Mickey's world

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2017年 05月 14日

薔薇の季節が始まっている

もう、薔薇の季節が始まっている。

毎年、年間パスポートを求める花菜ガーデン。
大輪、儚げ、主張するビビッドカラー、奥ゆかしい内気な娘。
たくさんの種類の薔薇が咲き乱れるが、僕はここ1-2年、ブルーグレーであったり薄いブラウン系の花に惹かれる。
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薔薇に恋する人って粋だと思う。
新しい花を作ることを夢見る人。
創出はせずとも、毎年美しい花を見事に咲かせるために丁寧に手入れをする人。
去年だったか、薔薇を育てる人にジェラシーを感じると書いたが、その想いは今後も変わらないだろう。
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僕はその薔薇たちを写真に撮る。
きれいに、素敵に見えるよう一生懸命撮る。
それが僕と薔薇の付き合い方だ。
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EOS 7D+100MACRO






# by libra-mikio | 2017-05-14 19:38 | | Comments(0)
2017年 05月 08日

尾道そして美少女

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千光寺公園のてっぺんに登ったら、片積雲が夕方の太陽を隠した。
雲が光を裂き、思わずシャッターを切ったが、僕は画面左下の尾道水道を撮りたかった。




何故尾道水道なのか。
それはこの、加納満さんの写真にノックアウトされたからだ。
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2008年 枻出版、CAMERA magazine no.6の表紙。
表紙だけではなく、掲載された数葉の尾道のモノクロ写真は何と魅力的であることか。
もう、行く、断然行く、と決めてから早10年。
ようやく時期が来た。

地図とストリートビューで、概ねどこのポイントから撮影されたのかは把握できたが、結局今回は時間の関係でそこには行けなかった。
クタビレタから、という説もあるが。
で、似たようなアングルで千光寺公園から撮ってはみた。
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あれぇ、ちょっと違うな?
でもいいんだ。また行くし。




さて突然ですが、ここで一人の美少女が登場する。
もちろん彼女に迷惑が掛からないように現像している。
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まぁ、なんというか、僕はモテるのですよ(笑)
言い換えれば人畜無害ともいうが、なんたって、ほかにも観光客が何人もいる中で彼女から僕に声を掛けてきて・・・
と、詳述してもバカらしいのでやめるが、周りにいたおっさん連中は実に不平そうな顔をしていたのは事実(笑)

なぜ尾道で東欧系なのか。
なぜ東欧系なのに言葉が西日本系なのか?
・・・んなことはどうでも良くって、僕は周りの観光客の怨嗟の的となり、呪いが濃ければ濃いほど天にも昇る気分であった。
これ、事実ですよ(笑)




でもさ、尾道水道って、いいよ。
少しだけ真面目な写真をアップしておこう。
人と、街と、水が、知という衣を纏っている。それが尾道。
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# by libra-mikio | 2017-05-08 23:00 | | Comments(0)
2017年 05月 07日

尾道の想い出

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尾道。
どれほど行きたかったことか。




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古い商店街を風となって歩けば、自転車の乙女たちがツバメの様に滑走してくる。
飛ぶツバメが鳴き声を発しないのと同じく、乙女たちの声は耳には届かない。
しかし心を澄ます必要もなく、若さが限りなく心に聞こえてくる。
旅人の、尾道という地名に対する感傷を見事に否定しながら、乙女たちは駆け抜ける。




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見知らぬ店を選ぶ嗅覚に自信はなかったが、これは、と入った店は案に違わず安心し、落ち着くことが出来た。
老夫婦が営む店には、よく見かけるタレントとの写真が飾られている。
杯が進めば、問わず語りに会話が始まる。
聞けばご子息は公務員で、ご夫妻はそれを誇りにしている。
短い時間であったが、旅の者としての礼節を弁え、今夜の安宿に向かう。


# by libra-mikio | 2017-05-07 22:39 | | Comments(0)
2017年 05月 06日

放哉と大拙

先程、鈴木大拙(だいせつ)の「無心ということ」を読んでいたら、驚くような記述があった。
大拙が放哉の句に言及し、その句を以て「無心」の説明をしていたのだ。

入 れ も の が 無 い 両 手 で 受 け る   放哉

大拙曰く、碧厳集にある金牛和尚の話、「菩薩子喫飯米」では次のことが書かれている。
唐の時代のことであったが、金牛和尚はいつもご飯の時になると、お坊さんが一緒にいる食堂の前にお鉢を抱えて行き、大いに踊りながら呵々大笑して「菩薩子喫飯米」、つまり「ご飯が出来たぞー、さあさあ食べよう」と有難い笑顔で本心から皆にご飯を勧めた。それを20年も続けた。これは「無心」ということがない限りできることではない。
一方、大拙は、ロンドンで禅を普及している際、安田銀行の某氏から、いま日本で一種異様な俳句が作られているが、その中に「入れものが無い両手で受ける」という句があるということを聞いた。某氏はその句を大層褒めていた。
ここで大拙は閃くのである。
金牛和尚は、踊りながら、笑いながら、20年も無心にご飯を勧めていた。
そのご飯を受けるとき、入れものではなく素手の両手で受ける、という光景はこちらも受け手として実に素直であり無心の様子ではないか、両鏡相照らしてその間に映像なし、というものではないか・・・
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*写真は放哉没後、井上一二が施主となり南郷庵に建てられた放哉の句碑「入れものが無い両手で受ける」。書は荻原井泉水。今でも尾崎放哉記念館の庭に建つ。




