、向日葵と、壁の白と、屋根の赤茶がとても可愛らしく感じられた。
こういう家に住んでみたいと、羨ましさを素直に感じた。


# by libra-mikio | 2017-07-11 23:32 | | Comments(0)
2017年 07月 10日

ようやく合歓たちが元気になってきた

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ようやく合歓たちが元気になってきた。

中くらいの谷の、西の尾根の中ほどに、この合歓はいる。
梅雨の中休みの、まだあまり高くない今日の朝日が横から射している。
シャッターを切る瞬間、風がさりげなく通り過ぎた。
花も葉も、ちょっと大げさに驚いている。




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陽が高くなると、一様な光線でのっぺりとした印象になってしまう。
それでも半逆光の合歓を探し、なんとか絵になるよう願って撮る。
晴天の真昼の合歓は難しい。
急に夕立でも来ればいいのに、などと思う。




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しかし、合歓はどうしてこのような花を咲かせることになったのだろう。
繊細すぎる。
クローズアップ双眼鏡で覗くと、それはそれは美しく、本当に見惚れてしまう。



# by libra-mikio | 2017-07-10 22:28 | | Comments(0)
2017年 07月 03日

振り仰ぐ

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湖岸の周回道路には、先ほどまでの雨が上がった後の、強烈な湿度が満ちていた。
強い日差しが否応なく、せっかく落ちた雨滴をまた空に返し始めている。

ふと見上げると形のいいクルミの実があちこちに下がっていた。
僕にはもう、これがオニグルミなのかサワグルミなのか区別がつかない。

口惜しさから言うのではなく、今の僕には、クルミ、でいい。




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何故、ヤマユリを振り仰ぐのか。
実は切り立った法面の上の方から道路に向かい咲いていたのだ。

野草である。
でも、こんなにゴージャスな野草がほかにあるだろうか。

神奈川県の県花になっている。
ただしこの花の名前ををひらがなで書くと、悲しく忌まわしい出来事が思い起こされてしまう。




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毎年、合歓を探しに行く。
小諸の、とある場所の合歓は大変に美しかった。
実はうちの近所にも美しい合歓があったのだが、最近は不思議ときれいにはならないのだ。

でもね、日曜日にある湖のほとりで期待の出来そうな合歓を見つけた。
まだ少し早かった。
来週は、もっと妖艶な姿を見せていることだろう。


# by libra-mikio | 2017-07-03 21:48 | | Comments(0)
2017年 06月 27日

東慶寺、雨

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日曜日に待望の雨が降った。
梅雨の時期に「待望の」は本来おかしいが、実際、なんという空梅雨なのだろう。

鎌倉に紫陽花を撮りに行こうと決めていた。
お目当ては明月院だったが、少し出遅れて9時半に北鎌倉に着いたら、なんと横須賀線の線路まで「明月院待ち」の列が出来ていた。

即座にやめて、東慶寺に行った。
正解だった。




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奥の墓所は、いつにも増してしっとりと潤っていた。
石仏の配置が面白くてレンズを向けると、奥の竹が光っていた。光っているように見えた。
まるで竹取物語だ。

いや、待てよ、このように僕の目から見ても竹が光って見えるのだから、いにしえの作者の目にも竹の根元が光るように見えたのだろう。
古来の寓話にはある種の写実があったのだろう。




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これまで気が付かなかったが、「ブライス」さんという方のお墓があった。石塔にはちゃんとカタカナで「ブライス」と刻んである。
つい最近ゆかりの方がお見えになったらしく、薔薇が供わっていた。

岩波茂雄や安宅弥吉、和辻哲郎や西田幾多郎の墓所とそう離れてはいない。
ブライスさん。どんな方だったのだろう。




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少し雨が強くなってきた。
東慶寺の入り口にある「北鎌倉 ギャラリー空」に入り、しばし雨をやり過ごす。

ここにも紫陽花が咲いていた。
あまり可愛いのでお店の女性に声を掛け、写真を撮らせてもらった。
こういうのって、けっこう好きだ。


# by libra-mikio | 2017-06-27 21:54 | | Comments(2)
2017年 06月 25日

夜の愛に逢いに行く

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夜のなお美さんのモニュメントを撮りたくなった。
相模湾の光に浮かぶモニュメントを。

