Mickey's world

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2017年 11月 23日

出来事

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何があったか知らねぇが、海で別れ話はご法度だぜ。

兄さん、あんた姐さんに無理を言ったんじゃないのかい?

姐さんは兄さんのものじゃないんだよ。・・・そう思いたい気持ちも判らなくはないけどよ。

姐さんは一人の人間さ。そう、立派な人間さ。そんなイロハが判らなくてどうする。ガキだと言われたって仕方ねぇやな。

しかし踵を返したのは、まだ善かった。世の中には隠れて付きまとう輩も多いって言うじゃねぇか。




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姐さん、いろんなことがあると思うが、大事なのは自分だぁ。

安く売ることはねぇ。

おっと、売るなんて言葉は、また物議を醸すな。

とにかく、アタシを精一杯、いや、二人を精一杯伸ばし合える野郎と巡り合うこったな。


# by libra-mikio | 2017-11-23 22:18 | | Comments(0)
2017年 11月 21日

陰影考

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日本の秋の美は陰影が無ければ存在しない。
ただ単に色彩の美しさだけではない。

光の色は、影が有りてその美を更にいや増す。
谷崎純一郎の陰影礼賛は少しネガティブだが、その辺りの機微を理知的に洞察する。

しかし本当のことを言えば、仏道に恋い焦がれる身として、相対の関係に執着してはならぬのだが。




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そうは言っても、陰影は生に必要な塩分の如く、愚人にとり必要なのだ。
・・・ははは、そんなことを言っていたら、僕は仏道など口にする資格もない。
面倒なことは考えず目の前にある美をいただこう。




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懐古園の秋は、つまらぬ僕の想いなどを笑う以前に、全き唯我独尊を be している。


# by libra-mikio | 2017-11-21 22:23 | 陰翳 | Comments(0)
2017年 11月 18日

空のvermilion

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初めて買ってもらった12色の色鉛筆の中に、vermilionという色があった。と思う。
カタカナでバーミリオンだったかもしれない。
好きな色だった。
朱色ではなく、朱鷺色でもなく、幽かに黄色い領分があった。

僕ら子供は、色鉛筆の細い胴に刻印してある字を見てから、その色を認識したのか。
それとも既に知っている色を、刻印の名前として認識したのか。

その日は懐古園の脇に立つホテルを予約しており、早目に入ってゆっくりするつもりであったが、どんどん空が焼けて来た。
さっきまで蒼空に消え残っていた白い飛行機雲が、つるべ落としの暗がりの中で異様な速さで赤く変化していた。
懐古園は小諸の傾斜の深部にある。
高い所に行って、あの雲が妖しく変わっていくのを見たい!

浅間に向かいクルマを走らせる。ぐんぐん高度が上がっていく。
浅間サンラインまで登ると、もうとっぷりと暮れ、反比例するようにあの雲はvermilionに輝き始めた。
地名も判らぬ四辻にクルマを停め、喘ぐような気持ちでレリーズした。
手がかじかんでいた。


# by libra-mikio | 2017-11-18 18:11 | | Comments(0)
2017年 11月 16日

落葉松

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若き日、落葉松は空気の如く身近にあり、若葉や黄葉を見ることは呼吸をすることと同義であった。
あまりにも近しかった故、その後都会に戻っても心の中に生き続け、再確認する必要がなかった。

今でもその気分は濃厚に残っているが、人生の節目を迎え、改めて個人的なセレモニーとして落葉松林に向かい合うことにした。
彼らは僕にどのような記憶の断片を紡ぎ出させるのか。




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記憶の断片を・・・と書いたが、やはり特別なエピソードは顕れない。
視覚としては。
そう、興味深いことだが、改めて向き合うと視覚よりも嗅覚の方が何かを浮かび上がらせようとしている。
臭いの残像とでもいうのだろうか。
本来思い出したかった大学時代のことではなく、高校時代に軽井沢で夜通し星を見た印象が深海魚のように心に登ってきた。
それはそれで僕が光っていた時代だ。




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とりとめのない話になりつつあるが、思い出などは、もとより夢のようなものである。
落葉松の黄葉は、僕にとり特別なものではなく、ベッドの枕のようなものなのかもしれない。


# by libra-mikio | 2017-11-16 23:00 | 季節 | Comments(0)
2017年 11月 12日

古城

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小諸。
古城。
移ろう時。
儚さ。




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文化。伝統。民度。
凛とした意気。
育む時間。
ERAの積層。