冒頭にも書いたように、全く予期せぬ記述に心底驚きつつ、つい先日放哉ゆかりの地を訪れたことを想い、世の中にはこんなこともあるのだなあと少し呆れた。
それというのも、昨日、僕は何の気なしに北鎌倉・東慶寺の鈴木大拙のお墓を訪れたばかりなのだ。

放哉の本句は、大拙が言っているような内容・状況で生まれたものではない。何しろ墓守をし、知人にかろうじての金銭的援助を受けながらの困窮状態の中で、かつ肺病が悪化した最悪の時期の発句である。
しかし同時期に作られた句には、
朝 が き れ い で 鈴 を 振 る お 遍 路 さ ん   放哉
というものもある。
やはり放哉自身は句作にあってはまさに「無心」であり、大拙の直覚は間違ってはいないのかもしれない。
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*オマケ・・・なかなか充実した記念館であった。ただ、係の30代の女性が暗いというか、気が利かないというか、不愛想というか、やる気がないというか、、、


# by libra-mikio | 2017-05-06 22:41 | 放哉 | Comments(0)
2017年 05月 05日

夜のフェリー

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下田逸郎がつくり、石川セリが歌った儚い曲、セクシィ。
・・・旅に出るなら 夜の飛行機 つぶやくあなた セクシィ・・・

夜の飛行機はセクシィかもしれないが、夜のフェリーはもっと現実味を帯びた旅愁を醸し出す。
島外への移動手段が船に限られる小豆島では、夜もフェリーが就航する。

そして男が一人デッキに佇む。




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夜9時。フェリー桟橋では運行要員が手持無沙汰に、しかし忠実に職務をこなす。
僕のような観光客はもう乗船せず、ごく少ない、なにがしかの用事を持つ者だけが船内に入っていく。
騒ぎを起こす馬鹿な若者もいないピアは静かである。




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短い汽笛を一度だけ発し、時刻どおりにフェリーが離岸する。
先程の男だろうか、独り、少しずつ離れていくピアを見つめている。
先程はてっきり彼を商用の人、と位置付けたが、違うのかもしれない。ハートブレイクな若者なのかもしれない。
しばらく考えたが、そんなことはもうどうでも良くなって来ている。




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重油の内燃機関の重い音を港内に低く響かせてはいるが、一瞬華やかに見える船はある意味静かすぎるほど港を出ていく。
フェリーの日常なのだろう。
旅に出ると、非日常なのは旅をしている自分だけであり、その感傷を土地の人に具現化してほしいというのは、旅人の傲慢である。
僕はよそ者であり、僕がどのような感傷に浸ろうとも、土地の人々は忠実に彼らの日常をこなす。




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船足というものは、遅い。が、速い。
時間が万物に共通するスピードであることは理解しているが、少し目を離すと、船は既に遠くなっている。

夜のフェリーは、旅の途中の僕にいろいろなことを突き付ける。

*注意深い読者は既に二隻の別のフェリーの写真が使われていることにお気付きとは思うが、同夜に抱いた作者の主観で綴ることをご理解いただきたい。


# by libra-mikio | 2017-05-05 19:49 | | Comments(0)
2017年 05月 04日

放哉への旅 ~ 海も暮れ切る




障 子 あ け て 置 く 海 も 暮 れ 切 る   放哉




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僕が尾崎放哉の自由律俳句を好きであることは、既に何回も書いている。
そして何年も前から、放哉の最晩年の地、小豆島に行くことを願っていた。
先日の坐禅の話ではないが、人には時期というものがある。
この連休に、とうとう僕は小豆島は土庄(とのしょう)町を訪れた。




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岡山からフェリーに乗った。
東京は雷電が走り雹が降ったとニュースが伝えたが、瀬戸内はこれ以上ないほどの優しい表情を見せていた。