誤算であった。もっと光が碑に当たっていると思った。
いいえ、辺りは真っ暗であった。
正直に言うと、少し怖かった。




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さそり座が昇っていた。
いて座の銀河も光っていた。

なお美さんのモニュメントの真ん前で、さそりを撮った。
正直に言うと、この時も少し怖かった。




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ヨロイヅカファームのこのオブジェは、お二人そのものなんだと、初めて得心した。
寄り添う者と寄り添われる者。
愛って、あるんだ。




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夜景って、愛を紡ぐね。
あの光の下でどれほどの愛が満ちているのか。

愛、無尽。


# by libra-mikio | 2017-06-25 21:26 | | Comments(0)
2017年 06月 18日

また薔薇を撮ってしまう

雨が降るという予報が出ていた。
今日は、雨に濡れた百合を撮るつもりだった。

雨は予報通り降ってきた。
そして雨滴を纏った百合もあった。

でも、薔薇の美に負けた。
もう、旬を過ぎている。花弁が痛んでいる。
しかし、傷んでなお、薔薇は美しい。
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何回も書くが、最近、この薄紫の薔薇が気に入っている。
清楚である。
品種としての名前はもちろんある。
しかし、名前を憶えて得意になる時期は、僕の中でもう過ぎた。
美しければ善い。




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炎立つ。
種苗家は何を求めてこの品種を作ったか。
妖艶。社交。ジェラシー。
僕は炎(ほむら)だと思った。
究極の恋心。




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この花弁の厚さはどうだ。
あたかも朴の花のようだ。
しかし朴の花の一種凄みのある香りではなく、あくまでも薔薇の清楚な香りを放つ。




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可憐。
いや、可憐だけだろうか。

したたかな可憐、か。


# by libra-mikio | 2017-06-18 22:19 | | Comments(0)
2017年 06月 16日

香を焚く

一週間が終わった。
今宵、グラスが進む。

香を焚いた。
しかも串田孫一のカップで。

富士宮の江戸屋さんにまた行って、無理を言って、串田さんのカップをわけてもらった。
もちろん対価を払うつもりだった。
しかし、お店の若い女の子は困った顔をしてオーナーに相談した。
帰ってきて曰く、「もう新たには作っていません。これはお店の常備品であり新品ではありません。既に当店で使用している以上、お代は受取れません、そうオーナーが申しておりました」

そのカップを香炉にして良いのか?
僕の中では、善いのだ。
串田さんのカップは、単にお茶を受け止める容れ物から、もっともっと創造的な役割を果たすのだ。

今日の香は、鎌倉にある鬼頭天薫堂で求めた、「竹仙 ゆずのかおり」である。
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# by libra-mikio | 2017-06-16 23:36 | | Comments(0)
2017年 06月 13日

2017年、初夏の田んぼ

ここは御殿場の田んぼ。
朝の富士が逆さに写って、いい感じ。
これを撮ったのは5月4日午前8時半。今では苗も大きくなっているだろう。
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年に何回か、田んぼっていいな、と思う時がある。
何故かはよく判らない。
でも道すがら、あ、と思ってクルマを停めてしまう。




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国道20号を通れば早く信州方面に行けることは判っている。
けれどあまり風情がないので、釜無川の南西を北上する県道12号をよく使う。
そこで発見した棚田。6月2日午後6時前。
遠くに八ヶ岳を望む、いい空間だった。




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駒ヶ根温泉ホテルの最上階からこっそり撮った、6月3日朝5時半の田んぼ。
伊那谷に昇る朝日が水面に反射し、僕はうれしくて自然と笑みをこぼした。

数日前にアップした、天竜川の河岸段丘の上の田んぼはこの後に撮ったものだ。
田んぼって、なんか、いいな。


# by libra-mikio | 2017-06-13 22:32 | Mic記 | Comments(0)
2017年 06月 11日

ついにあの鳥の名前が判った!