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華麗。
うたかた。
刹那。
美。
そう、美。


# by libra-mikio | 2017-11-12 21:40 | 陰翳 | Comments(0)
2017年 11月 09日

善い朝

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初夏、この田には青々と水が湛えられた。
盛夏、薄緑に金が混じったような、命の勢いそのものの色が一面を覆い、初秋にはその熟れ切った穂がかぐわしい香りを放ちながら黄金に波打った。
そして晩秋。
田は生産をやめ束の間の休息に入る。

晩秋には、田の方々から何かを焼く煙が立ち上る。
その匂いは、不思議と胸に染み込み、幼い頃のことなどを想い起させる。

さほど冷え込んだ訳ではなかったが、農夫によって作り出された煙は地上数メートルにある目に見えぬ逆転層に行く手を阻まれ、静かに、平らかに、広がっていった。




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眼を転じれば、こちらも晩秋ど真ん中の風情を醸す景色が広がる。
誰が取るでもなく、沢山の実をつけた柿。
土蔵の壁は、計算した訳でもないだろうに、見事な調和を見せて崩れかけている。
聴こえる音は、と耳をすませば、一切ない。
この土蔵は、これからきっと、何回も足を運ぶ僕のランドマークになるだろう。




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クルマに戻ろうと振り返ると、さっきの逆転層が気温の上昇に伴い均衡を失い、野焼きの煙が乱舞を始めていた。
なんという、善い朝だろう。


# by libra-mikio | 2017-11-09 21:27 | | Comments(0)
2017年 11月 06日

旅の身空の、食べもの

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旅の身空の食べものは、その旅を彩る重要なものだ。
判っちゃいるけど天性の貧乏性、基本は「ほか弁」の海苔タルタルである(涙)

でも今回はイッタ~リアンである。しかも由緒正しい伊那の「ベルディ」である。
ここの食べ物は全て美味しく、よく頼むのはクラブミート・アンド・グリーンペッパーのピザ。
またパスタのペスカトーレ・ビアンコも絶品。
でも今回は、このチキン・アンド・ライス。
それにママさん渾身のイタリアンドレッシングがたっぷりかかったグリーン・サラダ。
美味いんだなぁ、みんな。

で、お飲み物はどのワイン?となるのだが、なんと焼酎のお湯割りを隠れメニューで頼んでしまうのだ。
ここのママは飲まない。だからお湯割りの比率が判らない。
仕方なく濃い目で作って、と頼むと、飛び切り濃いーのが出てくる。
もう、40年のお付き合いである。




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場所が変わって、小諸の蕎麦屋「丁子庵」。

先に書いておくが、最近蕎麦というものが不埒な食い物だと思うようになっている。
だって、栄養価も高くなければ、味だって一本調子。そのくせ偉そうで、高い。
ただ、たまーに、ほんとに蕎麦が食いたい!と思う。
さような時は、ある程度名の通った店に行き、時事ネタではないがもりとかけを頼む。
無論、先にもり。食べ終わる頃を見計らってかけを出してもらう。
忍野の「枇杷」はこのあたりの阿吽の呼吸が素晴らしい。
もり・かけを食した後は非常に満足し、ほぼひと月蕎麦なんか食いたくない。

で、丁子庵だが、鰊蕎麦を頼んだ。
正直言って、めちゃくちゃ美味かった。




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で、また伊那の夜に戻る。
ベルディは本来夜10時まで店を開けているのだが、
「おい、ミッキー(とは言わないが)、飲み行くか」
「え、だってマスター、まだ9時半だよ」
「いいんだよ、もう客は来ねぇ。ウタだウタ」
ということで飲みに行ってしまうのである。
気が付きゃ1時を過ぎている。


# by libra-mikio | 2017-11-06 21:38 | 食べ物 | Comments(0)
2017年 11月 05日

杖突峠 夜景

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茅野と高遠を結ぶR152は杖突(つえつき)街道と呼ばれ、その名の由来となる峠が杖突峠である。
峠の高遠側はなだらかな下りだが、茅野側は急峻・急登で半径の狭いカーブが多く、昔の旅人が杖を突きつき、喘ぎながら登った姿が目に浮かぶ。

僕はこの峠を一体何回超えたことだろう。大袈裟ではなく、おそらく100回近いのではないか。
そのほとんどは昼間であり、昼の景色も最高に素晴らしいが、いつかは夜景を撮りたいと思っていた。

今回、念願がやっと叶った。
14時に湘南を出発し、「峠の茶屋」についてカメラを構えたのが18時40分だった。晩秋の18時はおあつらえ向きに真っ暗だ。寒さもさほどではない。

