Mickey's world

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2016年 04月 25日

お菓子を有難う

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おふくろは早く寝る。
僕が家に帰り着くころは彼女は夢の中だ。

だからときどきメモで事務連絡がある。
たいていは、「お米を買っておいてください」とか、「たまごをゆでました」とか。

今日は・・・「お菓子を有難う」

そういえば昨日、彼女のためにワッフルとクラッカーを買ったっけ。

今夜は庭の匂いもいい感じの夜だし、僕の気持ちも久し振りにやさしい。

X-30

by libra-mikio | 2016-04-25 21:49 | Mic記 | Comments(0)
2016年 04月 20日

光球

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我々地球人が見て、唯一面積を持って見える恒星は太陽だ。
他の恒星は余りに遠く、マイナス1.6等星の大犬座のシリウスだって、ギラギラ輝くがあくまで点光源だ。

惑星は別だ。
地球の兄弟星である木星や土星、火星などは当然だが太陽系に属し、恒星の世界に比べれば隣の部屋レベルであり、望遠鏡で覗けば拡大される。つまり面積を持つ訳だ。

恒星は点光源である故、地球の大気の揺らぎによりちらちらと瞬く。
一方惑星は面積を持つ故、例えば木星の北の端っこから出た反射光(太陽の反射ね、つまりお月さんのようなもの)は確かに揺らめいている筈だが、南の端っこから出た反射光の揺らぎと相殺され、じーっとしていて瞬かない。

とにかく、太陽は我々が見ることが出来る、面積を持つ唯一の恒星だ。
そして天文用語で太陽を「光球」とも呼ぶ。
このように中望遠のレンズで捉えると、確かに「光球」なのである。

Canon EOS 7D + EF24-105mm f/4L IS USM

by libra-mikio | 2016-04-20 22:27 | | Comments(0)
2016年 04月 18日

ルバイヤート 60

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朝風に薔薇の蕾はほころび、

鶯も花の色香に酔い心地。

おまえもしばしその下陰で憩えよ。

そら、花は土から咲いて土に散る。

・・・・・
ルバイヤート 60
オマル・ハイヤーム作
小川亮作訳
岩波文庫 32-783-1
・・・・・
Canon EOS 7D + EF100mm f/2.8L Macro IS USM

by libra-mikio | 2016-04-18 22:56 | | Comments(0)
2016年 04月 13日

花噴水

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甲州の越えたことのない峠を走っていた。

一目見て、花の噴水だと思った。

それならば、花弁のひとひらごとを、光り輝く水滴の様に撮ってやろう。

シャッタースピードを遅く、露光を多くし、何条もの光の筋を際立たせた。
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X-T1

by libra-mikio | 2016-04-13 21:58 | | Comments(0)
2016年 04月 11日

花の寓話

桃と菜の花が内緒話をしている。

初めのうちは、菜の花も確かに興味があったのだが、少し桃のほうがしゃべり過ぎたらしい。

桃はそんなことには気づかず、風が吹いてふたりが近づくたびに、いそいそと先程の話の続きを菜の花にしている。

人のいい菜の花は無下に話を中断させることもできず、せめて自分の興味が既に薄れたことを、少し視線を逸らすことによって、桃が気付いてくれることを願っている。
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X-T1 + XF35mm F2R WR

by libra-mikio | 2016-04-11 22:04 | | Comments(0)
2016年 04月 04日

素朴な饒舌

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今、この波を照らしているのは、雲間に沈みかけた太陽だけである。

空と海と太陽。
多少の演出を試みるものは、地球の自転と雲と波。

素朴な饒舌。
太古からの質素な華美。

僕は左目も開けて、ファインダーを通さない生な光景も見続ける。

by libra-mikio | 2016-04-04 21:26 | | Comments(0)
2016年 04月 02日

春を淋しく思うとき

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串田孫一の随想に、春を淋しがる人、というものがある。
僕がこの文章を知ったのは1974年だから、実に40有余年が過ぎている。
しかし僕は、春を淋しがる、ということが本当にあることなのか理解できなかった。
つい、先日までは。

文中、野辺のバス停に立つ、赤ん坊を背負った若い母親があんまり沈んだ顔つきなので、思わずどうかされましたかと尋ねた筆者に対し、「あんまり春の来かたが早いので、それで淋しくなってしまったところです」と答えるのだ。

その日、というのはちょうど一週間前なのだが、僕は初めて春の到来を本当に淋しく思った。
次から次へと発生する会社での問題に精一杯対応していたその日の朝に、春について感じたことを、僕は夜にまとめようと思っていたが、実際にはそのような余裕はなかった。
そうであろう予感があり、電車の中で、感じたままに、自分に対しメールを送っておいた。

・・・・・
春が来るのが嫌なのではありません。春を待ち焦がれていたんです。
その待ち焦がれていた春が、私の準備ができないうちに来てしまって。
だから寂しいんです。
だって、電車の窓から見えるおうちの庭の、雪柳がもう真っ白なんですもの。
昨日まで、その満開の予兆に気付かなかったのです。
春そのものが淋しいのではなく、自分自身が淋しいんです。
・・・・・

こうして、巡り来ることが当然である春に対し、春を淋しがるということが本当にあるのだな、と40年ぶりに納得したのである。
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今日、法政大学、多摩キャンパスにて。X30。

by libra-mikio | 2016-04-02 22:23 | 季節 | Comments(0)