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放哉は晩年、京都の一灯園から、神戸の須磨寺、福井県小浜の常高寺を経て、最期はここ、小豆島の王子山蓮華院西光寺奥の院・南郷庵(みなんごうあん)に来た。
仕事は墓守である。
本当はお遍路さんに蠟燭などを売り現金収入を得て余生をつなぐ筈であったが、南郷庵には大正14年の8月に来、翌年の4月7日、肺結核により亡くなる。
来島の8月は既にお遍路さんの季節ではなく、翌春にちらほらとお遍路さんが南郷庵を訪れ始めた時には、放哉はもう食べ物が喉を通らないどころか、好きな酒も体が受け付けない状況であった。
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放哉の最晩年については、吉村昭の「海も暮れきる」に詳しい(本句は「切る」であるが吉村昭は「きる」と仮名遣いにしている)。
ただ、この本は放哉好きが読んでもその個性に違和感を感じてしまい、つまるところ、放哉ってロクでもないな、と思ってしまうのが辛い。
だから放哉のことをよく知らない人には、薦めることをためらう。
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西光寺から5分ほど歩くと、放哉の墓がある。
大空放哉居士(たいくうほうさいこじ)と彫ってある。
放哉を看取った当時の西光寺の住職、杉本宥玄(この人も自由律俳句同人「層雲」に玄々子という号で参加している)が、当初放哉の才能に敬意を表し、
大空院心月放哉居士
と戒名を付けたが、放哉の師であり後見人ともいえる同人代表、荻原井泉水(せいせんすい)たちが、生前の放哉の行動に照らし、あまりにも立派過ぎるとして院、心月の三文字を取ってしまったのである。
井泉水は悪い人ではないどころか、実に放哉を心に掛けていた人であったが、彼をしてもさすがに生前の放哉の人品に鑑みて、斯様なことをせざるを得なかったのだと思う。
或る意味、放哉はそこまで人として練れていなかったということであろう。
なかなか悲しい。




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もう一人、放哉の理解者である井上一二を忘れてはならない。
土庄で代々醤油製造業を営む井上一二は謹厳実直な人格であり、同じく層雲同人であった。
僕はこの一二についても非常に興味があり、できれば現在の井上家を訪ってみたいと思っていたのだが、残念ながらその生家は既になかった。
しかし渕崎という地名の、本来一二の家があった筈のすぐそばに、写真のような旧家を見出した。
これは一二の家ではない。
しかしおそらく一二の家は斯くあったのではないか、と思わせた。
違うことが判っていながら、敢えて写真を撮った。

放哉、井泉水、宥玄、一二。
土庄、渕崎、西光寺、南郷庵。
僕の放哉への旅は、不完全ながらも一応の成果を収めたと思っている。

今回の旅はX-T1による。


# by libra-mikio | 2017-05-04 19:52 | 放哉 | Comments(0)
2017年 04月 22日

坐禅会

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人にはやりたいことが山の様にあるが、それをやるべき時期というものがある。

従前から座禅に興味があり、いつかは経験したいと思っていたが、僕にもようやくその時期が訪れた。

鎌倉五山の第二位、円覚寺での座禅debut

行動を起こしてしまえば、それは全く敷居の低いものだったことが判った。

あ、勘違いをしてはいけない。とっかかりの敷居が低いといった訳であり、奥、到達点など判らないどころか判ろうなどという恐ろしいことを考えてはいない。

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よく似た境遇か否かは知らないが、今日の初心者のための「土曜坐禅会」にはご覧の様に様々な老若男女が集まってきた。

僕みたいな変なオヤジもいれば、カップルもいる。また、20代後半から30代の女性も結構一人で参加していたようだ。

総じて若い方が多いという印象。

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(この写真は「円覚寺・居士林だより」というブログから転載しています)

この居士林という建物で、みな坐る。

靴下は脱ぐ。

後は座り方、印の結び方、目の開け方(半眼)、警策の打たれ方などなどを10分程度で教わり、そのあと15分の座禅が休憩を挟んで2回行われる。

僧侶は若くもなければ年寄りでもなかったが、落ち着いた方であり、諧謔もたしなむ方であり、得も言われぬ信頼感があった。


初心者に対しての警策は、自ら打ってくださいという意思を示さない限り打たれない。

僕は打ってほしかった。警策に打たれることを望んだ。初めてマゾなんだと判った(うそ)。

音が響く。しかし痛みは感じない。想像どおり、警策は心を打つのだ。


警策よりも足が痛かった。

結跏趺坐(けっかふざ)はできないので半跏趺坐(はんかふざ)をした訳だが、痺れるというのではなく筋が痛い。


静かだ。

鳥の声、ウグイス、クロツグミ、キツツキのドラミング(鎌倉にキツツキがいることを今日初めて知った)がものすごく大きく聴こえる。

時折、横須賀線の走る音。

それ以外は無音であった。

老若男女がおそらく100人近く集いながら、カップルの私語はおろかシワブキひとつせず、無音の世界を作った。

しかし「考えない」ということは凡人には不可能ではないか。

無理です。

小池龍之介さんの「考えない練習」をずいぶん前に読んだが、おそらく仏陀以外は考えてしまう、ということが改めて判り過ぎるくらい判った。

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1
時間ほどの座禅入門体験は終わった。

居士林から出てくる方々の表情は明るかった。

おそらく皆さん、嬉しかったのだと思う。

初心者とはいえ、座禅を体験したいという、ある意味素敵なマインドを持った方々である。

きっと、僕が他の人の表情を読んで僕自身が嬉しかったように、他の方々もうれしい気持ちをお持ちになったことだと思う。

おそらく今後、僕は円覚寺に通うことになるだろう。



# by libra-mikio | 2017-04-22 21:12 | Comments(0)
2017年 04月 16日

すこし遠い散歩

伊豆は、海であり、山であり、郷愁である。

今日も一日、伊豆を走った。
季節を求めて。

しかし、旅行ではない。
すこし遠い散歩である。
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EOS 5D