上の写真は茅野市街から、果ては蓼科山、八ヶ岳に連なる。
大地が緩慢に八ヶ岳に向かって隆起していくのが良く判る。




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一方こちらは諏訪方面だ。左に諏訪湖の暗い湖面があるのがお判りになるだろうか。
山はといえば、無論暗くて不明瞭だが、右が霧ヶ峰、真ん中の奥の方は美ヶ原である。

今回天気にも恵まれ、前述のように念願の夜景を撮ることが出来たのは、60歳台へシフトした僕へのギフトかもしれない。


# by libra-mikio | 2017-11-05 21:03 | | Comments(0)
2017年 10月 29日

秋の面影

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子供の頃から10月の花はコスモスだと感じていた。
小さい頃は10月にちゃんと秋が来た。
今は違う。
今は違うと書いたが、今年は「いつもの今」ともまた違って、何か荒々しい日々が続いている。
明日、首都圏の電車は動くのだろうか。




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でもそんな不順な秋に直面しても、僕は要所要所で秋の風情を切り撮っていた。
ほんの少しの晴れ間でも、絵になる秋を探して歩いた。
この柿畑?はお気に入りで、この時はまだ熟柿とは言えなかったが押さえて置いた。
そして、この後撮影に向く日は一切やって来なかった。




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秋の面影。
毎年巡っては来るが、どれ一つ同じ相貌は見せない。
今年の秋を、今年の10月を、なんとか僕は記憶に定着させた。


# by libra-mikio | 2017-10-29 22:09 | 季節 | Comments(0)
2017年 10月 22日

すべての見えない光

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その日、本屋に行くまでこの本のことは全く知らなかった。書棚からこの本が手招きをしていて、つい手に取った。
アンソニー・ドーア著、藤井光訳「すべての見えない光」。

先の大戦でドイツ軍に占領されたフランス、特にブルターニュ地方のサン・マロというイギリス海峡に面した海辺の町が舞台となっている。
この本と同じ時期の占領下フランスを舞台にしたイレーヌ・ネミロフスキー著「フランス組曲」を読んだことがあるが(以前アップした)、趣は違う。
下の背表紙写真に「ラジオから聞こえる懐かしい声が、盲目の少女と若い兵士の心をつなぐ」とあるように、まさにこの短い文がこの物語の全てを現わしている。
最低限の補足を加えれば、盲目の少女は6歳で視力を失ったフランス人のマリー=ロール・ルブランであり、若い兵士はドイツ人技術工科少年兵ヴェルナー・ペニヒである。

書評を書く気はない。気になる方はこの本を読んでいただければよく、ここでは僕が感じたことを書く。

先の大戦、第二次世界大戦は確かに枢軸国日独伊と連合国の戦いであった訳だが、太平洋と、ヨーロッパ大陸で繰り広げられた戦争はおのずと全く違うものであったと感じた。
ヨーロッパ大陸は、確かにラテン、ゲルマン、スラブ、アングロサクソン・・・などの人種に分かれるが、部分的には非常に近しく、またハプスブルグ家や、これは別の意味にはなるがロスチャイルド家などがシナプスをあちこちで形成したこともあり、ある意味共存を図って来た訳だ。
ところがナチズム。
この突拍子もない異様なヒトラーという男が、一人で、地域の緩いWin-Win状況を断ち切り、かき回し、ヨーロッパをボロボロにした。
このナチズムに踊らされ、保身を図らなければ自分が粛清されると恐れおののいたアイヒマンのようなナチ上層部は、確かに必死にヒトラーの妄言に従ったが、直接総統とは関係のないゲルマンの兵たちは、遠い親戚ともいえるフランス人に対し根源的な忌避感覚を持つ訳でもなく、おそらく、部分的には、仕方なく兵としての義務を果たしただけなのだろう。悲劇ではあるが。

この視点は、日本と、特にアメリカを中心とするヨーロッパ連合国との、太平洋戦争における対峙性には当てはまらないのではないか。
どう逆立ちしたって、日本人とアメリカ人が遠い親戚であったということにはならない。

だから、サン・マロの町で、ヴェルナー・ペニヒはマリー=ロール・ルブランを守ろうとするのだ。
極限状態の後に、二人の心が淡く溶ける、P-460の缶詰に関する文章。
『モモ(ペシュ)。桃(レ・ペシュ)だ。・・・「ふたりで分けましょう」と彼女は言う。「あなたが助けてくれたのだから」』
ぐっと来てしまう。

そして、やはり、戦争を起こしてはいけないのだ。
戦争を起こそうとしてはいけないし、戦争を起こしやすくしてはいけないんだ。
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もうすぐ衆院選の開票が始まる。
今日の投票結果が出る前に、僕はこの項をどうしても書きたかった。
もうすぐ20時になる。
書き終えることが出来てほっとしている。


