Mickey's world

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2015年 11月 21日

ふと思うこと

パリのニュース映像で、イスラム教徒を敵視する中年男性に対し、イスラム教徒の東洋系の女性が食って掛かっているのを見た。
女性は小学生ほどの子供の手を引いていて、子供は母親の剣幕におびえ、涙ぐみ、母親を止めたいのだが、母親は自身の思いを男性に主張し続ける・・・

ふと思ったのだが、僕はこの母親と同じ行動をとるだろうか、同じように魂が怒るだろうか。

我々日本人の多くは、宗教を選ぶことが出来る、と考えているのではないか。
ところが世界に目を向ければ、選ぶどころか、生まれ落ちた瞬間からその人の宗教、というか、宗教的な立ち位置が決まっているのではないか。
敬虔なクリスチャンの家庭に生まれれば当然のようにクリスチャンになるだろうし、ヒンドゥーの家に生まれればあくまでその子の価値観はヒンドゥーのものとなるのではないか。

血なのだ。
局所的に発生したが、しかし人間の寿命の短さを遥かに遥かに超えた昔からその地域に根付いた特殊な価値観、道徳観。
それがすりこまれた血。
それが宗教なのではないか。

そしておそらく世界の殆どの国々・人種の人々は生まれる前からその価値観の中に生まれる宿命を負っており、しかし日本人は稀有な例として、その呪縛感が、他地域に比べ極端に希薄なのではないか。

譬えて言えば、日本の文化人がキリスト教徒になるには自らの頭で考えてそれを選択するのに比し、世界の殆どの国々のクリスチャンの家庭では、生まれ落ちる前からクリスチャンにならざるを得ないのではないのか。
あるいはヒンドゥー教徒に、あるいはイスラム教徒に。

問題はここだ。
宗教は選択するものだとごく自然に考える日本人には、生まれる前から層厚く信仰する宗教が決まっている国民の価値観の源は、決して≪本音≫では理解出来ないのではないか。

だから、本当のイスラム教徒が今感じている悲哀は、心の底では理解できていないであろう。
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適切な写真がない。
X-T1 + XF 18mm F2.0

by libra-mikio | 2015-11-21 23:52 | Mic記 | Comments(0)


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