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ついにこの鳥の名前が判った!
ガビチョウ、というそうだ。

この写真は2015年6月18日の拙ブログ「ムラヤマ・クロツグミのメス? 」にアップしたのと同じ写真である。
要するに僕は長いことこいつの姿を見ることが出来ず、こいつの鳴き声をクロツグミの声だと思い込んでいたのだが、上の文を書いた日に初めてその姿を捉えたのだった。
もちろん即座に野鳥の図鑑で調べたが、どうしてもクロツグミではないと感じた。このいきさつは前ブログに詳しい。
結局、違うよなぁ、と思いつつ、これはきっとクロツグミのメスで、眉毛が白いことからあの村山首相の名前をくっ付けて、ムラヤマ・クロツグミのメスだなどといい加減なことを書いたのである。半信半疑で。

で、実は今日箱根の温泉に行く道すがら、環境省が設置している「箱根ビジターセンター」に寄ったのだが、箱根に生きる野鳥の写真カードが展示されていた。
もしかしてあいつのカードがあるかも? と思い、期待に手を震わせながらめくっていくと・・・あった!
しかしそこには初めて聞く名前「ガビチョウ」と書いてある。
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ガビチョウ?・・・知らない・・・
早速、センターに備え付けの鳥類大辞典など数冊をひっくり返したが、そんな名前はない。
途方に暮れる1ミリ前で、そうだ学芸員さんにきいてみよう、と閃いた。
(僕はナントカ大臣と違って学芸員さんは立派な人たちだと思っている)
相手をしてくれた方は40台の女性で、なんかこう、優しさのカタマリみたいなチャーミングな方だった。たとえるならば原日出子さんのような💛 (余計か)

僕:
実はこれこれしかじかで、この鳥をずっとクロツグミだと思っていたが今日初めてガビチョウであると知ったんだ。フッ、参ったな。しかし僕が初めて聞く名であると同時にどの辞典にも出ていない。これは一体なんでだろう?もし君に知識があるのならば、そして僕に伝えることをヤブサカではないと思うのならば、教えてはくれないだろうか。

チャーミングさん:
うふ、いいわ。教えてあげる。あなたは実に素敵なポイントを突いたわ。実はこの鳥はもともと日本にはいなかったの。中国からペットとして連れてこられたのよ。でもね、ペットが逃げ出したのか、或いは業者がうるさく鳴くこの鳥を持て余して山に放しちゃったのか、とにかく近年急にあちこちで繁殖したの。これはね、ガビチョウっていうのよ。ガ・ビ・チョ・ウ💛 中国での漢字は画眉鳥で、そのまま音読みにしているのね。最近のことだから、こどもやちょうずかんにも偉そうな権威主義的辞典にも出ていないのだわ。 

僕:
ふーむ、ガビチョウ。ところで自分で言うのもナンだが、僕は鳥の声の聞きなしには多少自信があるんだぜ。しかしこいつは、多少の不信感を持ちつつも僕をしてクロツグミだと思わせた・・・。そこのところが少し口惜しいな。俺もヤキがまわったか。

チャーミングさん:
あら、今度は自己嫌悪? あのね、あなたが間違えたのはおそらく無理もないのよ。実はガビチョウはすごく耳がいいと言われているの。どういうことかというと、他の鳥の声をすぐに覚えて真似をするのよ。しかも本当に上手く。実際に、オオルリやキビタキ、サンコウチョウの真似をするのを私は知っている。クロツグミの鳴き真似なんてコロッケ以上に上手いはずよ。だからあなたはそうひがまなくてもいいのよ。どう? ご気分を直すことが出来て?

・・・バカらしい。すみません。

最後に実際にガ・ビ・チョ・ウ💛の美しくも狂おしい鳴き声をシェアさせていただきます。


★さらにオマケ
箱根からの帰り道に当たるので、つい、ヨロイヅカファームのなお美さんのモニュメントに寄ってしまう。
この、なお美より、という文字の形に惹かれてしまうのだ。
今日のバラを何気なく撮ったのだが、いま写真を見ていて気が付いた。むむ、右に金属の銘板が新しく設置されている!
このモニュメントは日々進化している。
今度、ゆっくり読みに行こう。
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# by libra-mikio | 2017-06-11 21:10 | Mic記 | Comments(0)
2017年 06月 09日

