2017年 03月 26日 ( 1 )


2017年 03月 26日

不如帰

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正月に国木田独歩の残り香に惹かれ逗子を歩き、ふと徳富蘆花につながった話を書いた。
その際、蘆花の「自然と人生」を新たに入手した訳だが、しばらくうっちゃるうちに、これまたふと「不如帰(ほととぎす)」を手にした。
しばらく読まずにおいたが、先週、仕事上の気分がひと段落したせいか、何気なく電車で読み始めた。
そしたらどうだ! なんて面白いんだろう!
皆さんはもう既読かもしれぬが、あら筋を書けば次のようだ。

時は日清戦争の前夜、薩摩閥の退役陸軍中将子爵、片岡毅の長女浪子、歳は十八九、同じく薩摩閥の海軍少将男爵、川島武夫、歳は二十三四、両者は良縁にて結ばれる。
浪子は生母に死に別れ継母に育てられたが、「色白の細面、眉の間(あわい)ややせまりて、頬のあたりの肉寒げなるが、(中略)すらりとしおらしき人品(ひとがら)。これや北風に一輪頸き(つよき)を誇る梅花にあらず、(中略)夏の夕やみにほのかににおう月見草、と品定めもしつべき夫人。」である。
因みに、この片岡子爵のモデルは大山巌である。
また海軍少将川島武夫は実に凛とし、女ならず男も惚れる大丈夫である。
しかし武夫の母、お慶は一人息子を嫁に取られた淋しさもある中、浪子が肺の病を患うとこれ幸い、武夫が艦隊演習で外洋に赴くうちに、勝手に浪子を離縁してしまう。
そのあとすったもんだがある訳だが、ユジンとチュンサンもかくやと思われるすれ違いの中、最後まで二人の縁は戻らないのである。

そして浪子は臨終を迎える。
「ほのかなる笑は浪子の唇に上りしが、たちまち色なき頬のあたり紅をさし来たり、胸は浪うち、燃ゆばかり熱き涙はらはらと苦しき息をつき、『ああつらい!つらい!もうーーーもうーーー婦人(おんな)なんぞにーーー生まれはしませんよ。---あああ!」眉をあつめ胸をおさえて、浪子は身をもだえつ。」
「(浪子が気を許す、生母の妹の加藤伯爵夫人は)浪子の手を執り、『浪さん、何もわたしがうけ合った。安心してお母さんの所においで』かすかなる微咲(えみ)の唇に上るとみれば、見る見る瞼は閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。さし入る月は青白き面を照らして、微咲はなお唇に浮かべり。されど浪子は永く眠れるなり。

読んでると、浪子が可哀そうで可哀そうで、泣けるんだなぁ、これが。
このストーリーは絶対に映像化できると思って調べたら、もうとっくに、宝塚でも新派でも、何十回となく上演されていました。

そして、僕は改めて昨日、逗子の郷土資料館に徳富蘆花の匂いを嗅ぎに行ったのだ。
すると、岩波文庫のカバーや口絵になっている、黒田清輝の浪子の画に逢うことが出来た。
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by libra-mikio | 2017-03-26 21:32 | Mic記 | Comments(0)