# by libra-mikio | 2017-10-22 19:38 | Mic記 | Comments(0)
2017年 10月 20日

名残の秋

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わずか一月ばかり前なのに、もう遠いことのように思える。
ポール・ラッシュ先生は清里の深い霧に佇んでおられた。
この場所に僕はいくつかの想い出があり、もちろんもっと多くの想い出が、数限りない人々の胸にあるだろう。
そしてこんな霧にまかれると、ちょっと切ない。




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今頃は清里のコスモスも「死にゆく者への祈り」を低く詩っているだろう。
コスモスは、晴れた日に見るのと氷雨に見るのとではずいぶん趣が変わる。
そんなことを書いてはみたが、それは見る人の勝手な想いなのかもしれない。




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秋も半ばを過ぎ、全てが中途半端に見える今、多少の回顧に浸ってもいい。


# by libra-mikio | 2017-10-20 23:00 | 季節 | Comments(0)
2017年 10月 11日

幸せな海

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伊豆の小さな漁港は初秋の明るい光に包まれている。
釣り船が出て行く。
引き波が湾内に畝を作る。
水面は青空の蒼を映し、藍に染まる。




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振り返れば水面は美しいグリーンに染まっている。
小高い丘の樹々が、そのまま水面に反映する。
空を映せば藍、樹々を映せば緑。
清潔な漁船たちが、漁師の誠実を物語る。




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外海に面したテトラポッドには中学生くらいの男の子が一人で糸を垂れている。
波のない幸せな海。
休日の午後の、漁港の海。


# by libra-mikio | 2017-10-11 21:41 | | Comments(0)
2017年 10月 09日

ツタウルシのルンルン

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10月の初めではまだ紅葉が燃えていないことは承知していた。
しかし3連休だし、どこかに出掛けたくてしょうがなかった。

山中湖のそばの、花の都公園のコスモスを念頭に置き出発したが、ここのコスモスは年を追うごとに淋しくなっていて絵にならない。
そうだ、お気に入りの甲斐小泉から甲斐大泉をつなぐ泉ラインの雑木林はどうだろう。
遠いな。でも行ってみよう。

しかし、案に相違せず(笑)、まだ中途半端だった。
残念な気持ちでハンドルを握り、今日は清里のソフトクリームをゴールにするかと思ったとき、美し森の交差点でツタウルシを見た。

林道の入り口のような場所にクルマを停め、ずんずんと林内に分け入った。
蜘蛛の巣が頭に絡みつくのを厭わず、ずんずんと林内に分け入った。

そしたらどうだ、ツタウルシは番茶も出花で、結構ルンルンしていた。
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# by libra-mikio | 2017-10-09 21:08 | 高原 | Comments(0)
2017年 10月 07日

ラビリンス

ラビリンス【labyrinth】
ギリシャ神話で、怪物ミノタウロスがクレタ島の王ミノスによって閉じこめられた迷宮。ラビュリントス。
ゴシック聖堂の床などに表された迷路の紋様。
生け垣などでつくった庭園中の迷路。

by 集合知 大辞林 第三版
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単なる薔薇の花芯に迷宮があるのならば、大脳皮質が生育したヒトの心にラビリンスがあることは極めて自然だ。





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その迷宮にもいつかは光が訪れる。
光を、光として認識する聡明さを失ってはいけない。







# by libra-mikio | 2017-10-07 22:45 | | Comments(0)
2017年 10月 03日

還暦前夜

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明日還暦を迎える。

今夜は文字通り、還暦前夜。

前夜祭は、ない。




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こんなにロマンチックに、センチメンタルに、静かなこの夜を迎えるとは想ってもいなかった。

入り日は海に還る。

そして明日、また朝日となって昇る。




強がりもこのところ薄れている。

強がる必要がないのかもしれない・・・、そう思い始めた。

でも、孤高という言葉は忘れない。
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# by libra-mikio | 2017-10-03 22:40 | | Comments(0)
2017年 10月 02日

非日常

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伊東まで来て腹が減った僕は、道の駅で、桜エビのかき揚げ丼を食べた。
上品・・・ではないがサクッと揚がった桜エビを愛でながら、備え付けのパンフを読み、海中ボートが頻繁に出ていることを知った。
もうすぐ60歳の男が、しかも一人で参加するのに幽かなためらいを覚えたが、乗船料1600円を払ってしまった。
海中の光景は大したことはなかった。
しかし思ってもみなかったが、船上では「かっぱえびせん」でカモメをおびき寄せるイベントが行われた。




