Mickey's world

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カテゴリ:陰翳( 24 )


2017年 11月 21日

陰影考

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日本の秋の美は陰影が無ければ存在しない。
ただ単に色彩の美しさだけではない。

光の色は、影が有りてその美を更にいや増す。
谷崎純一郎の陰影礼賛は少しネガティブだが、その辺りの機微を理知的に洞察する。

しかし本当のことを言えば、仏道に恋い焦がれる身として、相対の関係に執着してはならぬのだが。




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そうは言っても、陰影は生に必要な塩分の如く、愚人にとり必要なのだ。
・・・ははは、そんなことを言っていたら、僕は仏道など口にする資格もない。
面倒なことは考えず目の前にある美をいただこう。




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懐古園の秋は、つまらぬ僕の想いなどを笑う以前に、全き唯我独尊を be している。


by libra-mikio | 2017-11-21 22:23 | 陰翳 | Comments(0)
2017年 11月 12日

古城

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小諸。
古城。
移ろう時。
儚さ。




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文化。伝統。民度。
凛とした意気。
育む時間。
ERAの積層。




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華麗。
うたかた。
刹那。
美。
そう、美。


by libra-mikio | 2017-11-12 21:40 | 陰翳 | Comments(0)
2016年 12月 02日

儚さ

儚さ
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儚さ
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by libra-mikio | 2016-12-02 23:53 | 陰翳 | Comments(0)
2016年 07月 26日

やまゆり・・・

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やまゆりというのは、我がふるさと、神奈川県の県花だ。
それはそれは、素敵な花だ。

その名を冠した施設で、こともあろうに、とんでもないことを起こしやがって。

呆然としている。意味が判らねぇ。有り得ねぇ。
だろ?

末法だか、黙示録だか知らねぇが。
こんな奴、死刑にしても意味がないと思わないか?

もう、報道もしなくていいよ。

末法チックに言えば、輪廻転生を止めてやる。
黙示録チックに言うなら、サタンに喰われろ。

ただ、ご遺族にはどう向き合えばいいんだろう。

by libra-mikio | 2016-07-26 22:18 | 陰翳 | Comments(0)
2016年 02月 06日

去る者と去られる者

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その時僕は、石神井公園駅の改札へと登る階段の下にいた。
小さい僕は、去ってゆく人を見つめ、涙を流していた。
行かないで。

航空自衛隊勤務の叔父が、休暇を終えて三沢基地に帰る時のことだった。
叔父は型にはまらぬ人で、湘南高校を経て法政大学に入ったはいいが親に内緒で拳闘、つまりボクシングを始めた。
戦争を通じ暴力に疲弊していた親に拳闘部在籍が露見するや、親は、拳闘部をやめるか大学をやめるか、と迫った。
親は無論、拳闘部をやめるという答えを予期していた。
ところが叔父は、ためらうことなく法政をやめると宣言し、そのまま航空自衛隊に入ってしまった。

彼の三沢基地勤務の前、北海道は襟裳の基地にいた時の、地元漁師とのケンカ三昧の話は僕を魅了した。
曰く、飲んで漁師とケンカして、ヤッパで背中を切られたが幸いなるかな体には届かなかった、だから平気な顔をして部隊に戻った。
すると上官から、その背中はどうした、と問われた。
鏡で見ると制服の背中が肩から腰まで切り裂かれていた・・・

こんなエピソードを持つ親類がほかに居よう筈がない。
僕はこの叔父が好きだった。

その叔父が私鉄に乗って去ってゆく。
淋しかった。
階段の途中で振り向いた叔父は笑って手を振った。
僕は、涙で手を振った。

この叔父は随分前に病没した。

by libra-mikio | 2016-02-06 23:31 | 陰翳 | Comments(0)
2016年 02月 03日

或る死とメッセージ

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或る、他人の死について、先程から書いていた。

1時間以上かけて書き終え、ブログアップをする段になり、ミスって全部消えてしまった。

書いてくれるな、というメッセージだと認識した。

だから書き直さないけれど、そういうことがあったことだけは書かせてね。

by libra-mikio | 2016-02-03 22:54 | 陰翳 | Comments(0)
2015年 11月 16日

燃える秋

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燃える秋。

五木寛之。

武満徹。

ハイファイセット。

ここまでは結びつく、

三越の岡田元社長。

映画。

失脚。

え?どんな関係があんの?

