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2016年 04月 20日

光球

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我々地球人が見て、唯一面積を持って見える恒星は太陽だ。
他の恒星は余りに遠く、マイナス1.6等星の大犬座のシリウスだって、ギラギラ輝くがあくまで点光源だ。

惑星は別だ。
地球の兄弟星である木星や土星、火星などは当然だが太陽系に属し、恒星の世界に比べれば隣の部屋レベルであり、望遠鏡で覗けば拡大される。つまり面積を持つ訳だ。

恒星は点光源である故、地球の大気の揺らぎによりちらちらと瞬く。
一方惑星は面積を持つ故、例えば木星の北の端っこから出た反射光(太陽の反射ね、つまりお月さんのようなもの)は確かに揺らめいている筈だが、南の端っこから出た反射光の揺らぎと相殺され、じーっとしていて瞬かない。

とにかく、太陽は我々が見ることが出来る、面積を持つ唯一の恒星だ。
そして天文用語で太陽を「光球」とも呼ぶ。
このように中望遠のレンズで捉えると、確かに「光球」なのである。

Canon EOS 7D + EF24-105mm f/4L IS USM

by libra-mikio | 2016-04-20 22:27 | | Comments(0)
2015年 08月 25日

幸せをどう計る?

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この寒さ。なんか、勘弁してほしいな。
寒さ、だよ。冷涼を通り越している。
今の気温は20度を割って19度だ。ついこの間まで36度だったんだぜ。
この落差はでかい。

あ、ふと思ったんだけど、幸せの温度計、っていうか、幸せ計ってあったらいいな。
今自分が幸せだと思ったときに脇の下に挟んだり耳の穴に入れたり、いや、ヒトは得意になると鼻の穴が膨らむというから、鼻に突っ込んでもいい。

平幸せは36.5°幸せなの。
ところが微幸せが続くと。常時37°幸せ台なの。
でも悲しいことがあると、35.5°幸せくらいに落ちちゃう。
もしも平幸せが34°幸せ台にでもなったら、東京メンタルヘルス㈱に駆け込むの。

いや、ちょっと待てよ。
本人に幸せ感があっても、計ったら33°幸せだったらどうしよう。
本人が不幸せだと思っても計ったら、38°幸せだったらどうしよう。

そうか、幸せ計のゼロ点調整が必要だね。

イメルダ夫人や、旧南ベトナムのゴ・ジン・ジェム元大統領の弟の妻であるマダム・ヌーの幸せ計のゼロ点と、
マッチ売りの少女や、これまた微妙な調整が必要なプリンセス・ダイアナのゼロ点は、きっと大きく違う筈だもんね。

と、ここでまた考える。
幸せ度合いというのは、××°幸せという絶対値よりも、変化の量なのではないかな。

イメルダ夫人の数えきれない靴のコレクションの中で、本当のお気に入りの靴が、どう探しても出てこなかった場合の不幸せ感。
沢田教一が撮った「安全への逃避」で、ようやく川を泳ぎ切ってナパームから逃れた母子の幸せ感。

・・・なんだか、幸せって何だろうと想い始めている。もちろんポン酢醤油ではないよ。
幸せって絶対値じゃないのかもかなぁ。幸せ、あるいは不幸せって、乖離の幅なのかなぁ。
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by libra-mikio | 2015-08-25 23:03 | | Comments(0)
2015年 07月 02日

妖霊雲

むかし、 吉川英治の 「私本太平記」 を全冊読み通したことがあった。
苦行であった。 苦役であった。 しかし意地になって読みとおした。
あまりにも長くて、 ほとんどアタマに残ってはいないが、 唯一今でも思い出す単語がある。
妖霊星。 
「えうれいぼし」 とルビが振ってあった。 珍しい字なので覚えている。 

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さて、 この雲は、 教科書的にいうと高積雲である。 高積雲の雲底が夕日に焼けているのである。
ところがこのブキミさはどうだ。
H・R・ギーガー氏が、 エイリアンを創る時にヒマつぶしに描いた面妖な雲、 みたいな。

ここは吉川先生にあやかり、 妖霊雲、 「えうれいぐも」 と名付けよう。

こんなものが空いっぱいに広がっていたら・・・僕はおそらく泣きだすだろう。

by libra-mikio | 2015-07-02 20:33 | | Comments(0)
2015年 06月 27日

得難い夕焼け

OM 35mm F2 だけを X-T1 に付けて日暮れの公園に行った。
その時は、 今日こんなに焼けるとは思っていなかった。
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しかしどうしたことだろう、 気まぐれな太陽は地平線の下から高積雲を照らし始めた。
犬の散歩の人や、 お譲ちゃんの自転車の練習に付き合っていたお父さんや、 ジョギングの人たちも、 久々に空が魅せる雄大な光景に気付き、 皆その場で空を眺めている。
あっちでもこっちでも、 遠くでも近くでも、 みんな西の空を見つめて動かなくなる。
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天空のショーは30分ばかり続き、 ほとんどの雲の底から光が消え、 もうどの人の顔も見分けがつかなくなった。
気付けばあちこちの人も三々五々、 家路についたようだった。
僕も帰りながらふと振り返ると、 さっきまでとは違う赤さに空が染まっていた。
あわてて池の前のある小高いスポットに登り、 今日最後の一枚を撮った。
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X-T1とOMレンズがこんなに相性が良いとは思わなかった。
無論ブログ画面では繊細な細部はスポイルされてしまうだろうが、 オオリジナルはすごくいいのだ。
オールドレンズの出来の良さに舌を巻いてしまう。

by libra-mikio | 2015-06-27 21:42 | | Comments(3)
2015年 03月 07日

人智を超えたものが描く画

夕べ年若い部下、 と言ってももう40は過ぎているが、 そいつと呑んだ。
理系の彼は美についての感性がないと言った。
それはおかしいと、 僕は言った。

例えば、 太陽系の惑星の、 太陽からの距離が整数比になっていること自体が美しいではないか。
すべての民族・・・とは言わないが、 大半の民族の持つ音階が整数比になっていること自体が美しいではないか。
理系であれば、 自然界の調和に目を見張る場面がある筈である・・・
そんなことを話した。