# by libra-mikio | 2017-04-16 21:19 | 季節 | Comments(0)
2017年 04月 15日

旅情、谷峨

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旅情というものは遠くに行かなくては味わえないかというと、そうでもない。

御殿場線の谷峨(やが)という駅。
今は亡き親父が、この駅をずいぶんと気に入っていた。
既に何回か僕のブログにも登場しているが、桜の季節になると、どうしてもここに来たくなる。

ありきたりなローカル線の駅だが、親父が好きだったということが、僕に対し特別な意味を持たせる。

人生の岐路や艱難に対峙したとき、僕は決まって親父の墓に出向く。
墓石に向かい相談を持ち掛ける。
そうした文脈とは多少異なるが、僕は桜の季節には谷峨を訪れて、親父に「今年も谷峨はきれいですよ」と報告する。

そういうことが有っていい。
そういう場所が在っていい。

常の墓でなく、いつもとは違う場所で親父と逢う。
その行程は既に心の旅であり、こんな雨上がりのプラットフォームを見て心に起きる感慨は、既に旅情といってよい。
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EOS 5D + 純愛レンズ


# by libra-mikio | 2017-04-15 22:17 | | Comments(0)
2017年 04月 12日

蘆花 湘南雑筆 「花月の夜」

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徳富蘆花 湘南雑筆 四月一五日 「花月の夜」 抜粋。

戸を明くれば、十六日の月櫻の梢にあり。
空色(くうしょく)淡くして碧霞(みどりかす)み、白雲團々(はくうんだんだん)、月に近きは銀の如く光り、遠きは綿の如く和(やわら)かなり。
春星(しゅんせい)影よりも微(かすか)に空を綴る。
微茫月色(びぼうげっしょく)、花に映じて、密なる枝は月を鎖(とざ)してほの暗く、疎なる一枝は月に差し出でゝほの白く、風情言い盡(つく)し難し。
薄き影と、薄き光は、落花點々(らくゝわてんてん)たる庭に落ちて地を歩す、宛ながら天を歩むの感あり・・・

・・・

本日は残念ながら4月15日ではないが、まさに月は十六夜である。
いつかきっとこの文章に写真を付けよう、そう思っていた。
すると、先ほどの帰宅の折、鵠沼公民館を通れば、「十六日の月櫻の梢にあり。」!!!
まだ銀座で飲んだワインがかなり効いている中、リュックからX30を取り出し、なんとか撮った。

今日の写真はクォリティを問うものではない。
風流を問うて欲しい。




# by libra-mikio | 2017-04-12 23:39 | | Comments(0)
2017年 04月 10日

桃源郷

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桃は立派な園芸農学品種だ。
そしてそれ以前に、立派な鑑賞植物だ。
実に可愛らしく美しい。
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山梨の、後世、「桃源郷」と命名された地域の一画にある、桃と菜の花のコントラストが美しい場所。
桃源郷だぜ。
陶淵明だ。
昔、文化が太平洋ではなく大陸に向かって開いていたころのスマートな言葉だ。
清少納言の香炉峰ではないが、陶淵明さんも黄泉で苦笑しているだろう。
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確かに桃源郷だ。
桃の桃色と、菜の花の菜の花色(当たり前だ)が素晴らしい。
雨なので、僕は桃源郷を独り占めしている。


# by libra-mikio | 2017-04-10 22:26 | | Comments(0)
2017年 04月 09日

古城の桜

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桜の季節になると、小山城址に来たくなる。
もう何年も前、自分の感性で見つけた桜の聖域。
土地の人しか訪れず、その人たちの数も少ない。

雨の日曜、今日はきれいだという確信があった。
先週来た時には蕾は堅かった。
でも今日はきっときれいだろう。
期待は裏切られなかった。

古城の桜は幹に苔をまとい、しかし花はたった今生まれたばかりだ。
人の営み、そして時間などということを考える。
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# by libra-mikio | 2017-04-09 21:59 | | Comments(0)
2017年 04月 05日

純愛レンズ

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ヒトに人格があるように、クルマに車格があるように、レンズにはレンズ格がある。
Canon EF24-70mm F2.8L・・・この写真のレンズ。
ね、風格あるでしょ(笑)

アタシはこのレンズが大好きで、その昔ずいぶんと使ったものだ。
カメラ道楽の道を邁進していた折り、フィルムEOS-1vにくっ付けて、重いのも何のその、野に山に飛び回っていたものだ。
そのうちにボディが、デジタルEOS20D、30D、40Dと変遷しても相棒としてこのレンズはいつもくっついていた。

しかしある時、お、重い!と感じ、ついにドナドナしちゃって、EF-S 17-55mm F2.8 ISに変えちゃったのである。
忘れもしない、2008年3月のことだ。(拙ブログ、2008/3/22をご覧あれ。あれ?アタシはこの日に2回ブログをアップしているぞ?)

