ダッカでのテロの後、僕のブログのバックナンバー、
国際霊柩送還士、がかなり読み返されているようで、なんとも複雑な心境である。
そして、今回も政府専用機は羽田に還って来た。
時を同じくして、イタリアにも哀しみの柩が還った。
多くの方が双方のニュース映像をご覧になったことだろう。
そこでだが、日本とイタリアとの違いについて皆さん何か感じませんでしたか?
これまでもずっと気にかかっていたことなのだが、日本の場合、柩がカートによって引っ張られて来るのだ。
もちろん羽田の地上作業員は皆、この上ない最大限の誠意を尽くして作業に当たる。
その姿は見る者の胸を打つ。
しかしカートで牽引するのはいかがなものか。
翻ってイタリアのニュース映像。
イタリアでは数人の男性が、直接機体から柩を捧げ持ち所定の場所に運んでいるではないか。
こうでなくてはいけないのではないか。
犠牲者は貨物ではないのだ。
犠牲者の尊厳に対し限りない敬意を払うべきではないのか。
僕はそう思う。
・・・あの羽田の場違いな台車に置かれたいくつもの柩から昇天していく魂を、光あふれる、開花したばかりの若いシシウドになぞらえてみた。