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2017年 05月 04日

放哉への旅 ~ 海も暮れ切る




障 子 あ け て 置 く 海 も 暮 れ 切 る   放哉




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僕が尾崎放哉の自由律俳句を好きであることは、既に何回も書いている。
そして何年も前から、放哉の最晩年の地、小豆島に行くことを願っていた。
先日の坐禅の話ではないが、人には時期というものがある。
この連休に、とうとう僕は小豆島は土庄(とのしょう)町を訪れた。




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岡山からフェリーに乗った。
東京は雷電が走り雹が降ったとニュースが伝えたが、瀬戸内はこれ以上ないほどの優しい表情を見せていた。




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放哉は晩年、京都の一灯園から、神戸の須磨寺、福井県小浜の常高寺を経て、最期はここ、小豆島の王子山蓮華院西光寺奥の院・南郷庵(みなんごうあん)に来た。
仕事は墓守である。
本当はお遍路さんに蠟燭などを売り現金収入を得て余生をつなぐ筈であったが、南郷庵には大正14年の8月に来、翌年の4月7日、肺結核により亡くなる。
来島の8月は既にお遍路さんの季節ではなく、翌春にちらほらとお遍路さんが南郷庵を訪れ始めた時には、放哉はもう食べ物が喉を通らないどころか、好きな酒も体が受け付けない状況であった。
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放哉の最晩年については、吉村昭の「海も暮れきる」に詳しい(本句は「切る」であるが吉村昭は「きる」と仮名遣いにしている)。
ただ、この本は放哉好きが読んでもその個性に違和感を感じてしまい、つまるところ、放哉ってロクでもないな、と思ってしまうのが辛い。
だから放哉のことをよく知らない人には、薦めることをためらう。
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西光寺から5分ほど歩くと、放哉の墓がある。
大空放哉居士(たいくうほうさいこじ)と彫ってある。
放哉を看取った当時の西光寺の住職、杉本宥玄(この人も自由律俳句同人「層雲」に玄々子という号で参加している)が、当初放哉の才能に敬意を表し、
大空院心月放哉居士
と戒名を付けたが、放哉の師であり後見人ともいえる同人代表、荻原井泉水(せいせんすい)たちが、生前の放哉の行動に照らし、あまりにも立派過ぎるとして院、心月の三文字を取ってしまったのである。
井泉水は悪い人ではないどころか、実に放哉を心に掛けていた人であったが、彼をしてもさすがに生前の放哉の人品に鑑みて、斯様なことをせざるを得なかったのだと思う。
或る意味、放哉はそこまで人として練れていなかったということであろう。
なかなか悲しい。




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もう一人、放哉の理解者である井上一二を忘れてはならない。
土庄で代々醤油製造業を営む井上一二は謹厳実直な人格であり、同じく層雲同人であった。
僕はこの一二についても非常に興味があり、できれば現在の井上家を訪ってみたいと思っていたのだが、残念ながらその生家は既になかった。
しかし渕崎という地名の、本来一二の家があった筈のすぐそばに、写真のような旧家を見出した。
これは一二の家ではない。
しかしおそらく一二の家は斯くあったのではないか、と思わせた。
違うことが判っていながら、敢えて写真を撮った。

放哉、井泉水、宥玄、一二。
土庄、渕崎、西光寺、南郷庵。
僕の放哉への旅は、不完全ながらも一応の成果を収めたと思っている。

今回の旅はX-T1による。


by libra-mikio | 2017-05-04 19:52 | 放哉 | Comments(0)


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