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2017年 04月 22日

坐禅会

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人にはやりたいことが山の様にあるが、それをやるべき時期というものがある。

従前から座禅に興味があり、いつかは経験したいと思っていたが、僕にもようやくその時期が訪れた。

鎌倉五山の第二位、円覚寺での座禅debut

行動を起こしてしまえば、それは全く敷居の低いものだったことが判った。

あ、勘違いをしてはいけない。とっかかりの敷居が低いといった訳であり、奥、到達点など判らないどころか判ろうなどという恐ろしいことを考えてはいない。

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よく似た境遇か否かは知らないが、今日の初心者のための「土曜坐禅会」にはご覧の様に様々な老若男女が集まってきた。

僕みたいな変なオヤジもいれば、カップルもいる。また、20代後半から30代の女性も結構一人で参加していたようだ。

総じて若い方が多いという印象。

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(この写真は「円覚寺・居士林だより」というブログから転載しています)

この居士林という建物で、みな坐る。

靴下は脱ぐ。

後は座り方、印の結び方、目の開け方(半眼)、警策の打たれ方などなどを10分程度で教わり、そのあと15分の座禅が休憩を挟んで2回行われる。

僧侶は若くもなければ年寄りでもなかったが、落ち着いた方であり、諧謔もたしなむ方であり、得も言われぬ信頼感があった。


初心者に対しての警策は、自ら打ってくださいという意思を示さない限り打たれない。

僕は打ってほしかった。警策に打たれることを望んだ。初めてマゾなんだと判った(うそ)。

音が響く。しかし痛みは感じない。想像どおり、警策は心を打つのだ。


警策よりも足が痛かった。

結跏趺坐(けっかふざ)はできないので半跏趺坐(はんかふざ)をした訳だが、痺れるというのではなく筋が痛い。


静かだ。

鳥の声、ウグイス、クロツグミ、キツツキのドラミング(鎌倉にキツツキがいることを今日初めて知った)がものすごく大きく聴こえる。

時折、横須賀線の走る音。

それ以外は無音であった。

老若男女がおそらく100人近く集いながら、カップルの私語はおろかシワブキひとつせず、無音の世界を作った。

しかし「考えない」ということは凡人には不可能ではないか。

無理です。

小池龍之介さんの「考えない練習」をずいぶん前に読んだが、おそらく仏陀以外は考えてしまう、ということが改めて判り過ぎるくらい判った。

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時間ほどの座禅入門体験は終わった。

居士林から出てくる方々の表情は明るかった。

おそらく皆さん、嬉しかったのだと思う。

初心者とはいえ、座禅を体験したいという、ある意味素敵なマインドを持った方々である。

きっと、僕が他の人の表情を読んで僕自身が嬉しかったように、他の方々もうれしい気持ちをお持ちになったことだと思う。

おそらく今後、僕は円覚寺に通うことになるだろう。



by libra-mikio | 2017-04-22 21:12 | Comments(0)
2015年 09月 09日

悲しい霊

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2015/9/4(金)、五大紙・毎日新聞に、それも朝刊の、たとえ社会面ではあっても、トップに大きく報じられた記事だ。

「東日本大震災で大切な人を亡くし、霊的な存在を心の支えにする人は少なくない」という書き出し。
続いて、南三陸町の漁師、千葉仁志さん(37)と「家族のかゆい所に手が届く姉ちゃん」だった姉の話が続く。
そして「姉ちゃん」のご遺体はまだ見つけられてはいない。

quote
・・・あの日、近くに嫁いだ町職員の姉は、43人が犠牲になった町防災対策庁舎で波にのまれたらしく、行方が分からなくなった。
だが、10日ほどして、千葉さんは知り合いから「大丈夫だったんでしょ」と声を掛けられる。
避難所の中学校で、嫁ぎ先の親戚の男性が姉と話したという。

男性によると、震災翌日の夜、姉は同僚らと3人で、横一列に手をつないで避難所にやってきた。
「(千葉さん宅がある)稲淵は大丈夫?」と尋ねられ、一家の無事を伝えると「良かった」と言って去ったという・・・
unquote

この後、千葉さんは「本当なんだな」と、男性が音を上げるほど問い詰めたそうだ。

僕は読んだ時、正直背筋がゾッとした。
「姉は同僚らと3人で、横一列に手をつないで避難所にやってきた」というあたり、仲良しの3人の最期の様子を的確にとらえているようで・・・

しかし、なんとも悲しく、やるせない。

諸兄はいかがお感じか。
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by libra-mikio | 2015-09-09 22:30 | Comments(0)
2014年 02月 22日

生きたことのある人の延べ人数と宗教

とある資料によれば、 2011年の世界の出生数は1分あたり約266人、 1日に38万2351人、 1年では1億3955万8000人が誕生している、 という。
(本稿では死者の数は問題ではありません)

スタートをどこに置くかで変わることだが、 これまで 「生きたことのある人の延べ人数」 って、どんなに凄まじい数字になるのだろう。 そのうちに 「神」 を信じた延べ人数はどのくらいになるのだろう。 

スタートを西暦0年に置いたって、 キリストは聖霊によって降誕したのだから既に神はいた。 ゴータマ・ブッダ (中村 元先生の本から) は紀元前2-3世紀に周囲のヒンズー教の教えと並行して独自の哲学をお考えになった。 つまり既に宗教があった・・・

うう、 スタートはどこだ? いやどこに求めたって気が遠くなる程の 「延べ人数」 がいるわけだが、 そのほとんどの人間は 「神」 を信じたのではないか。

なんでそんなことを・・・というと、 宗教・・・とにかく 「人智を超えて存在する大いなるもの」 に願を掛けた人が凄まじい数だけいらっしゃる以上、 たとえ無神論の立場であっても、 そのすこぶる重厚長大な 「民意」 は超超超超ちっぽけな個人が棹差すことなんかできない 「普遍的」 な人類のキャラクターなのではないか、 と考えたからである。

小僧、 コワッパが偉そうに 「僕は神を信じません」 などと言うのは、 もしかすると物凄くお粗末で破廉恥な態度ではないか?
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OLYMPUS M-1 + G.ZUIKO50mm F1.4 + 400PRESTO

by libra-mikio | 2014-02-22 20:42 | Comments(2)