そしていつの間にか、そのEF-S 17-55mmも、EF24-105mm F4 IS Lに取って代わられた。
ボディもいつしかEOS 7Dに代わっていた。

しかし今般、とあることから、昔の純愛レンズにどうしても会いたくなり、この土曜日にセコハンを物色して、また彼女は僕の下に戻ってきた。
そして、今はおそらく彼女とは一番相性が良いと思われる、アタシにとっての遅咲きのニューカマーEOS 5Dにくっついたのである。

このふた昔前の純愛レンズと、ひと昔前の実直ボディで、アタシはコトシいろんなところに行って、いろんな写真を撮るんだ~い!


# by libra-mikio | 2017-04-05 21:19 | | Comments(0)
2017年 04月 02日

新しい4月

3月が終わった。
2008年にスタートした総務系の業務も終了した。4月からは内部監査に就く。
思えば永い10年間だった。様々なことがあった。あり過ぎた。
でも、終わった。そして心機一転、4月が始まる。





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気分転換にしばらく行っていなかった甲州方面に出掛けた。
寒の戻りというには強烈な寒波であったが、案の定、御殿場から山中湖に抜ける籠坂峠はすっかり雪景色であった。






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河口湖に着いたときは、すでに高層雲が広がり、雪白の富士と空との区別が難しくなっていた。
しかし僕はこういう富士も好きだ。
雲の白と富士の白はやはり違い、却って青空に屹立する富士よりも繊細でしっとりとしている。






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甲府盆地に降りたら、小山城址の桜も、桃源郷の桃もまだ蕾の状態であった。
でもね、栽培品種ではなく野生化したと思われる白桃は盛んであった。
約束通り、お爺さんが犬を連れて散歩をしていた。
なんだか、ずいぶん前の僕に戻ったような気がして、じんわりと嬉しかった。

EOS5D + EF24-70F2.8L



# by libra-mikio | 2017-04-02 19:58 | | Comments(0)
2017年 03月 30日

ためらう春

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3月も終わろうとしているのに、今年の春は何をためらっているのだろう。

いつものように明るい笑みを振りまけばいいのに。

花だって、咲いては見たものの、どこかおずおずしている。

春は、僕などの思いもよらぬ悠久の something からの使いだろう?

そして僕は、春の笑顔を見ることで自分の憂さをようやく晴らすことができるというのに・・・

自らの気分にがんじがらめになるのは僕だけでたくさんだ。
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EOS5D




# by libra-mikio | 2017-03-30 22:26 | 季節 | Comments(0)
2017年 03月 26日

不如帰

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正月に国木田独歩の残り香に惹かれ逗子を歩き、ふと徳富蘆花につながった話を書いた。
その際、蘆花の「自然と人生」を新たに入手した訳だが、しばらくうっちゃるうちに、これまたふと「不如帰(ほととぎす)」を手にした。
しばらく読まずにおいたが、先週、仕事上の気分がひと段落したせいか、何気なく電車で読み始めた。
そしたらどうだ! なんて面白いんだろう!
皆さんはもう既読かもしれぬが、あら筋を書けば次のようだ。

時は日清戦争の前夜、薩摩閥の退役陸軍中将子爵、片岡毅の長女浪子、歳は十八九、同じく薩摩閥の海軍少将男爵、川島武夫、歳は二十三四、両者は良縁にて結ばれる。
浪子は生母に死に別れ継母に育てられたが、「色白の細面、眉の間(あわい)ややせまりて、頬のあたりの肉寒げなるが、(中略)すらりとしおらしき人品(ひとがら)。これや北風に一輪頸き(つよき)を誇る梅花にあらず、(中略)夏の夕やみにほのかににおう月見草、と品定めもしつべき夫人。」である。
因みに、この片岡子爵のモデルは大山巌である。
また海軍少将川島武夫は実に凛とし、女ならず男も惚れる大丈夫である。
しかし武夫の母、お慶は一人息子を嫁に取られた淋しさもある中、浪子が肺の病を患うとこれ幸い、武夫が艦隊演習で外洋に赴くうちに、勝手に浪子を離縁してしまう。
そのあとすったもんだがある訳だが、ユジンとチュンサンもかくやと思われるすれ違いの中、最後まで二人の縁は戻らないのである。

そして浪子は臨終を迎える。
「ほのかなる笑は浪子の唇に上りしが、たちまち色なき頬のあたり紅をさし来たり、胸は浪うち、燃ゆばかり熱き涙はらはらと苦しき息をつき、『ああつらい!つらい!もうーーーもうーーー婦人(おんな)なんぞにーーー生まれはしませんよ。---あああ!」眉をあつめ胸をおさえて、浪子は身をもだえつ。」
「(浪子が気を許す、生母の妹の加藤伯爵夫人は)浪子の手を執り、『浪さん、何もわたしがうけ合った。安心してお母さんの所においで』かすかなる微咲(えみ)の唇に上るとみれば、見る見る瞼は閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。さし入る月は青白き面を照らして、微咲はなお唇に浮かべり。されど浪子は永く眠れるなり。