必然の流れで神の話題になった。
彼はもとより、 僕にしても決まった信仰は持たない。
しかし先ほどの惑星の整数比などを思えば、 何かしら人智を超えた存在があることは疑うべくもない。
そんなことを話した。

雲は水の変態によって起きる現象である。 しかし雲のメカニズムはさておき、 僕は正直に、 雲の様子に美を感じる。

この雲はどうだ。
僕なりに言えば、 雲のある風景というのは、 空というキャンバスに、 雲という絵具を用いて、 人智を超えた存在が描く画なのだと思う。
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EOS 5D + EF24-105mm f/4L IS USM 



 

by libra-mikio | 2015-03-07 21:34 | | Comments(0)
2014年 12月 11日

冬空

今年に入って僕はソフトフィルターを多用した。 幾つも試して、 Kenko の PRO SOFTON(A)を常用とした。

しかし極端から極端へ振れる僕は、 その前は PRESTO400 に YA-2 を付けて撮っていた。

ここに上げたのは今年の1月に撮ったものだ。 OLYMPUS M-1 + ZUIKO 28mm F3.5 + PRESTO400 + YA-2。

ストレートに暮れて行く冬空。 対極であるが故に団欒を欲さしめる冬空。

そうだ、 これからしばらく 「冬ざれた街」 をテーマに撮ってみようかな。
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by libra-mikio | 2014-12-11 22:38 | | Comments(0)
2014年 10月 02日

五蘊=五雲=ごうん

五蘊 (ごうん) とは、 色、 受、 想、 行、 識である。

これらに執着することが人間の苦しみなのである、 と、 ゴータマ氏はお思いになられた。

しかし五蘊は自然そのものである。 このような者どもが胸中に去来することは、 あくまで自然なことなのである。

自然は人間とは無関係に存在するのである。 だから知らんぷりしてやり過ごしちゃえばいいじゃん、 というのがゴータマ氏の教えなのである (・・・かな?)。

ま、 それが出来れば即、 悟りだよね。

悟ることなど到底覚束ない僕は、 五蘊=五雲、 雲のある五つの光景、 などと大目玉を喰らいそうなダジャレの光景をアップするのである。
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Canon EOS 40D + EF-S10-22mm f/3.5-4.5 USM 

by libra-mikio | 2014-10-02 22:19 | | Comments(0)
2014年 09月 11日

丘の白雲~独歩

『大空に漂う白雲(しらくも)の一つあり。 童(わらべ)、 丘にのぼり松の小かげに横たわりて、 ひたすらこれをながめいたりしが、 そのまま寝入りぬ。 夢は楽しかりき。 雲、 童をのせて限りなき蒼空(あおぞら)をかなたこなたに漂う意(こころ)ののどけさ、 童はしみじみうれしく思いぬ。 童はいつしか地の上のことを忘れはてたり。
めさめし時は秋の日西に傾きて丘の紅葉火のごとくかがやき、 松の梢を吹くともなく吹く風の調べは遠き島根に寄せては返す波の音にも似たり。 その静けさ。 童は再び夢心地せり。 童はいつしか雲のことを忘れはてたり。
この後、 童も憂きことしげき世の人となりつ、 さまざまのこと彼を悩ましける。 そのおりおり憶(おも)い起こして涙催すはかの丘の白雲、 かの秋の日の丘なりき。』
(国木田独歩 明治31年4月作 詩想の4編の中の1編、 丘の白雲)

引用には少し長いが、 抜粋ではなくwholeの作品である。

おそらく独歩は自分の経験を作品にしたのだろう。 決して創作ではないと思う。

そして僕は、 この文章に我と我が身を等倍で投影できるのだ。

独歩の持った感慨は、 時代を超えて普遍性を持っているのだ。
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by libra-mikio | 2014-09-11 21:37 | | Comments(0)
2014年 05月 28日

野望

野望という言葉の定義は知らない。

しかし、 具体的なプラス要因がない中で、 そうなったらいいな、 いや、 その為にこう持って行くべきだ、 その為にはこう行動することだ・・・と、 気分で押して行く!

そんなものが、 野望なのだと思う。

そして今、 僕の中に野望が芽生えたのだ。
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OLYMPUS M-1 + G.ZUIKO50mm F1.4 + 400PRESTO  

by libra-mikio | 2014-05-28 21:49 | | Comments(0)
2014年 04月 17日

50mm

50mmを付けたM-1だけで浜に出た。

巻雲が巻層雲に変わってゆく僕好みの空に出逢い、 広角レンズを取りに帰ろうかと思った。

でも持っている50mmで写し撮ろうと決めた。

富士の存在もあるが、 出来栄えを見て、 この画角でよかったのだと思った。
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OLYMPUS M-1 + G.ZUIKO50mm F1.4 + YA2 FILTER + 400PRESTO

by libra-mikio | 2014-04-17 20:34 | | Comments(0)