その時僕は、石神井公園駅の改札へと登る階段の下にいた。
小さい僕は、去ってゆく人を見つめ、涙を流していた。
行かないで。
航空自衛隊勤務の叔父が、休暇を終えて三沢基地に帰る時のことだった。
叔父は型にはまらぬ人で、湘南高校を経て法政大学に入ったはいいが親に内緒で拳闘、つまりボクシングを始めた。
戦争を通じ暴力に疲弊していた親に拳闘部在籍が露見するや、親は、拳闘部をやめるか大学をやめるか、と迫った。
親は無論、拳闘部をやめるという答えを予期していた。
ところが叔父は、ためらうことなく法政をやめると宣言し、そのまま航空自衛隊に入ってしまった。
彼の三沢基地勤務の前、北海道は襟裳の基地にいた時の、地元漁師とのケンカ三昧の話は僕を魅了した。
曰く、飲んで漁師とケンカして、ヤッパで背中を切られたが幸いなるかな体には届かなかった、だから平気な顔をして部隊に戻った。
すると上官から、その背中はどうした、と問われた。
鏡で見ると制服の背中が肩から腰まで切り裂かれていた・・・
こんなエピソードを持つ親類がほかに居よう筈がない。
僕はこの叔父が好きだった。
その叔父が私鉄に乗って去ってゆく。
淋しかった。
階段の途中で振り向いた叔父は笑って手を振った。
僕は、涙で手を振った。
この叔父は随分前に病没した。