読んでると、浪子が可哀そうで可哀そうで、泣けるんだなぁ、これが。
このストーリーは絶対に映像化できると思って調べたら、もうとっくに、宝塚でも新派でも、何十回となく上演されていました。

そして、僕は改めて昨日、逗子の郷土資料館に徳富蘆花の匂いを嗅ぎに行ったのだ。
すると、岩波文庫のカバーや口絵になっている、黒田清輝の浪子の画に逢うことが出来た。
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# by libra-mikio | 2017-03-26 21:32 | Mic記 | Comments(0)
2017年 03月 21日

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数日、伊豆の周縁を走り回っていた。
リアス?の海は、山がすぐに水面に落ちる。
それはそれで趣もあるが、湘南に生まれた身には、やはり砂浜に打ち寄せる波が必要だ。

伊豆から帰り、改めてウチの前の海を見る。
心が和む。

渚はいい。
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# by libra-mikio | 2017-03-21 22:34 | | Comments(0)
2017年 03月 14日

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爽。

4月から爽やかになりたい。


# by libra-mikio | 2017-03-14 23:08 | Mic記 | Comments(0)
2017年 03月 12日

とても・・・とても恥ずかしい話

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この写真を見ると、思い出してしまう。とても、とぉっても、恥ずかしい話。

夜のフライトだった。地方空港のラウンジで飲んでいた。理性を失うような飲み方ではなかった。・・・筈だ。
しかし疲れがたまっていたのだろう。機体が滑走路に移動するタクシィングの最中に不覚にも僕は眠ったらしい。

僕の中ではもう離陸はとっくに終わっていた。
ところが突然のGを感じて目が覚めた。
するとなんとしたことか、ヒコーキは今、再び飛び上がろうとしているではないか!
うわっ!なんだこれは!僕が知らぬ間に機体に異変が起きて再度離陸をやり直している!
隣の見知らぬ爺さんに異変を大声で知らせた。
「大変だ、大変ですよ、旅客機がタッチアンドゴーをしている!」
しかしあろうことか、爺さんはケゲンソウにこちらを見るや、何事もなかったかのように視線を外した。さも迷惑そうに。
更に機内には緊迫感などミジンもない。
このあたりでなんとなく気付いた。今初めて飛ぶらしい。既に飛んでいたのは僕ひとりらしい・・・
離陸時の轟音で、僕の声が爺さんの耳には届かなかったらしいことが唯一の救いであった。

そしてまた深い眠りに落ちた僕は、激しい尿意で目が覚めた。トッ、トイレ。
夜のヒコーキに乗る時は、こんな場合に備えていつも通路側の席を取る。
離陸時の失態をイタク恥じていた僕は、今度はちゃんとベルト着用サインが消えていることを確認して、トイレに立った。
最後部のトイレまで歩いて行った僕は、スッチーの驚愕した目に迎えられた。
「お、お客様!当機は最終の着陸態勢に入っております!早くお席に!!!」
ひんむいた目玉と、腕で作る大きなバッテンの身振りで、彼女の叫びを心で聞いた。
「ひぇ~~~!、吹っ飛ぶ~~~!”!”!”」
慌てて席に戻った僕は、それでも改めてベルト着用サインを確認した。
・・・点灯していた。
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何とか生還した僕が、羽田からのリムジンで、ほっとしながら撮ったのがこの写真だ。
京浜工業地帯の灯りを見ると、今でも情けない気分になる(笑)
X-30


# by libra-mikio | 2017-03-12 22:14 | Mic記 | Comments(0)
2017年 03月 07日

ちっちゃな舌

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猫も杓子も最近はネコの写真を撮る。
きゃ~カワイイ、などと一向にその風潮が収まる気配がない。
岩合カメラマンなどもレッキとした「動物写真家」から、単なる「猫のおじさん」と化している。

かといって、ネコを撮ればウケるのか!などと言うのは野暮である。
しからばワタシも・・・

X30を持って自転車に乗っていたら、こんな奴がいた。
こいつ、ますむらひろし、まんまじゃん、なんて思っていたら、ちっちゃな舌を出した。
そしたら、ますむらひろしのくせに、けっこう可愛いんだわ。
思わず撮っちゃった。

茂吉の「のど赤き玄鳥」じゃないけど、その舌の薄桃色はけっこうヤバいインパクトがあるなぁ。
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X30


# by libra-mikio | 2017-03-07 22:53 | Mic記 | Comments(0)
2017年 03月 04日

陽はまんまろ

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陽はまんまろ。
夕陽はまんまろ。

まんまろという表現は、尾崎放哉の句で初めて知った。
方言かもしれぬ。
しかしなんとも善い響きではないか。





かれらの気持ちも、きっとまんまろ。
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X-T1


# by libra-mikio | 2017-03-04 22:07 | | Comments(0)
2017年 03月 02日

憧れたもの

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小学校の5年生の頃だったろうか、ドロップハンドルのサイクリング車に無性に憧れた。
ツーリングなどという言葉を知ったのもその頃であった。

たしか少年サンデーに載っていた広告の、ブリジストンのサイクリング車のハンドルにはバッグが付き、前後の車輪の両側にもバッグが垂れていた。
もちろんライトがあり、更には後ろの泥除けにもテールランプが装着されていた。
そのテールランプの上部には白色レンズが組まれ、その光は乗っている人の背中を照らすように設計されていた。
キャッチコピーは「人間工学に基づいた・・・」というものだった。
そして10段変速だった。

素敵だ!
こんな自転車があればどこにでも行けるじゃないか!
だって、夜になっても走れるんだよ!