自然に包まれる幸せ

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杖突街道から入笠山、或いは中央線の青柳駅方面に抜ける道の途中に金沢峠がある。
その峠の少し手前に、千代田湖という農業灌漑用人造湖がある。
人造湖と言ってしまえばそれまでで身も蓋もないのだが、奥蓼科の御射鹿池(みしゃがいけ)のように周囲の自然に溶け込み、いや、この池があることにより周囲の自然が余計に尊く思われるような、そんな池である。
(そうそう、御射鹿池は今でこそ東山魁夷の「緑響く」のモチーフとして有名になったが、僕が通りすがりに良い池だと思って、そこでわざわざフルートを吹いていた頃は観光客などは訪れていなかった)




少し前に富士の裾野でトウゴクミツバツツジを愛でたが、この千代田湖ではレンゲツツジがちらほら咲き始めていた。
悲しいことに、僕はレンゲツツジのメッカ、湯の丸高原にはそのピークの時に訪れることが出来ていない。
ここ10年は総務のヘッドとして6月の株主総会の準備があり、湯の丸どころではなかった。
今年からは内部監査に異動したが、学校に通ったり、まだ試験論文を書いていなかったりで、やはり湯の丸はお預けである。
でも、「なんとなく土日ツアー」で初めて訪れたこの場所で出逢ったレンゲツツジは、群落ではないが、僕の心をとても和ませてくれた。
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林間の、黒く落ちる樹影の中にレンゲツツジの子供が佇む。
写真に音は写らないが周囲はハルゼミの大合唱で、その音圧たるや想像を絶する。
初めはあっけにとられていたが、そのうちにナチュラルハイになり笑ってしまった。




高原と青空と、水面と可憐な花木。
おまけにハルゼミの声に包まれ、僕はすごく幸せだった。
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# by libra-mikio | 2017-06-09 21:53 | 高原 | Comments(0)
2017年 06月 06日

夜の公衆電話

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信州から夜遅く湘南に帰る山道に、この公衆電話はあった。

先に言っておくが新しく発見した場所ではなく、明るい時間帯にここを通るたびに、夜の雰囲気を想像していた。
きっと妖しい。そう思っていた。

その通りだった。
雨でも降っていれば、その気配はいや増したろう。
でも、梅雨前の乾いた空気の中だったからこそ、撮ることが出来たのかもしれない。
だって、陰々滅々とした様子であれば僕自身が怖いもの。

僕は前からここを、谷内六郎の「夜の公衆電話」になぞらえていた。
皆さまその絵をご存知か?
雨の夜、太い枝を出す木の下に公衆電話がぽつんと光り、中で白いキツネが受話器を取って話し込んでいる。
その様子を見てしまった幼い姉と弟が、遠くに離れて不安げに寄り添っている。
見る人をなんとも言いようのない、切ないのか怖いのか判らない気分にさせる絵だ。
でもすごく惹かれる。

だいたい、今の世の中で公衆電話がいまだに設置されていること自体、妖しい。
これはやはり、スマホの登録がしにくいおキツネ様たちの通信手段として、NTTが敢えて残しているのだろう。
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# by libra-mikio | 2017-06-06 21:58 | | Comments(0)
2017年 06月 04日

河岸段丘

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河岸段丘のてっぺんから大らかな景色を眺めてみたいと思い立ち、駒ヶ根に行った。
日差しは朝から強いが、気温は15度を下回り、湿度も低く、纏いつく風が夢のように軽く感じられた。

農家に土曜休みがあるとは思えないが、機械は止まっており畑で働く人の姿はなかった。
聴こえるものは耳をかすめる風の音と、遠くでなくアカハラやウグイスの声だけだった。




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こんな高所にも田んぼがある。
苗が行儀よく並び、張られた水は真っ青な空を映していた。
夜になれば蛙たちの大合唱がきっと物凄いことだろう。

真夏にもう一度ここを訪れたいと思った。
稲の実る匂いが暑い風に乗って僕の鼻腔を通り抜けるだろう。
南アルプスの重畳たる山塊の上には素敵な入道雲がもくもくしているだろう。
そんな真夏の光景が既に目に浮かぶのだった。




空が広い。
大地の斜面が広い。
とにかくすべてが広い。明るい。

面白いものだ。
河岸段丘の下は谷で、そこに立てば狭隘である
同じ地形でありながら、自分を置く位置を変えれば、一転して狭隘が広大に変わる。
人生の局面にも同じことが言えるかもしれない。
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# by libra-mikio | 2017-06-04 13:04 | | Comments(0)
2017年 05月 30日

