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2016年 08月 11日

天王寺のほろ苦い想い出

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大阪三部作は今日で終了。今日は天王寺。
この写真は今から10年前の2006年に撮ったものだ。

実はこの「もり多」さんにも深い思い入れがある。
更に遡ること20余年、1980年代に天王寺のこの店にもよく通った。
この店で、或る時はケンカをして地回りに殴られ、或る時は終電に間に合わずおかあさんからタクシー代を借り、或る時は酔い過ぎて帰ることもままならず二階の家族の居宅に泊めてもらった。
青春の恥をすべてさらけ出したお店だ。

おかあさんはころころと小太りで明るく、日本人だったと思うが、ご主人は見るからに在日さんで、痩せていてほとんど口を利かなかった。
ただ、このご主人が作ってくれた焼きそばはニンニクが効いていて、本当に美味しかった。
店はいつも繁盛していて客が途絶えることがなかった。

冒頭に2006年に撮った写真だと書いたが、この時は夜に和歌山に行く用事があり、残念ながら昼にしか行けず、当然の様に店は開いていなかった。
その時は隣の立ち食い蕎麦屋で「もり多」さんの様子を聞いたが、オバちゃん曰く、2-3年前にご主人は病気で亡くなった、今は奥さんと娘さんで切り盛りしてはる、とのことであった。
おぼろな記憶をたどれば、そういえば、二階に泊めてもらったとき小さな女の子がいたような気がした。

そして今回、2016年の大阪行では絶対にこの店で酒を飲もうと思っていた。

天王寺に着いて驚いた。
ちんちん電車(阪堺線)はかろうじて健在であったが、駅の周辺は全くと言っていいほど様変わりし、「もり多」の痕跡は跡形もなかった。
「もり多」だけではなく、近所にあった、一生懸命に自腹で通ったECC天王寺校もなかった。一切合切消滅していた。
もっと早く再訪していれば、おかあさんに当時のお礼が言えたのに。
悔やまれる。
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今思い出したが、昨夜書いた「翼の折れたエンジェル」先輩との間では、この「もり多」を「阿倍野ガーデン」と呼んでいたなぁ。
他にも、仏蘭西=パブとか、ポルタマリ=初めてホレス・シルバーのソング・フォー・マイ・ファーザーをリクエストしたジャズバーなんかがあったなぁ。

遠いことだ。

by libra-mikio | 2016-08-11 20:30 | Mic記


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