まさに夢であった。
幼い僕はそのページを切り取り、寝床の枕元に立て掛け、それこそ夢の中で走ることを願った。

欲しかった。
でも結局、夢は夢で終わった。






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先日早朝に通った旧い街道沿いに、古い自転車屋があった。
ちょうど朝日が射し始めていた。
通り過ぎる刹那、硝子戸の中にサイクリング車が見えた。
そして数百メートル行き過ぎてから、Uターンして、子供の頃の夢に改めて出逢った。
X-T1


# by libra-mikio | 2017-03-02 23:07 | Mic記 | Comments(0)
2017年 03月 01日

ルネ・ラリック 2

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この写真では判りづらいと思うが、雀たちはガラスの裏から彫られている。
まあ、彫ったのかモールディングに流し込んだのかは専門家ではないからはっきりはしない。

裏に作用して、表から見る。
この雀たちを見ていて、ふと天球儀を連想した。
読者諸兄は天球儀をご存じだろうか。

地球儀は地球の上から地球を見ることを前提に作られる。当たり前と言えば当たり前だ。
僕の身長は182センチだから、少なくとも地上2メーター弱の高さから地球を見ている。
地上1万メートルを飛ぶ飛行機も、2メーターの視点も、地球の外から地球を見ていることには変わりはない。
この視点が地球儀の視点だ。

一方天球儀は真逆である。
天球儀は、宇宙の外から天の星を見る様に作られているので、なじみ深いオリオンも、夏のサソリや北天の北斗七星も、すべて我々の知る姿の裏返しの絵が球上に描かれている。
ギリシャ神話から題材を取ったアトラスのスタチュ―も、なんとアトラスが全宇宙を重そうに肩に担いでいる。
そしてそこに描かれる星座は当然だがすべて裏返しだ。

これってかなり凄いんじゃなかろうか?
天を、宇宙を、鳥ではなく神の目で捉えるって、そんな捉え方をする人間が紀元前にいたことって、かなり凄いんじゃないだろうか?

・・・やぁ、また空想の旅に出てしまいました。単に裏彫りの雀がスタートだったのに(笑)




口直しに、香水のボトルのヘッドを一つ。
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これ、香水の瓶のフタです。
すごいね。
往年の永井豪の漫画みたい。デ・ビール!(笑)

X-T1


# by libra-mikio | 2017-03-01 22:43 | Mic記 | Comments(0)
2017年 02月 26日

ルネ・ラリック

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写真家の小瀧達郎さんはいまヴェネツィアに行っているらしいが、何日か前のブログでルネ・ラリックの「バッカスの巫女たち」を取り上げていた。
そんなことがあって、僕も急にラリックの工芸作品が見たくなった。
そんなことがあって、今日、箱根の某所にある某美術館の駐車場に、9時の開館前に僕は到着していた。

本物を見るってすごいことだと思う。
エミール・ガレにしろルネ・ラリックにしろ、彼らの作品って芸術と製品のあわいにいるのだろうが、やはり本物が放つオーラは厳然として、ある。






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七宝と彫金とガラスの、得も言われぬ統合。そして化学反応の後の味わい深い完成。
この作品は、20世紀初頭にフランスで急激に増加した女性喫煙者のための灰皿だと思うが、なんとも言えない面白味がある。
あふれ出る才能は、汲めども尽きぬ泉のようだったのであろう。






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ラリックの作品は、チョーカーだったり香水の瓶だったり、或いはブローチ、ペンダントなどが多いが、時にこのように用途不明ななまめかしいものもある。
きっと作りたかったんだね。
それにしてもどうしたらこのような造形が出来るのだろう。
女性像と言えば僕の中ですぐ出てくるのは荻原守衛の「デスペア」だが、ラリックのこの妖艶さは求めるべくもない。

X-T1



# by libra-mikio | 2017-02-26 22:58 | Mic記 | Comments(0)
2017年 02月 19日

富士と梅

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一昨日は泥酔した。
泥酔する理由があった。しかし単に心が弱いのだろう。
昨日は何と昼近くの11時に起き、心の湯治のため丹沢山麓のPH10.1の中川温泉・信玄館で一日を過ごした。
今日は復活して6時半に目覚めた。
目覚めは好調で、カーテンを開けながら、今日は富士を背景にした梅が見たいと思った。






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私小説作家の尾崎一雄は下曽我に眠っている。
僕はこれまで何度かその墓を訪れた。
ずいぶん前に「美しい墓地からの眺め」という彼の小説に因み、ブログもアップしているが、今日もそこに行きたくなった。
その、尾崎一雄の墓から少し行くと、本当に富士が良く見える。
野生の梅が薄紅と青白い花をつけ、これが自然なんだよと、僕に語りかける。
野生の梅はいいな。
早春の、飾りも衒いもない、素のままの自然。






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富士を白雲に置き換えてみた。
国木田独歩の「丘の白雲」ではないが、雲もまた流れ去り時もまた流れ去る。

雲水と呼ばれる僧たちがいるな。
雲水。
何と侘び寂びて、なんと深い呼び名であろうか!