電線のない電柱

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電線のない電柱を見つけた。
それは奇異であり、この上ない違和感があった。
どちらかと言うと、嫌な感じのものであった。




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倒せばいいのに。
この世から無くしてしまえばいいのに。

でも、それを敢えて撮る自分がいる。
美しいものが好きだと公言し、事実その部分が99%を占めるのに、昔から僕は禍々しいものに惹かれる素地を1%持っている。

若い頃から続く現象だが、何気なく本屋に入り、何気なく棚を回ってふと手に取る一冊が、明治時代の血みどろ画の画集であったりする。
本の背表紙のタイトルを見て選ぶ訳ではない。
おそらく僕が惹き寄せられるのだろう。

そういう時、僕の中の99人の僕は、早く本を閉じろと叫ぶ。
しかし同時に、無関心を装う1人の僕が、存在する。
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# by libra-mikio | 2017-05-30 21:47 | Mic記 | Comments(0)
2017年 05月 28日

或るモニュメント

小田原側から箱根にアプローチすると、手前に秀吉が築いた石垣山の一夜城址がある。
城はもちろん残ってはいないが、城郭が公園になっている。
とても良い公園で、豊臣に楯突いた北条の末期を偲ぶという侘び寂びの雰囲気は全くなく、明るく開放的だ。

この公園の駐車場に、パン屋さんがある。
お洒落で美味しいパン屋さんで、しかし敷居は高くない。
そのパン屋さんが、公園ではない部分の海側の斜面に、湘南ゴールド(柑橘類)やブルーベリーの畑を作っている。

去年この一夜城址を知った僕は、折に触れ訪れていた。
今年になって、いつの間にかそのパン屋さんの畑の一画にモニュメントが新設されたことを知った。
そのモニュメントには、なお美さんという方の直筆のような散文が刻まれている。
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いったい、なお美さんという方は誰なのだろう?
文面からするとなんとなく亡くなる間際の走り書きのように思えるけど、この農園の海を見渡せる一等地に建立されたのだから、きっとオーナーかなんかなんだろうな・・・と思っていた。

行く度に、なお美さんという方が気になりだして、ググれば判るかなということでPCに向かった。
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全く予期しなかったが、なお美さんというのは、川島なお美さんだった。
お洒落なパン屋さんと思っていたのは、ご主人であるパティシエの鎧塚俊彦さんのお店だった。
そして川島なお美さんは、2015年の9月に亡くなっていた。
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そういうことが初めて判り、今日、改めてお洒落なパン屋さん、いや「一夜城ヨロイヅカファーム」を訪れた。
そして改めて、川島なお美さんの文章を読んだ。
病床でしたためたのだろうね。
自らの死を認識していた訳だね。

今まで ありがとう なお美より って、悲しいね。




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このモニュメントから数メートルのところに、立って抱き合う蛙のモニュメントがある。
実に不思議だ。
何で蛙が登場するのかさっぱり判らない。

でもね、一体の蛙の背中に、こんな刻印を発見したんだ。
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T 8 N

Tは、おそらく俊彦さんのTだよね。
Nは、おそらくなお美さんのNだよね。
8は、おそらく、・・・?

8は無限大記号を倒立したものなのかもしれない。
でも、大きなお世話だが、気になって二人の関係を集合知に当たってみたら・・・

二人の出逢いから、なお美さんの死による離別までの間が、8年間だと判った。

悲しいね。


# by libra-mikio | 2017-05-28 21:20 | Mic記 | Comments(0)
2017年 05月 26日

初夏の紫

初夏の紫が好きだ。
初夏の紫に惹かれる。




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トチノキ。
お洒落に仏語で言えばマロニエ。
すっくと中天を目指し、花穂も上昇志向を持つ。
潔さを感じる。
願わくば、僕の心にもマロニエを植え、大事に育てたい。




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キリ。
内閣の家紋だそうである。内閣に家紋? どうでもいいが、確かにプロンプターの演壇には桐の紋章がいつも現れる。
そんなことはどうでもいい。
桐は、霧と合うそうである。
箱根で偶然に言葉を交わした古老が、そう断言していた。