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デッキから観光客が思い思いに「かっぱえびせん」を放り投げると、何処に居たのか、たくさんのカモメたちが群がってきた。
艫の水の緒と同じくらい真っ白なカモメたちが乱舞した。
これって、結構楽しかった。
鵠沼ではトンビが観光客のマクドナルドを掻っ攫うが、カモメはトンビより愛嬌がある。
しかし、雉にしろカモメにしろ、やはりその眼光には迫力がある。鳥の目ってなんであんなに怖いんだろう。




青い海を船に乗って走ることがまず非日常。
カモメと船が同じ方向に進むので互いの速度が減殺され、飛翔するカモメがゆっくりと僕の頭上を通過するのが、また非日常。
浮世の定めを束の間忘れることが出来る非日常。
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# by libra-mikio | 2017-10-02 22:04 | | Comments(0)
2017年 09月 30日

甦る海

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海というステージが持つ美しさに、今日、久し振りに心が向いた。

こんなに傍に海があるのに、そしてほぼ土日のどちらかは、波打ち際を歩いて腰越のお墓に花を供えに行っていたのに、このところ不思議と心は全く海に向いていなかった。
そして今日も同じように墓参りに行った。

子供の頃に身についたピュアな海への憧れを、きっと加山の歌が呼び戻してくれたのだ。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、僕にとって海の存在はおそらく基本であり、アイデンティティの中核をなすのだろう。
これは、山国で育った人が遠望する山なみに対し抱く原初的感情であり、河の流れを聞いて育った人がその水音に癒されるのと同じことなのだろう。

そう、僕にとっての原体験である海に僕の感情が向いたということは、僕を悩ます周囲の諸々のくびきから、僕自身が抜け出しつつあることを意味しているのだろう。

こう書いて、前文に「僕」が沢山登場することに我ながら驚く。
でもそこにきっと意味がある。
僕の人生は僕が生きるのだから。主語は、主体は、常に「僕」である。




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墓参りからいくつかの所用を済ませて鵠沼の家に帰る頃、今日の焼け方はきっと素敵だろうと予感した。
海に行きたい、海の夕焼けを久々に主体的に撮りたい!
小田急の駅から一生懸命走って家に戻り、広角をセットしたキャノンを取り出し、そのまま海に走っていった。


# by libra-mikio | 2017-09-30 20:36 | | Comments(0)
2017年 09月 25日

加山の時代

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現在、世間からすればかなり恵まれた境遇にいるにも関わらず、年齢的な過渡期を目前にし自分が見えにくくなっている。
これは前にも書いた。

その日、急に降ってきた。
手垢にまみれる前の、自分の感性がピカピカに輝いていたころの自分をもう一度見つけることが出来れば、なんとかなるんじゃないか。
そう思ったのと同時に、大好きだった加山雄三の世界を触媒に使えば、より見つけやすいのではないか、というアイデアもセットで降ってきた。
話せば長いが、小学生の僕は加山雄三に憧れていた、ということが下敷きである。

ためらうことなく堂ヶ島の加山雄三ミュージアムに行った。
写真は展示品の、レコードジャケットの一つ。




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憧れの澄ちゃん、星由里子さん。
あの頃、世間も自分もピュアだった。
或いは、12色の色鉛筆ですべてが表せた時代だった。

僕の試みは正解であったような気がする。
帰り際、加山のベストヒットCDを買った。
堂ヶ島から鵠沼までの5時間、聞きっぱなし、歌いっぱなしで帰って来た。
満足した。
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# by libra-mikio | 2017-09-25 23:02 | Mic記 | Comments(0)
2017年 09月 22日

後味がそれほど悪くないフェイクニュース

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なんと、昨夜あれだけ慟哭した、12歳のフリーダ・ソフィアちゃんは実在しないということが、メキシコ海軍から発表された。
元々いなかったんだって。なんじゃそりゃ?

でもさ、実際にいて、且つデッドエンドの72時間を過ぎたらば、それはそれで全世界が哀しみに包まれる。
結果フェイクでも、どちらかといえば後味が悪くないフェイクニュース、だね。


# by libra-mikio | 2017-09-22 23:34 | Mic記 | Comments(0)
2017年 09月 21日

フリーダ!!!

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フリーダ!!!
がんばれ!
助かれ!
傍にいる子も助かれ!
フリーダ!フリーダ!フリーダ!フリーダ!フリーダ!!!!!
お願いだから助かって!!!


