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2015年 05月 06日

力を持つ者がその力を悪く使うこと、それこそが悪いのではないだろうか

滅多に映画を見ないのだが、 新聞評はよく読む。 そしてこれは見なければならない、 と感じたものには映画館に足を運ぶ。

「あの日の声を探して」 ・・・1999年の第二次チェチェン紛争。 両親をロシア正規軍に虐殺されたチェチェン人の9歳の男の子 ハジ は声を失い、 35歳のフランス人女性EU職員 キャロル はチェチェンで何が起きているかを世界に知らせようともがき、 戦争とは縁もゆかりもなかったがマリファナを見咎められ軍に送り込まれた善良な19歳のロシア人青年 コーリャ は上官の凄惨ないじめを通して考えることを止めソルジャーそのものに変貌せざるを得ない。 この3人の視線から物語は展開して行く。 詳述はしないが、 当事者ではない大国の政治的距離感 (つまり何もしない)、 実際に殺される側の絶望、 軍の狂気・・・そういうものをこれでもか、 と見る側に伝える映画だ。

この物語では1999年の第二次チェチェン紛争が描かれているが、 元はといえばイスラム国であるチェチェンにロシア正教を押し付け、 キリル文字を押し付けた旧ソビエトに反発したチェチェン人が脱ロシアを図った1994年の第一次チェチェン紛争に遠因がある。
 
1997年に停戦合意がなされたが、 1999年8月、チェチェン勢力による隣国ダゲスタン侵攻、 モスクワなどの高層アパート爆弾テロが相次ぎ100人以上の市井のロシア人が死亡した。 当時首相だったプーチンは激怒し、 この映画のように第二次チェチェン紛争へとつながって行く。 
実はこの時期のロシアは、 ソ連崩壊後の混乱と軍事予算の削減によりソ連時代と比較して大幅に弱体化していたのだが、 それ故この時のチェチェン進攻はロシア国内で大いに受け、 ウラジーミル・プーチンはボリス・エリツィンに替わり大統領になる。

この映画では100%ロシアが悪く描かれている。 しかし、 一人ロシアだけが悪いのだろうか。

力を持つ者がその力を悪く使うこと、 それこそが悪いのではないだろうか。 
力を持つ者が力を持たない者に暴力をふるうこと、 それこそがいけないのではないだろうか。
ここでいう暴力とは、 実際の戦争行為のみならず、 制度に拠る差別や圧政をも含む。

現在の僕たちは2015年に生きているので、 この映画の後に何が起きたかを知っている。

チェチェン人過激派は、 2002年10月のモスクワ劇場占拠事件や2004年9月の北オセチア共和国での学校占拠事件を起こした。
特に北オセチアのベスラン中学では、 生徒200人近くを含む400人近くが殺された。 この惨劇は今でも生々しく思い出される。

一体、 ロシアだけが悪いのだろうか。 チェチェン人が悪いのだろうか。 
一つ書き落としたがオセチアの学校襲撃は、 チェチェン共和国独立派を中心とする多国籍の武装集団によって起こされた。
そう、 これは当時のアル・カイーダが噛んでいる。

また長くなった。

とにかく、 力を持つ者がその力を悪く使うこと、 それこそが悪いのではないだろうか。
力を持つ者がその力を悪く使うこと、それこそが悪いのではないだろうか_e0126386_1991589.jpg
ネットからの流用です。 悪気はありません。
 

by libra-mikio | 2015-05-06 20:01 | その他


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