白雲と紅梅。
流れる雲の美しさと富士。
そして昨日の中川温泉に加え、今日は箱根・宮城野の温泉に日帰り湯治をして、僕は明日の月曜日も全力で生きるのだ。


# by libra-mikio | 2017-02-19 20:19 | | Comments(0)
2017年 02月 18日

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道。みち。

僕は時折、道にすごくいとしさを感じる。
都会の大きな道路ではなく、隠れた鄙の、土地の人しか使わないような道に。






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道の起源をよく想う。
全ての道は、人々が通行するために開かれたのだろう。
初めはそれこそ獣が開拓したかもしれないが、そのうち人が使うようになったのだろう。
通行人の量が多ければ、それは大事な道ということになり、今の世で言う幹線道路になった。
一方、田舎の小さな道は、グローバルなニーズこそなかったが、ローカルでは大切なものとして扱われてきた。
その田舎の鄙びた道に、時々とてつもなく愛着を感じるのだ。たとえ初めて訪れたとしても。






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春まだ浅い里を歩く。
用水路でもあるであろう小川がある。
石垣が組んである。
電信柱がひとつ、ふたつ、と並んでいる。
そして梅が笑っている。
向こうからお爺さんでも歩いてこないかなぁ、と待っているのだが、一向に人の気配がない。
鄙である。


# by libra-mikio | 2017-02-18 23:36 | | Comments(0)
2017年 02月 12日

露 by みすゞ 

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誰にもいわずにおきましょう。

朝のお庭のすみっこで、
花がほろりと泣いたこと。

もしも噂がひろがって
蜂のお耳へはいったら、

わるいことでもしたように、
蜜をかえしに行くでしょう。
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詩 金子みすゞ、 X-T1、 クリスマスローズ


# by libra-mikio | 2017-02-12 21:12 | みすゞ | Comments(0)
2017年 02月 08日

Love, Love, Love!

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波打ち際を歩けば、素敵なものに出逢える。

薄紅に光る桜貝であったり、波で丸くなったビーチ・グラスであったり。

そして今日はLoveに出逢った。

それはLoveとしかたとえようのない光景であった。

小春日和とはいえ、如月の海は本来寒いのだが、彼等には寒いという言葉などない。

何といったって、Loveを周囲に振りまいているのだから。

見ている僕も、自然と笑みをこぼしながらレリーズ。

旧い洋楽が聴こえてくる。そう、Love, Love, Love・・・!
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X-T1


# by libra-mikio | 2017-02-08 22:33 | | Comments(0)
2017年 02月 06日

春二月、如月は光の中

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春二月、如月は光の中。
21歳の頃、部室の連絡帳に書いた言葉が蘇ってくる。

お気に入りの里山には美しい光景が広がる。
一瞬、この電信柱は何とかならないかとも思ったが、人々の営みがあってこその和みの風景なのだと思う。
季節を表現する時、人の存在は必要なのだろう。




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疎林の林床にも新しい命が芽生えている。
朝の低い太陽が、葉緑素を思い切り浮き上がらせた。
これからどんな花を咲かせるのか、見つめているうちに何だか嬉しくなってくる。




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これも以前書き、印刷物にもなったのだが、マンサクとは「まず咲く」が転訛したものだという。
まだ周囲は褐色の山野であるが、その中で一際目を引く明るい色でその存在を高らかに主張する。
しかもその姿はお茶目だ。

一週間後に同じ場所を訪れてみようか。
その時は既に、背景は柔らかな緑になっているかもしれない。

X-T1


# by libra-mikio | 2017-02-06 20:38 | 季節 | Comments(0)
2017年 01月 23日

ボブと密かに湯に浸かる

おいそれとは公言出来ぬことだが、さっきボブと風呂に入ってしまった。
結構気持ちが良かった。

先にボブに入ってもらった。
奴は初めこそじっとしていたが、僕が一緒に入る頃にはお湯の中で体をこねくりまわし、いろいろ動き回る。

あ、そこは・・・
と思う間もなく、僕の前面に触れそうになったり、そうかと思えばシュワシュワという意味不明の声を発しながら、今度は僕の背後に回ったりした。

ボブが汗臭いとイヤだな、と思っていたが杞憂で、案外和む柚子の香がする。

ボブ。
冬の夜は、ボブと入るお風呂が最高だよ。
ボブ。
いつまでもボブと一緒にお湯に浸かっていたいな。

ボブ・・・、
あ、正確な発音はバブね。
苗字は花王。
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我が、鵠沼海岸の家の古いお風呂です。
X30


# by libra-mikio | 2017-01-23 22:49 | Mic記 | Comments(0)