# by libra-mikio | 2017-09-21 21:44 | | Comments(0)
2017年 09月 19日

クロネコ

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今回の人文の旅では、どうしても行きたいところがあった。
信州は伊那にある、クロネコという得体の知れない食堂である。
今夜の宿は佐久海ノ口なのに、先ずは伊那に向かう。

これまで何度もここに入ろうとしたが、到着する時間帯がいつも微妙で、いつもCLOSEDだった。
一方で常に好敵手の地位にある「とよばらのローメン」は時間帯がルーズで、結局そちらに行き、それはそれで非常に満足していた。
今回は昼飯の時間帯に合わせて、つまりクロネコさんの営業時間帯に合わせて周到に作戦を練り(笑)、ようやく本懐を遂げた。

まずはこの外観をご覧あれ。
消防法に引っ掛かって解体を余儀なくされた旧松高・思誠寮よりも明らかに古い。既に傾いている。直線が直線ではない。ダリかムンクだ。




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中では、おじいちゃんとおばあちゃんが切り盛りしていたが、娘さんとお見受けするおばちゃんもいらっしゃった。
そして見よ、このお品書きの豊富さ!
もっとも基本はソバとうどんで、要するにトッピングのバラエティということか。
食堂内は至る所黒光りし、得も言われぬ香り、つまり石油ストーブをつけた時と消した時の、あのノスタルジックな臭いが染みついている。
あ、この時期はもちろんストーブなんてつけてはいませんよ。でも「あの」匂いが染みついているのだ。




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いつかの写真雑誌で読んだことがありここに来たのだが、その時のカメラマンはここで食うソースカツどんを愛でていた。
しからば我もと、ソースカツどんを注文する。
・・・出てこない。なかなか出てこない。時間はたっぷりあるので心ザラツクことなく余裕をかまし信濃毎日新聞を読む。
ロケットマンがロケットを飛ばした日だった。
待つこと40分ないし50分。
来た!
空腹は最高の調味料というが、最高の調味料を以てしてもいささか「う~~ん」。
でもね、おじいちゃんとおばあちゃんが一生懸命作ってくれているのは良く判るので、もちろんきれいさっぱり平らげた。
900円の値は、食材費と、製造労務費と、勤労感謝費(これが大)に因数分解して、心に収めた。




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ありがとう、クロネコさん。
思いを遂げたので、次に伊那に来た時にはためらうことなくローメンの店に行きます。


# by libra-mikio | 2017-09-19 22:06 | | Comments(2)
2017年 09月 17日

村境 そして

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今朝、信州の南相木村から北相木村へとつながる道を、初めて走っていた。
雨の中、道端にブロンズ像があった。
案内板を読むと、「不戦の像」ということが判った。
一体なんだろう・・・

以下、案内板から抜粋。
----------------------------
ここ村境の「別れの松」は、過ぎし戦いの日、大命を受けた若者たちが、一言の抗弁も許されずに、村民総出の歓呼の声に送られて、愛する人々と、最期の言葉を交した、まさに戦争の悲劇が凝縮した場所であります。
・・・
見送る母親の表情には、当時軍国の妻、軍国の母の名のもとに、万斛(ばんこく)の思いを秘めて、透徹した諦感の相を感じます。母親の手にすがる男の子は、「お父さん早く帰って」と必死に叫んでおります。そして、母親の背中に無心に眠る幼子は、二度と父親の顔を見ることは出来ません。
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遺された家族のたどった戦後の苦難の歴史を想う時、この悲劇は断じて繰り返してはなりません。
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往時を回顧し、村民相はかって戦没者に対する鎮魂と、平和への悲願をこめて、ここに「不戦の像」を建立いたしました。
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南相木村
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不戦の像から道沿いに北に目を向けると、そこには確かに「村境」のプレートがあった。
だしぬけに涙した。


# by libra-mikio | 2017-09-17 20:48 | | Comments(0)
2017年 09月 10日

逸る心

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金曜の夜、お天気キャスターたちは「土日は日差しが出ます、でも乾いた空気が肌に心地よいでしょう」と口を揃えて言った。
よし、どちらかの日に曼殊沙華を探そう、そう決めた。

でも土曜日は、目覚めた時から円覚寺に坐禅に行きたくなり、そっち系で固めた。

で、今日、やはり早朝から清々しく、マイフェイバリットエリアに曼殊沙華を求めた。
どうだろう、沢山咲いているかしら、もう現地は老若男女のカメラマンたちで溢れかえっているかしら。

結果はまだ少し早かった。
そして割り合い有名なこの地に、カメラマンはおろか人っ子一人いなかった。
ちゃんと考えれば時期が1‐2週間早いことは判る筈だのに、心が逸り、来てしまった。
でもね、うふふ、数は少ないけれど、今日は咲いている彼女たちを独り占めにできる。




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田もいい雰囲気になっている。
稲の実る甘い香りがし始めている。