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フジ。
山間の道路を走っていると、あちこちにフジが見え隠れする。
藤棚のフジもいいが、野生の趣を横溢させるフジに親近感を覚える。
きっと誰かが見てくれている、と。




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トウゴクミツバツツジ。
好きだなぁ。本当に好きだ。
この色はおそらく人工では真似が出来ないのではないか。
毎年この時期に逢いたくなる。
たまに忙しくて逢いに行けない時もある。
でもね、今年は遭えた。


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木花開耶姫も、トウゴクミツバツツジをご寵愛なさっているらしい。

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# by libra-mikio | 2017-05-26 23:14 | 高原 | Comments(0)
2017年 05月 14日

薔薇の季節が始まっている

もう、薔薇の季節が始まっている。

毎年、年間パスポートを求める花菜ガーデン。
大輪、儚げ、主張するビビッドカラー、奥ゆかしい内気な娘。
たくさんの種類の薔薇が咲き乱れるが、僕はここ1-2年、ブルーグレーであったり薄いブラウン系の花に惹かれる。
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薔薇に恋する人って粋だと思う。
新しい花を作ることを夢見る人。
創出はせずとも、毎年美しい花を見事に咲かせるために丁寧に手入れをする人。
去年だったか、薔薇を育てる人にジェラシーを感じると書いたが、その想いは今後も変わらないだろう。
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僕はその薔薇たちを写真に撮る。
きれいに、素敵に見えるよう一生懸命撮る。
それが僕と薔薇の付き合い方だ。
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EOS 7D+100MACRO






# by libra-mikio | 2017-05-14 19:38 | | Comments(0)
2017年 05月 08日

尾道そして美少女

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千光寺公園のてっぺんに登ったら、片積雲が夕方の太陽を隠した。
雲が光を裂き、思わずシャッターを切ったが、僕は画面左下の尾道水道を撮りたかった。




何故尾道水道なのか。
それはこの、加納満さんの写真にノックアウトされたからだ。
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2008年 枻出版、CAMERA magazine no.6の表紙。
表紙だけではなく、掲載された数葉の尾道のモノクロ写真は何と魅力的であることか。
もう、行く、断然行く、と決めてから早10年。
ようやく時期が来た。

地図とストリートビューで、概ねどこのポイントから撮影されたのかは把握できたが、結局今回は時間の関係でそこには行けなかった。
クタビレタから、という説もあるが。
で、似たようなアングルで千光寺公園から撮ってはみた。
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あれぇ、ちょっと違うな?
でもいいんだ。また行くし。




さて突然ですが、ここで一人の美少女が登場する。
もちろん彼女に迷惑が掛からないように現像している。
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まぁ、なんというか、僕はモテるのですよ(笑)
言い換えれば人畜無害ともいうが、なんたって、ほかにも観光客が何人もいる中で彼女から僕に声を掛けてきて・・・
と、詳述してもバカらしいのでやめるが、周りにいたおっさん連中は実に不平そうな顔をしていたのは事実(笑)

なぜ尾道で東欧系なのか。
なぜ東欧系なのに言葉が西日本系なのか?
・・・んなことはどうでも良くって、僕は周りの観光客の怨嗟の的となり、呪いが濃ければ濃いほど天にも昇る気分であった。
これ、事実ですよ(笑)




でもさ、尾道水道って、いいよ。
少しだけ真面目な写真をアップしておこう。
人と、街と、水が、知という衣を纏っている。それが尾道。
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# by libra-mikio | 2017-05-08 23:00 | | Comments(0)
2017年 05月 07日

尾道の想い出

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尾道。
どれほど行きたかったことか。




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古い商店街を風となって歩けば、自転車の乙女たちがツバメの様に滑走してくる。
飛ぶツバメが鳴き声を発しないのと同じく、乙女たちの声は耳には届かない。
しかし心を澄ます必要もなく、若さが限りなく心に聞こえてくる。
旅人の、尾道という地名に対する感傷を見事に否定しながら、乙女たちは駆け抜ける。




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見知らぬ店を選ぶ嗅覚に自信はなかったが、これは、と入った店は案に違わず安心し、落ち着くことが出来た。
老夫婦が営む店には、よく見かけるタレントとの写真が飾られている。
杯が進めば、問わず語りに会話が始まる。
聞けばご子息は公務員で、ご夫妻はそれを誇りにしている。
短い時間であったが、旅の者としての礼節を弁え、今夜の安宿に向かう。