石川セリ。

セリと武満徹の結びつきも不思議と言えば不思議。
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EOS 5D + EF24-105mm f/4L IS USM

by libra-mikio | 2015-11-16 21:56 | 陰翳 | Comments(0)
2015年 10月 03日

異形

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異形(いぎょう)とは時々使われる言葉であるが、本来、こういう者共のことを指すのだろう。

いや、者共と言っては罰が当たる、この象さんは日蓮法難の地、江の島の対岸にある日蓮宗霊跡本山 寂光山龍口寺の山門の装飾なのである。

この山門は、確か、1860年代に大阪・鴻池家の寄進であったような記憶がある。
(あの、鴻池議長サンは間違いなくこの鴻池さんでしょうね・・・と思って集合知を見たら、違うそうです。議長サンのルーツは関西の侠客として知られた鴻池忠治郎(鴻池組)という方で、財閥の鴻池さんとは無関係なんですって!女性問題も頻発させた議長さんですから、ムベなるかな)

しかし怖いものだ。天竺の象はこんなのだったのだろう。
ではこちらはどこの生き物なのでしょう?
やはり天竺の、らいおん?
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X-T1 + ZUIKO 50mm F1.4、 35mm F2.0

by libra-mikio | 2015-10-03 22:45 | 陰翳 | Comments(0)
2015年 09月 15日

ナルちゃん遊び

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古いネガ。大学2年、20歳前後。
噴飯ものだ(Mickey's world の読者は間違いなく減るであろう(笑))。でも載せちゃう。
そして、当時から僕は、究極のナルシストだったのだと改めて思う。

今も手許にあるが、1974年5月8日 水曜日に、僕は「愛の断想 串田孫一 小海永二編(大和書房)」を買った。
当時は買った本の奥の扉に、その日の日付を書くのが習慣だった。
だから40年も前の5月8日の曜日までわかる。

この「愛の断想」の扉に、三宅修氏が撮影した串田孫一の写真がある。
下の写真だ。
間違いなく当時の僕は、この写真を意識して上のカットを撮った。
信州の下宿の6畳間で、たぶん冬で、前の年に松本で入手した本物の油のランタンの灯りで撮った。
カメラは OLYMPUS M-1、レンズはZUIKO 50mm F1.4 だ。それしか持っていなかったので間違いはない。
三脚を使ったセルフポートレイトだ。それは清里の清泉寮で拾った三脚だ。しかし今はどこかへ行ってしまった。

あの頃は自由だったな。自由を謳歌していたな。何をやっても楽しかった。
その自由度、楽しさ度は青天井だった。
今でも両親に感謝している。
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愛の断想 串田孫一 小海永二編(大和書房)より転載。

by libra-mikio | 2015-09-15 23:24 | 陰翳 | Comments(0)
2015年 09月 07日

ロヒンギャのこと

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トルコの海岸に漂着したシリア難民の子、アラン・クルディちゃんの遺体を抱くトルコ警官の写真は胸を打つ。
悲劇である。
この写真は間違いなく今年のピューリッツァ賞 ニュース速報写真部門にノミネートされるであろう。
この写真により、世論がハンガリー政府を動かし、EU主要国を動かし、陸続と難民がドイツを目指している。

ところで、この春、ロヒンギャの悲劇に関する外電が駆け巡っていたことを諸兄は記憶に留めておられるだろうか。
ロヒンギャ族とは、ミャンマーの、バングラデシュと隣接するラカイン州に多く住むイスラム教徒の少数民族で、70万から150万人いるとされる。人口がこうも雑駁にしか捉えられていないのは、ミャンマーにとりロヒンギャは国民ではないため、人口統計から外されているためである。

そして、ミャンマーはむろん仏教国だが、そのミャンマーの仏教徒がロヒンギャを虐殺しているという外電である。
指導者は仏教の高僧である。
仏教の高僧がイスラム教徒を虐殺しているのだ。
ありえないと思いたいが、本当のことである。

深い歴史的軋轢はあるだろう。また太平洋戦争中、ビルマにおいて、日本が仏教徒を、英国がキリスト教徒とイスラム教徒を互いに軍事教練し戦わせたということもあるらしい。

しかし現在、ミャンマーがいかに多民族国家といえども、政府が国民として認めていない民族がいるということは異常ではないか。
そして徹底的な差別の果てに、ロヒンギャ族に対し生きていることが悪夢のようである振舞いを継続しているのが仏教徒であるということ自体、際限なく悲しいことではないか。

アウンサンスーチーは何をしているかというと、何もしていないらしい。
なぜ何もしないのだろう。

絶望したロヒンギャの若者は、ISに流れ込んでいるという。
似た構図は中国にもあり、差別されたウイグル族がかなり多くISに流れ込んでいるという。

仏教と言ってもミャンマーは上座部仏教(小乗仏教のことだが小乗というのは差別用語に当たるので、現在では上座部仏教=じょうざぶぶっきょう、と呼ぶ)であり、根本的に日本でごくナチュラルにに意識されている大乗仏教徒は違う。だからか?理解できない。

・・・写真は、鎌倉にあるチベット仏教の用品のお店、蒙根(ムングン)にて。
チベットは大乗仏教である。
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by libra-mikio | 2015-09-07 22:32 | 陰翳 | Comments(0)