すると、こちらもかすかだが、金木犀の香りも交じり始めた。
何処に居るのか確認はできなかったが、初秋の金木犀はなかなか姿を現さないものである。




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マイフェイバリットプレイスからまっすぐ帰る気にもなれず、富士北嶺に向かう。
中の茶屋を過ぎ、林道の名前は失念したが、おそらくは登山道の二合目付近で、ツリフネソウが目立つようになった。
クルマを停めて元気のよさそうな子を探していると、ミズヒキに何かを相談している子を見つけた。
ただ、ミズヒキは心なしか迷惑げだ。


# by libra-mikio | 2017-09-10 22:06 | 季節 | Comments(1)
2017年 09月 06日

地蔵峠、探索終了

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拙ブログ、地蔵峠のこと(2015/08/30)に書いたように、上田から松本に抜けるR143の地蔵峠がどうにも気になっていた。
実は去年の今頃、探しに行ったのだ。
R143のこの辺りには、写真の明通(あけどおし)トンネルと、もう一つ会吉(あいよし)トンネルがあり、双方とも1890年、つまり明治23年に開通したという。
このどちらかが旧地蔵峠なのだが、そして集合知では会吉トンネルが地蔵峠であることを告げるのだが、どうしても決め手がない。
ここが地蔵峠ですよ、というモニュメントがない。
結局、去年は発見に至らなかった。
*会吉トンネルの方は後で知ったが、有名な心霊スポットだそうで非常にヤバいことをした訳だが、その時は何も知らなかった。世の中、そんなもんだ。もちろんオバケには合わなかった。




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この夏、上田・小諸を旅した帰り、ふと思い返して再度、地蔵峠発見チャレンジを行った。
するとどうだ、明通トンネルを出て一服しながら何気なく上方を見るとお地蔵さんと目が合ったのだ。
やや、お地蔵さん、ここにいなさったか!ということで、僕の中ではR143の旧地蔵峠は明通トンネルの上だった、ということに落ち着いた。




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違うよ、間違っているよ、という人がいてもワタシは頓着しない。
ここが地蔵峠である、との結論を下した。
喉の小骨がようやく取れた。


# by libra-mikio | 2017-09-06 23:16 | | Comments(2)
2017年 09月 03日

始まりの秋

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夏は往きつつある。
これから先、もちろん気温の高い日がやって来るだろうが、今年の夏は確実に往きつつある。

串田孫一が、「毎年秋の入り口に天馬ペガススの四辺形を見ずに秋を迎えることはない」と書いたのと同様、僕はこのツリガネニンジンの可憐を見ずに秋を迎えることはない。
高原の冷涼は、既に8月のうちに彼女を大人の女性にしていた。
双眼鏡でとっくりと彼女のいでたちを確認した僕は、毎年の、秋を迎える儀式が執り行われたことに深い安堵を覚えた。




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マツムシソウの花を淑女のボンネットに見立てて、その群生を彼女たちがロンドを踊っている、と表現したのも串田さんだ。
その一文を読んだ19歳の僕は、その初秋に初めて美ヶ原でマツムシソウに出逢った。

何だろう、なんで彼女はこんなにも優美なのだろう。
本当にそう思った。
ただ、そのネーミングには合点がいかなかったし、今も不思議に感じている。

可愛い、だけではない。容姿が面白い、だけではない。彼女の魅力はどこにあるのか、これは突き詰めるべき課題かもしれないが、おそらく野暮であろう。
ただ一つ言えることは、気品、かもしれない。




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アサギマダラがノアザミの蜜を吸う。
二人の関係は互いに相手の得になる、Win-Winである。
自然界では、学校で教わらなくても、互いが互いのためになることを行う。
意地悪をするものはいない。
意地悪をする意味がないからだろう。
アサギマダラの脳の何万倍もの質量を持つ人類の脳は、余計なことばかり考えている。


# by libra-mikio | 2017-09-03 21:56 | 高原 | Comments(2)
2017年 08月 28日

リコリスの頃

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久し振りにお気に入りのガーデンに行くと、もうリコリスのワールドだった。
秋の田の曼殊沙華ももちろん大好きだが、ちょっと洋装のリコリスもなかなか捨てがたい。

このガーデンでは既に花期は盛りを過ぎたようであったが、一体彼女たちはいつ最大のおめかしをしていたのだろう。
あの、なんとなく暗かった8月の中旬か。
だったらもっと早く訪れればよかった。




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以前、この花に添えてジョディ・フォスターのアイリスのことを書いた。
前回は思いっきり露出を落としたが、今回は天に向かって咲く健気さを表してみた。
それにしてもブルーハワイのような蒼と、優しいピンクのハーモニーは何と贅沢なことだろう。
丁寧に撮ってあげたくなる。