# by libra-mikio | 2017-05-07 22:39 | | Comments(0)
2017年 05月 06日

放哉と大拙

先程、鈴木大拙(だいせつ)の「無心ということ」を読んでいたら、驚くような記述があった。
大拙が放哉の句に言及し、その句を以て「無心」の説明をしていたのだ。

入 れ も の が 無 い 両 手 で 受 け る   放哉

大拙曰く、碧厳集にある金牛和尚の話、「菩薩子喫飯米」では次のことが書かれている。
唐の時代のことであったが、金牛和尚はいつもご飯の時になると、お坊さんが一緒にいる食堂の前にお鉢を抱えて行き、大いに踊りながら呵々大笑して「菩薩子喫飯米」、つまり「ご飯が出来たぞー、さあさあ食べよう」と有難い笑顔で本心から皆にご飯を勧めた。それを20年も続けた。これは「無心」ということがない限りできることではない。
一方、大拙は、ロンドンで禅を普及している際、安田銀行の某氏から、いま日本で一種異様な俳句が作られているが、その中に「入れものが無い両手で受ける」という句があるということを聞いた。某氏はその句を大層褒めていた。
ここで大拙は閃くのである。
金牛和尚は、踊りながら、笑いながら、20年も無心にご飯を勧めていた。
そのご飯を受けるとき、入れものではなく素手の両手で受ける、という光景はこちらも受け手として実に素直であり無心の様子ではないか、両鏡相照らしてその間に映像なし、というものではないか・・・
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*写真は放哉没後、井上一二が施主となり南郷庵に建てられた放哉の句碑「入れものが無い両手で受ける」。書は荻原井泉水。今でも尾崎放哉記念館の庭に建つ。




冒頭にも書いたように、全く予期せぬ記述に心底驚きつつ、つい先日放哉ゆかりの地を訪れたことを想い、世の中にはこんなこともあるのだなあと少し呆れた。
それというのも、昨日、僕は何の気なしに北鎌倉・東慶寺の鈴木大拙のお墓を訪れたばかりなのだ。

放哉の本句は、大拙が言っているような内容・状況で生まれたものではない。何しろ墓守をし、知人にかろうじての金銭的援助を受けながらの困窮状態の中で、かつ肺病が悪化した最悪の時期の発句である。
しかし同時期に作られた句には、
朝 が き れ い で 鈴 を 振 る お 遍 路 さ ん   放哉
というものもある。
やはり放哉自身は句作にあってはまさに「無心」であり、大拙の直覚は間違ってはいないのかもしれない。
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*オマケ・・・なかなか充実した記念館であった。ただ、係の30代の女性が暗いというか、気が利かないというか、不愛想というか、やる気がないというか、、、


# by libra-mikio | 2017-05-06 22:41 | 放哉 | Comments(0)
2017年 05月 05日

夜のフェリー

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下田逸郎がつくり、石川セリが歌った儚い曲、セクシィ。
・・・旅に出るなら 夜の飛行機 つぶやくあなた セクシィ・・・

夜の飛行機はセクシィかもしれないが、夜のフェリーはもっと現実味を帯びた旅愁を醸し出す。
島外への移動手段が船に限られる小豆島では、夜もフェリーが就航する。

そして男が一人デッキに佇む。




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夜9時。フェリー桟橋では運行要員が手持無沙汰に、しかし忠実に職務をこなす。
僕のような観光客はもう乗船せず、ごく少ない、なにがしかの用事を持つ者だけが船内に入っていく。
騒ぎを起こす馬鹿な若者もいないピアは静かである。




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短い汽笛を一度だけ発し、時刻どおりにフェリーが離岸する。
先程の男だろうか、独り、少しずつ離れていくピアを見つめている。
先程はてっきり彼を商用の人、と位置付けたが、違うのかもしれない。ハートブレイクな若者なのかもしれない。
しばらく考えたが、そんなことはもうどうでも良くなって来ている。




