わずか一月ばかり前なのに、もう遠いことのように思える。
ポール・ラッシュ先生は清里の深い霧に佇んでおられた。
この場所に僕はいくつかの想い出があり、もちろんもっと多くの想い出が、数限りない人々の胸にあるだろう。
そしてこんな霧にまかれると、ちょっと切ない。
今頃は清里のコスモスも「死にゆく者への祈り」を低く詩っているだろう。
コスモスは、晴れた日に見るのと氷雨に見るのとではずいぶん趣が変わる。
そんなことを書いてはみたが、それは見る人の勝手な想いなのかもしれない。
秋も半ばを過ぎ、全てが中途半端に見える今、多少の回顧に浸ってもいい。