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ここに来るとたくさんのリコリスたちに逢うことが出来る。
自然の植生ではもちろんないが、僕はリコリスたちの美しさを充分に堪能する。
これらの美しい花々を、美しく咲かせる努力をしているスタッフさんたちに敬意を覚える。


# by libra-mikio | 2017-08-28 22:07 | | Comments(0)
2017年 08月 24日

塩名田

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大好きな場所だ。
もう何回も拙ブログにアップしたと思うが、今年も訪れた。
中山道、塩名田宿。

不思議なものだ。
晩年の親父が案外と旧い宿場が好きで、和田宿や海野宿、馬籠宿などによく通っていたが、息子もそうなりつつある。

塩名田の、千曲川に掛る中津橋の袂、川魚屋。
構図を取っていたら、微妙なお姐さんが歩いて来て、この「のむら」さんに入っていった。
影の短さが、真夏の暑熱を留める。




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浅科から見る浅間。・・・うん、雲の中の浅間。
ここから見る浅間はいい。実にいい。
たとえ雲の中でも、僕には優美な浅間の曲線が見えている。


# by libra-mikio | 2017-08-24 22:38 | | Comments(0)
2017年 08月 21日

たすけて

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誰かたすけて!
おふくろとのコミュニケーションが取れない。

彼女の名誉のためにこれだけは先に書くが、彼女は身の回りのことは出来ている。

でも耳が遠くて会話が成立しない!
成立しないのであれば話しかけないでほしいのだが、お構いなしに細々としたことを言う。
たまらない。
返事をしても聞こえない。
勝手に相づちを打っている。

モウダメ、会話が成立しないことほどフラストレーションが溜まることはない。

お母さん、僕は優しくしたいのだよ。
だから話しかけないで!
お願いだよ。
口を利かないで!

そう思う自分に、フラストレーションがたまるんだよ。


# by libra-mikio | 2017-08-21 22:47 | Mic記 | Comments(1)
2017年 08月 20日

漂流

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10日間の長い夏休みをいただき、それはあと数時間で終わる。
この長い240時間を僕はどのように使ったのか。
一つ一つを指で差し、これは善かった、これは今一つだったなどと自分自身を評論することは愚であろう。
自分が決めることが許された、自分の時間の使い方を、自分でけなすことは無用だ。

ただ、こんな書き出しをすることは、何か不完全さを身の内に感じているということだ。
世間に甘えて、大抵のことはやって来たような感じもするが、極々当然のことながら、自分の間口の狭さに実のところ辟易している。
僕が本当にやりたいことは何なのだろう?

18歳の青年にとってこそ想うべき事柄を、還暦を目前にした自分が想うとは!

漂っている。
漂流している。
人生の目的が見えない。

今、僕は自分が情けない。
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# by libra-mikio | 2017-08-20 21:06 | Mic記 | Comments(0)
2017年 08月 17日

別所 北向観音

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別所温泉には夕方着き、大湯とあいそめの湯に連続して入った。どちらも硫黄の薫り高く申し分ない。
出ると太鼓の音が聞こえてきた。北向観音で盆踊りが始まろうとしていた。
短い参道には本物の蝋燭が灯る雪洞が等間隔でいくつも並べられ、すべての胴に近在の子供たちが描いたであろう絵があり、心なし哀切感が漂う。
観音堂はさすがに重厚でありながらも、すぐ脇の広場の太鼓の音、つまり庶民の民芸の極致とも融和していた。


話は変わるが、ここ何年も不満に思っていたこと、即ち仏教は宗教ではなく哲学であるのになぜ宗教として扱われるのか、についてごく最近、おぼろげに答えが見えてきている。
鈴木大拙の「禅(仏教の生命と精神の項)(ちくま文庫)」を読み返し、一方で武者小路実篤の「釈迦(岩波文庫)」を一気読みしたことで、仏教がいかにして宗教になったのか、その解決の糸口を掴みかけている。
極々大づかみにそのキモを表現すれば、仏陀ゴータマ・シッダールタが存命の時にはその教えは宗教ではなく、仏陀の死後2千年経つうちにそれは宗教へと変わってきたのだ。
この辺りは今後楽しみに整理したい。


先程まで濃い藍色が残っていた空もいつしかとっぷりと暮れた。
浴衣のお嬢さんが現れた。おそらくは地元の人達だろう。
北向観音は、本当に地域に溶け込んでいると感じた。
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# by libra-mikio | 2017-08-17 16:31 | | Comments(0)