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重油の内燃機関の重い音を港内に低く響かせてはいるが、一瞬華やかに見える船はある意味静かすぎるほど港を出ていく。
フェリーの日常なのだろう。
旅に出ると、非日常なのは旅をしている自分だけであり、その感傷を土地の人に具現化してほしいというのは、旅人の傲慢である。
僕はよそ者であり、僕がどのような感傷に浸ろうとも、土地の人々は忠実に彼らの日常をこなす。




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船足というものは、遅い。が、速い。
時間が万物に共通するスピードであることは理解しているが、少し目を離すと、船は既に遠くなっている。

夜のフェリーは、旅の途中の僕にいろいろなことを突き付ける。

*注意深い読者は既に二隻の別のフェリーの写真が使われていることにお気付きとは思うが、同夜に抱いた作者の主観で綴ることをご理解いただきたい。


# by libra-mikio | 2017-05-05 19:49 | | Comments(0)
2017年 05月 04日

放哉への旅 ~ 海も暮れ切る




障 子 あ け て 置 く 海 も 暮 れ 切 る   放哉




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僕が尾崎放哉の自由律俳句を好きであることは、既に何回も書いている。
そして何年も前から、放哉の最晩年の地、小豆島に行くことを願っていた。
先日の坐禅の話ではないが、人には時期というものがある。
この連休に、とうとう僕は小豆島は土庄(とのしょう)町を訪れた。




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岡山からフェリーに乗った。
東京は雷電が走り雹が降ったとニュースが伝えたが、瀬戸内はこれ以上ないほどの優しい表情を見せていた。




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放哉は晩年、京都の一灯園から、神戸の須磨寺、福井県小浜の常高寺を経て、最期はここ、小豆島の王子山蓮華院西光寺奥の院・南郷庵(みなんごうあん)に来た。
仕事は墓守である。
本当はお遍路さんに蠟燭などを売り現金収入を得て余生をつなぐ筈であったが、南郷庵には大正14年の8月に来、翌年の4月7日、肺結核により亡くなる。
来島の8月は既にお遍路さんの季節ではなく、翌春にちらほらとお遍路さんが南郷庵を訪れ始めた時には、放哉はもう食べ物が喉を通らないどころか、好きな酒も体が受け付けない状況であった。
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放哉の最晩年については、吉村昭の「海も暮れきる」に詳しい(本句は「切る」であるが吉村昭は「きる」と仮名遣いにしている)。
ただ、この本は放哉好きが読んでもその個性に違和感を感じてしまい、つまるところ、放哉ってロクでもないな、と思ってしまうのが辛い。
だから放哉のことをよく知らない人には、薦めることをためらう。
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西光寺から5分ほど歩くと、放哉の墓がある。
大空放哉居士(たいくうほうさいこじ)と彫ってある。
放哉を看取った当時の西光寺の住職、杉本宥玄(この人も自由律俳句同人「層雲」に玄々子という号で参加している)が、当初放哉の才能に敬意を表し、
大空院心月放哉居士
と戒名を付けたが、放哉の師であり後見人ともいえる同人代表、荻原井泉水(せいせんすい)たちが、生前の放哉の行動に照らし、あまりにも立派過ぎるとして院、心月の三文字を取ってしまったのである。
井泉水は悪い人ではないどころか、実に放哉を心に掛けていた人であったが、彼をしてもさすがに生前の放哉の人品に鑑みて、斯様なことをせざるを得なかったのだと思う。
或る意味、放哉はそこまで人として練れていなかったということであろう。
なかなか悲しい。




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もう一人、放哉の理解者である井上一二を忘れてはならない。
土庄で代々醤油製造業を営む井上一二は謹厳実直な人格であり、同じく層雲同人であった。
僕はこの一二についても非常に興味があり、できれば現在の井上家を訪ってみたいと思っていたのだが、残念ながらその生家は既になかった。
しかし渕崎という地名の、本来一二の家があった筈のすぐそばに、写真のような旧家を見出した。
これは一二の家ではない。
しかしおそらく一二の家は斯くあったのではないか、と思わせた。
違うことが判っていながら、敢えて写真を撮った。

放哉、井泉水、宥玄、一二。
土庄、渕崎、西光寺、南郷庵。
僕の放哉への旅は、不完全ながらも一応の成果を収めたと思っている。

今回の旅はX-T1による。


# by libra-mikio | 2017-05-04 19:52 | 放哉 | Comments(0)